ゲームのように
光が収束しても、視力はすぐには回復しない。その数秒で、何もかもが起こった。
「セシリィ!? ファニ!?」
どうにか薄目を開けて、まだぼんやりとした視界に二人の少女を探す。椅子から立ち上がって、いたはずと思う辺りに手を伸ばす。けれど何にも触れなかった。
「きゃあ!?」
ガタタンッ、と何かが倒れるような大きな音がして、ファニの悲鳴がまず聞こえた。
そして。
「………さ、よ……逃げ……」
セシリィの喘ぐような声が、足下から聞こえた。小夜は迷わずその場にしゃがみこんだ。
「セシリィ! どこ!」
「……ばか……だめよ……」
声を便りに床に這いつくばって手を滑らせる。そうすればすぐにセシリィの滑らかな髪に指先が触れた。ぼやける視界に捉えた体を慌てて抱き寄せる。
「何が……何をしたの!?」
何が起こったのか、小夜にはまるで分からない。それでも、セシリィがファニに何かをしたのだということは分かった。それでも光に消える直前に見たセシリィの苦しげな表情ばかりが気になって、ファニにまで気を回せなかった。
実際、腕の中のセシリィは息も荒く、体は焼けるように熱い。どう見ても大丈夫ではない。
(応急救護の実習は中学校でも自動車学校でもやったけど! 心停止してない人には何すればいいのよ!?)
まずは声をかけると言われても、苦しそうなセシリィを無駄に喋らせるのさえ嫌だった。
だがそんな悠長なことを考えていられたのも、そこまでだった。
「私も知りたい。これはどういうこと?」
「!」
低められた女性の声がすぐ背後から上がり、と同時に首筋にひやりとした何かが当たる。一瞬風が吹いたのか、それともまた刃物を当てられたのかと思ったが、ちらりと見えた視界には女性の手しか見えなかった。
(人? いつの間に)
「申し訳ありません。どうやら、発動時に術式を捻じ曲げられたようで」
驚く小夜の前で、また新たな声が割り込んだ。今度は低く掠れた男のものだ。やっと視力が戻ってきた目で声の方を見る。そこには、ファニがいた。
「……何を……」
問うてすぐ、違うと気付く。ファニの背後にその男はいた。左手でその細い両手首を拘束し、右手に持った短剣でその折れそうな首を捉えている。
「ファニ……」
「聖泉の乙女だけを喚び寄せるはずだったのに、それを強引に反転させたようですね」
ファニを捕らえたまま、男が続ける。小夜には何のことを言っているのかさっぱりだったが、狙いがファニであることだけは分かった。
(命を、狙って……?)
確か前回に来た時も、ファニは命を狙われたことがあるようなことを言っていた。もしそうだとしたら、小夜に出来ることなどない。セシリィが倒れたせいか、ゲームの製作を罵る頭もなかった。
(違う、そうじゃない)
小夜は、セシリィが倒れる前の言葉を聞いていた。聖泉の乙女よと、そう言ったのだ。それは、つまり。
(セシリィが、下手人を引き入れた?)
まさに、あのゲームのように。
そう考えた途端、肌が粟立った。恐怖か、後悔か。
ゲームなら、ヒロインは殺されない。だが、ここは現実だ。嫌になるほど面倒臭くて、知らない事情がいっぱいあって、セシリィの体は熱くて、緊張で喉が乾く、生々しい現実。
(……待ってよ、それはダメだって)
とりあえず話し合おうよ、と笑って言いたかった。でも何故か、声がでない。そうしている内に、すぐ下から空気が漏れるような嘲笑が溢れた。セシリィである。
「わたくしの体に……完成度の低い、術式なんか、入れるからよ……」
その声は十分に馬鹿にしていると分かるけれど、あまりに弱々しかった。
「その完成度の低い術に抗ったせいで、死にそうだというのによく言う」
背に立った女が、吐き捨てるように見下す。その声に、小夜はふと、聞き覚えがある、と思った。だがその先を考えるよりも先に、男が目だけでセシリィを一瞥して口を開いた。
「生憎、魔法は門外漢でしてね」
いやいや使ってんじゃん、と突っ込むには、その男の顔は気味が悪いほど生気がなかった。だというのに灰色の目だけが恐ろしく強い。その理由を、小夜はすぐに知ることになった。
「ですが丁度良かったかもしれません。全員殺すことは、最初から決まっていたのですから」
そう、男はうっそりと嗤った。
◆
その光は、エヴィエニスたちのいる庭にまで届いた。
「――光?」
真っ先に気付いたのはレヴァンであったが、先に駆けだしたのはエヴィエニスであった。
(くそ、今はファニか!)
