いざ来ませ
「書面で届いている報告は以上です。旧ヒュベル王国領での出入りについても資料に纏められていますが、大きな変化はないようです」
子供の頃から仕えてくれている執事のセルジオが、選り分けた書類の内容を丁寧に説明してくれる。イリニスティスは要職に就いているわけではないから、決裁などの必要な書類はごく僅かだ。恐らく、エヴィエニスよりも少ないだろう。
「ですが、王妃殿下からの内密な報告によると、一月程前、城へ侵入された形跡があったと」
「確か、七ヶ月くらい前にもそんなことがあったよね?」
上から順に書類に目を通しながら、イリニスティスが問う。伯父ハルパロスの一族と、ヒュベル王国の残党についての動向は、姉を通して国王に情報を貰えるよう頼んでいた。そこにはレヴァンの母についても含まれている。
事件に関係することを聞くのは辛いのでは、と配慮もしてもらったが、イリニスティスは当事者として知っておきたかった。あの時のまま、何も知らずに襲われ、助けられるだけの子供ではいたくなかった。
「はい。その時も、侵入されただけで、盗まれたものはないとの報告でした」
十九年前の第二次聖戦奪還戦争でヒュベル王家は途絶し、国土はシェフィリーダ王国の統治下となった。王家の居城であるアルテリア城は戦時中に半焼したが今は再建され、現在はシェフィリーダの辺境伯が入城している。
報告でも書類上でも、治安は大分安定している。占領時には多かった賊も、十九年経った今はあまり聞かなくなった。その中で城への侵入は、イリニスティスには随分目立つように思えた。
加えて。
「そういえば、ファニとエヴィエニスが狙われたというのも、その頃じゃなかったっけ」
「賊侵入の件からは、約一月後ほどの事だったかと記憶しております」
「ふぅむ……」
エヴィエニスは父である現国王テレイオスの即位が即位だったため、伏在的な敵が多い。命を狙われることも少なくなかった。だがあの時は、ファニもまた狙われたと聞いた。
「少し、気になるね」
「警備を増やしますか?」
「それは出来ないだろう?」
主の身を心配するセルジオに、イリニスティスは苦笑しながら否定する。イリニスティスの周囲にはその立場上の問題から、最低限の人間しか配置されていない。一人増やすだけでもあらぬ疑惑を持たれてしまう。
セシリィに同行した侍女から受けた人員要請も、エヴィエニスの管理下から手配することになる。
「調べるだけでいい。僕には、君たちがいるから平気さ」
「……御意」
セルジオが、愁眉の中に少しだけ面映ゆそうな色を滲ませる。イリニスティスは悪いと承知しながらも、その顔を見るのが好きだった。
◆
「もう少し……もう少しだ……」
その呟きは、宿の外から響く喧騒に掻き消えそうなほど微かであった。洗っても落ちない汚れが染みついたシースの張られた寝台に腰掛け、もう何日もそんな風にしている。
「イエルク兄様。少し、休まれては」
宿に戻ってきた女は、その姿を痛ましく見つめながら、そっと声を掛けた。男は三十代後半のはずだが、その頬は面やつれし、ともすれば十歳以上老けて見える。そんな中で、傷だらけの床を睨む灰色の瞳だけがぎらぎらと血走っていた。
「……ラウラ様」
男が、やっと気付いて顔を上げる。その顔に、唯一の味方を見た安堵はない。女は男が何かを言う前に、男が反応しそうな話柄を選んで口にした。
「……本当に、来るのかな」
言った後で、その声にそんな希望は半分も混ざっていないと気付いたが、男には気取られなかったようだ。女を認めた瞳に僅かに柔らかさが戻る。
「あぁ、心配いりません。本人は無自覚でも、私の力には逆らえない」
「その時には、全員殺すの?」
「勿論ですとも。殺せるものは全員殺す。それでも、足りないくらいなのですから」
男が、にこりと笑う。姉と共に三人でいた頃よく見せた穏やかな笑みで、それが彼の本質だと、女は今も信じている。けれど憎悪に淀んだ瞳だけはそのぎらつきが消えず、余計に異様でもあった。
(兄様はまだ、姉様のことを忘れられない……)
どんなに時間が経っても、取り戻すことができないと分かっても、男は姉を見ている。婚約者でもなく、ただの幼馴染で護衛で、あの城にいてもいつか必ずこんな日は訪れた。それを知って尚、男は諦めきれない。
(……それは私もか)
零れた自嘲に首を振って、男から顔を逸らす。すると窓硝子に映った自分の顔が見えた。厚みの斑な歪んだ安ガラスに映る自分の顔は、醜く歪んで、それなのにいつも姉の面影を思い出させる。けれど今は、広場の噴水前で見た女性が先に脳裏に浮かんだ。
(少し、クラーラ姉様に似てた)
けれど姉は三つ年上だ。あの女性は年下に見えた。目の色も髪色も違うし、何より、姉のように滲み出る気品がなかった。
