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因果関係がさっぱり

「セシリィ、目が覚めたの? 私が分かる!?」


 ツァニスに触れられながら苦悶のうめきを上げるセシリィの前に膝をついて、小夜はその顔を覗き込んだ。その声に応じるように、セシリィの長い睫毛が震える。


「……分かる、わよ」


 そしてやっと、掠れた声と共に潤んだ碧眼がその下から現れた。


「セシリィ! 良かった!」


 男にかけられた術のせいで意思とは異なる行動を取らされていたセシリィだったが、ひとまず酷い記憶の混乱はなさそうだ。だがこの会話だけでは、術が完全に解けているか、影響が残っていないかは分からない。

 と思ったのだが。


「わたくしのことを放って、アホなことばかり……」


「そこぉ!? だってあれは不可抗力だからっ」


 まだ苦しそうな声ながら、頭を振って上半身を起こそうとしながらそんなことを言われた。どうやら耳が一番最初に復活していたらしい。


「この薄情者」


「面目次第もございません……」


 ツァニスの助けを借りてやっと起き上がったセシリィに、同じ目線から叱られた。相変わらず、病み上がりなのに弁舌爽やかでいらっしゃる。

 ずーんと沈んでいると、くすっと微かな笑声が耳に届いた。顔を上げると、青白いながらも目許を柔らかく緩めたセシリィと目が合った。


「でも、小夜の声、ずっと聞こえていたわ」


「セシリィ……」


「ありがとう」


 そう言って、莞爾と微笑む。


(……その顔に、弱いんだよなぁ)


 相変わらず、下げて上げるのが上手い娘である。人の上に立つ者としては、それでいいのかもしれないが。


「……大人が子供を守るのは当然です」


 一回りも下の子供にやり込められるのもいかがなものかと、しかつめらしい顔でそう言ってみる。


「やり方は子供じみていた気がするけれど」


「……ぐぅ」


 正論で言い負けた。結局落ち込んでいると、ツァニスが見かねたように口を挟んだ。


「セシリィさん、あまり急に動いては」


「平気です。……司祭様も、ありがとうございました」


 まだ腰を床につけたまま、セシリィがツァニスに頭を下げる。ツァニスは困ったように眉尻を下げ、「いえいえ」と手を振った。


「どんな術か魔法か分かりませんが、無効化できたようで何よりです」


「……相変わらずでいらっしゃいますね」


 はぁ、と小さく溜息をついて、セシリィが苦笑する。だが小夜には何が相変わらずなのか分からなかった。何より、不可解な単語があった。


「分からない? 治してくれたんじゃないの?」


 術には必要な手順の解術があって、それが男にしか出来ないと思ったから強引に引き留めたのだが、ツァニスはそれを分からないという。だというのに治せたのだろうか。


「どうも、私の周囲では魔法の類は上手く発動しないようでして……」


 小夜の疑問に、ツァニスが苦笑を深めて頭を掻く。


(こ、このくすぐったいような苦笑の感じ、いい!)


「こいつは精霊に愛されすぎるんだ。そのせいで周囲一帯の魔法はことごとく瓦解する。全く、面倒くさい」


 心底いい迷惑だと言いだけに補足をくれたのは、レヴァンを見ていたイデオフィーアである。


(最後の一言の呼気が抜けるような発声が堪らないぃ!)


「……小夜、鬱陶しいわ」


 怒られた。しゅんと反省する。だがお陰で、少し冷静な思考が戻ってきた。


(周囲の空気を浄化するってそういうことか)


 乙女ゲームの中のツァニスの説明を思い出し、小夜は一人合点した。魔法を行使することで歪んだ周囲の精霊たちの動きを浄化して均一化、もしくはツァニスの周囲に高密化するということらしい。その反動で、周囲の魔法士は魔法を使えなくなるし、発動していた魔法も無効化される。


(あ、だから敵は二人とも魔法を使えなかったってこと?)