光が発生したのはファニたちのいる応接室からだった。真っ先に浮かんだのはイリニスティスだが、彼はファニと入れ替わりで既に自室に戻っている。イリニスティスのことを心配するのは私情だ。
レヴァンは一拍遅れてエヴィエニスの後に続いた。
「ファニ!」
「馬鹿!」
けたたましい音と共に扉が蹴り開けられる。王太子を安全確認出来ていない場所に先に入れるなど言語道断だったが、罵声は何の制止にもならなかった。だが護衛対象は入ってすぐに足を止めた。これ幸いとその前に体を滑り込ませると同時に抜剣する。
そして、困惑した。
「……どういうこと?」
室内には、残した女性三人が確かにいた。椅子が一脚倒れているが、それ以外に酷く荒らされているということもない。だがファニは椅子から立ち上がった状態で硬直して蒼褪め、小夜はその足下に座り込み、倒れて意識のないらしいセシリィを抱きしめている。
問題は、意識のある二人の後ろに立つ二人の男の方であった。
(いや、一人は女か)
ひょろりと背の高い痩躯の男はファニの背後に立ち、左腕でその細い両手首を拘束し、右手に持った短剣でその首筋を捉えている。もう一人の女は、セシリィを抱く小夜の首筋に揃えた指先をただ当てていた。二人とも三十代だろか。どちらも白っぽい髪をしているが、男の方は白髪かと思うくらい老けて見える。
いつ、どこから侵入したのか。この屋敷はイリニスティスのために前庭は最低限で構成され、離れもない。賊が侵入するとしたら、先程の庭から目につかないはずがない。
不可解なことだらけだが、この状況はどう見ても。
「エヴィ……来ちゃダメ……!」
男に拘束されたまま、ファニが声を震わせる。
ファニは王族の血が濃く、魔法も強い。だがこの屋敷に入る条件として、魔法を使えないようにその体に術式が施されていた。それに、クィントゥス侯爵邸での悪女ぶりが必死の演技だったと、レヴァンは知っている。ファニが後ろの男たちと結託してエヴィエニスを害そうとしていると考えるのは、穿ちすぎであろう。
何よりその姿は、無駄にこじらせた男の怒りに火をつけた。
「貴様ら、何をしている……!」
レヴァンのすぐ背後で鋼が鞘を擦る音が上がる。この距離でそれは危険だろうとは思ったが、レヴァンは左に一歩ずれることで文句に変えた。
「ファニから手を離せ」
同じ状態にある小夜には目もくれず、エヴィエニスが剣先を男に向ける。怒気が溢れて、嫌でもレヴァンの背筋を冷たくした。
エフティーアがいない分、エヴィエニスを抑え、守るのはレヴァンの役目だ。そして戦況を分析し、最悪の事態になった時に次善策に移行する時機を見極めるのも。
(敵の狙いはファニ。セシリィは……敵味方、どっちだ? 小夜は……)
切り捨てるなら、最初だ。
そう、レヴァンがこの次の次の動きを決めた時、男が溜息のような憎悪を零した。
「その顔……あの悪魔と、瓜二つだ」
(悪魔?)
悪魔と呼ばれる、エヴィエニスに似た者。それに、レヴァンは心当たりがあった。だがその姿を見た者は十九年前のあの日、皆あの城で絶命したはずだ。あの時の彼の目的はただ一つ、敵を殺すことではなく、愛しい者のもとへ一刻も早く戻ることだったから。
「貴様ら……目的は俺か」
「そうとも言えるし、違うとも言えます」
怒りが一層増大した声に、男は口元を歪めて答える。笑ったのかもしれないが、とても笑みには見えなかった。
「ファニを返せ」
「それは出来ません」
ファニのことしか見えていないエヴィエニスが交渉していては埒が明かない。レヴァンは嫌々ながら口を挟んだ。
「要求はなんだ」
「聖泉の乙女を頂くこと。そして王族の死です」
やっと物の分かる者が現れたとでも言うように、男が即答する。この状況そのままだ。聞くだけ無駄だったようだ。
男を捉えたまま、背後のエヴィエニスに囁く。
「殿下。外に出て、叔父上と共に避難してください」
「……殺す」
一応護衛としての本分から告げたのだが、聞いちゃいなかった。
(『頂く』って、そういうことじゃないと思うんだけど)
純情をこじらせた男は、驚いたことにファニに指一本手出ししていない。だからこそ余計に、逆鱗に触れたのだろう。
(あーもー面倒臭いなあ!)
背後でエヴィエニスが音もなく足を踏み出す。その瞬間に合わせ、レヴァンも駆けだした。打合せもないまま、両側から斬り込む。その横っ面に嵐が起きた。