(姉様なわけがない)
姉は、逃げる途中で足を射抜かれ、自力で歩くのも限界だった。慣れない山道で足を踏み外し、そこに追っ手が来た。二人は、姉を見捨てて逃げたのだ。
そのことを、二人は今も後悔している。
(兄様に見付からなくて良かった)
再び顔を俯けて沈黙した男の横顔を盗み見ながら、女は荒んだ気持ちで安堵する。それが狡くて身勝手なものだとは、十分承知している。それでも、あともう少しというこの時期に、会わせたくはなかった。会えばきっと、男は目的を見失ってしまう。それを目の前で見るのは、もう嫌だった。
(終わりにしたい。早く、早く……)
それが物語のように幸せな結末でなくてもいい。ただ、終わることだけを願った。
◆
「それで、セシリィは何が知りたかったの?」
少々の居たたまれなさから、小夜は誤魔化し笑いと共に話題を元に戻すことにした。
小馬鹿にされながらもそれに乗るだろうと思っていた小夜は、返された反応に小さく驚いた。
「何、とは……?」
きょとん、とセシリィが小夜を見返す。頭の回転の早いセシリィにしては、その反応は貴重といえたが。
「え? だから、ファニに聞くんでしょ? 十九年前のこと」
「十九年前……」
「セシリィ?」
小夜の言葉をオウム返しにするセシリィに、小夜は再び言いようのない緊張が生まれるのを感じた。ファニを再び見た時と同じ、それは不安であった。
(なんで?)
『セシリィを監視してくれないか?』
ふっと、クレオンの言葉が脳裏をよぎる。不安が、訳もなく膨らむ。だが小夜が何かを言う前に、セシリィがこめかみを押さえながらファニを見た。
「……えぇ、そうよ。聞きたいことがあったの。資料を見ていて、気になったことがあって」
「……何でしょう」
どこか痛みを堪えるように表情を曇らせるセシリィに、ファニも怪訝ながらも心配するように問い返す。その時には、セシリィの表情は元に戻った、ように見えた。
「戦争が始まる前、開戦派と保守派とで度々議論が荒れたとあったけれど、その時期にあなたのお屋敷にもお客が来なかったかしら?」
「お客様は……沢山ありました。あの頃の私は世情に疎く、家族のこともろくに見えていませんでしたが……。今思えばその頃既に、父と兄は開戦派でしたから」
開戦派と保守派というのは、いまだ聖泉が中立地帯だった頃、徹底的に戦って聖地を取り戻すべきと主張する派閥と、その必要はないとヒュベル王国との和平を維持しようとする反戦派閥との対立だ。ファニの父である王兄は開戦派の筆頭で、神殿は中立としながらも水面下で開戦派に与していることは公然の秘密であった。
それでも当時の宮廷は僅かながら保守派が強く、国王もまた静観を望んでいた。だが国王が病がちになり、そのバランスが崩れた。それらの動向を、当時十五歳だった貴族の娘に理解していろというのは、少々酷な話だろう。
だがセシリィが知りたいのは、そんなことではなかった。
「その中に、神殿の者がありませんでしたか?」
「神殿?」
ファニが繰り返す。小夜はいよいよ不安が強まった。
「そう、神殿からの使いです。名前が分かれば一番ですが、とにかく、来ていませんでしたか」
「神殿の方が来るなんて……あ、でも、父と話しているのを一度見たような」
「それは誰?」
「誰とまでは……ただ、兄と話している時に、『聖職室の方が』と、言っていたような……」
「聖職室」
今度はセシリィがその単語を繰り返す。聖職室が何を意味するのか小夜には分からなかったが、小夜は耐え切れずに口を挟んでいた。
「セシリィ、もう」
帰ろう、とドレスの裾を引く。それを、セシリィがすっと避けた。
「?」
「えぇ、聞きたいことは知れたから」
言いながら、セシリィが立ち上がった。だが用事が済んだからとすぐに離席するなど、セシリィらしくない。
「セシリィ?」
「セシリィ様? 一体何をお知りになり」
小夜に続き、ファニもまた難しい顔をして立ち上がったセシリィを見上げる。だが言葉はそこで途切れた。セシリィが、戸惑うファニの頬に手を伸ばしたからだ。
「……セ」
ファニが、困惑とともにもう一度名を呼ぶ。その前に、セシリィが呟いた。襲いかかる苦痛に美しい顔を青白く歪め、額に冷や汗を浮かべながら。
(何かを、堪えてる?)
逸る胸の中で、そんなことを思考する。けれど何も言葉にはならなかった。
「いざ来ませ。『聖泉の乙女』よ」
瞬間、暴力的なまでの光が室内を飲み込んだ。
勢いと適当で書き続けた結果、エピソードを入れる段階を間違えた、とこんなところで気付きましたが、後の祭りでした……。
が、なるべく投稿済みのものは改訂しない方向で頑張ります(言い訳でした……)。