 ルキアノスに抗おうとしてきょとんとしていた男の様子を思い出す。今も、二人はルキアノスとエヴィエニスの兄弟にそれぞれ拘束されながら、抗う様子はない。

 などと見ていると、セシリィが一人で椅子に腰を移そうとしていた。慌てて介助の手を伸ばす。

 その後ろで、ツァニスが立ち上がった。


「それでもあなたは出来るでしょう?」


「何故おれがいつも以上に懇切丁寧に祈らなければならない?」


 イデオフィーアが実に嫌そうな声を上げる。どうやら頑張ればできるらしいが、余計に頑張りたくはないらしい。


(『やることやったらとっとと出てって』って、そういうことか)


 開口一番の悪態の意味がやっと理解できた。外見十四歳のイデオフィーアと二十六歳のはずのツァニスの力関係は理解できないままではあるが。


「では、私はそろそろお暇した方が良いのでしょうか?」


 最大の功労者のような気もするが始終申し訳なさそうにしているツァニスの申し出に真っ先に反応したのは、小夜であった。


「えぇっそんなもう少し!」


「では予定通り、こいつら二人を連れて行ってもらえますか」


 ルキアノスが何もなかったかのように事務的に答えた。その時、扉の向こうに二つの人影が現れた。


「では僕が取次ぎをしようか」


 老執事セルジオに車椅子を押してもらった王弟イリニスティスである。


「叔父上! どうしてこちらに」


「フィイアに教えてもらったんだ。物音が落ち着くまでは降りてこないようにって」


「おれはずっと降りてこなくていいって言ったんだけど」


 にっこりと微笑むイリニスティスに、イデオフィーアがすかさず文句を言う。だがそれには笑みを深めるだけに留めた。

 代わりに、ルキアノスが諫言する。


「まだ危険です」


「そうかな? でも、どうやら国防に関することのようだし、なるべく早く陛下に伝えた方がいいだろう?」


「それは、そうですが……」


「ルキアノスには、まだ仕事があるんだろう?」


 まだ渋る甥に、イリニスティスは意味深長に問いかける。それで、ルキアノスは意思を決めたようだ。


「……では、お言葉に甘えて、お願いします」


 目顔で頷くルキアノスに笑顔で応えて、背後に立つセルジオに幾つか耳打ちする。

 新たな人物が現れたのはその時であった。


「お、やってるな?」


 まるで祭りに遅れて参加したような口振りを見せたのは、クィントゥス侯爵家次男クレオンである。なぜか、遠目でも脂汗が凄い小太りのおじさんを連れている。

 ツァニスと同じような装いをしていることから、聖職者だろうとは分かるが。


「……誰?」


 小夜には初めて見る顔であった。


(そろそろ新登場にはお腹一杯なんだけどなぁ)


 王弟殿下の離宮の応接室とはいえ、無尽蔵に収容できるわけではない。しかし無関係な人物と思っているのは小夜くらいのようで、ルキアノスなどはにやりと悪役のように口許を歪めていた。


「お待ちしておりましたよ、ニコラウ司教」


「……っ」


 ニコラウと呼ばれた男がびくりと体を揺らす。だがクレオンに腕か腰でも取られているのか、それとも司教としての矜持か、足を下げることはなかった。

 代わりに、咳払い一つ、人前に出ることに慣れていると分かる顔を作った。


「こ、これはルキアノス殿下。ご無沙汰しております。しかし用件もおっしゃらず、突然こんな場所に連れてこられては困りますな」


「おや、お伝えしなかったですか? それは申し訳ない。使いに出した者が阿呆な大間抜けだったようです」


「むむ。それは俺のことか?」


「どうぞ、お掛けください……と言いたいところですが、無事な椅子はなさそうですね」


 クレオンを無視して椅子を進めたルキアノスだが、どれも焦げたりビリビリに刻まれて綿が出ていたりと、とても客の座れるものはない。


「椅子など結構だ。用がないなら帰らせてもらう」


「では早速ですが、書類は持ってきていただけましたか?」


「……何だと?」


「それが司教殿を急かしてしまってな。代わりに俺が持ってきた!」


 はっはっは! とクレオンが得意満面に代弁しながら、何やら薄い冊子を取り出した。何故司教の書類をクレオンが持ってくるのか因果関係がさっぱりだが、そこに疑問を抱くのは小夜だけだったらしい。


「まぁ。さすがクレオン兄様!」


「ななな、何でそれが貴様の手に!?」


 満面の笑みで手を叩くセシリィの後ろで、ニコラウが大いに狼狽する。そしてルキアノスの顔はますます悪人面になった。


「十九年前の会談の資料で間違いないですね? もしくは、ヒュベル王国からの第一次侵攻作戦への出動許可を装った予算資料、と言った方が良いでしょうか」


 馴染みのない単語がつらつら並ぶ台詞に、やはり小夜だけがぽかんと首を傾げる。一方、ニコラウの顔色はどんどん蒼白になり、更にもう一人、無関係なはずの人物が声を上げた。


「…………十九年前? ニコラウ?」


 今まさにセルジオの呼んだ警備の人間に引き渡されようとしていた男――イエルクである。


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