誰を睨んでいたんだか
「……初めてお目にかかる方がいらっしゃいますね」
ファニが現れるまでと、三人で和やかに甘味を嗜んでいた所に、その声は訪れた。それは扉を開けたセルジオへ向けての言葉だったようだが、小夜の耳はすぐさま反応した。
「良い声!」
「……ん?」
口にタフィーを含んだまま、口が勝手に動いていた。遅れて視線が飛ぶ。
セルジオに促されて室内に入ったのは、赤みがかった茶髪に少し垂れ気味の碧眼の美形であった。普段はにこにこと愛嬌のある顔立ちだが、今は警戒しているのか、少し険がある。
それでもその鼻にかかったような、少しだけルキアノスに似た少年声の良さは変わらない。
レヴァン・マクリス。エヴィエニスの護衛であり、ファニと同じくイリニスティスに保護監督されている元王族でもある。
「なんか……今、既視感が」
「やぁ、僕のやんちゃなレヴァン。君も一緒に食べよう」
考えるレヴァンに構わず、イリニスティスがおいでと手招きする。レヴァンは一礼してから傍らに立つと、困惑顔でこう進言した。
「……叔父上、人前でそれは」
「うん? あぁ、恥ずかしかった? すまなかったね。君も年頃だものな」
しゅん、とイリニスティスが肩を落とす。犬だったら確実に耳が萎れているような落ち込みぶりである。それを見て、レヴァンが呆気なく罪悪感に折れた。
「……いえ、大丈夫です」
そんなやり取りを、小夜は引き続きお茶をすすりながら眺めていた。
「なんか、レヴァンの雰囲気が違うね?」
「レヴァンはイリニスティス様が育ての親ということもあって、頭が上がらないのよ」
前国王に対し謀反を起こした王兄の孫であるレヴァンは、その立場から二歳から母と離れイリニスティスの下で育てられた。実の父の仇とも言える間柄かと思っていたが、どうやらそんな心配は杞憂だったようだ。
(グレて一周回ってチャラ男になったのかと思ったけど、違ったみたい)
などと失礼なことを考えていたら、目があった。
「こちらの方は?」
「小夜だよ。レヴァンも知っているだろう?」
レヴァンの警戒に、イリニスティスが明るく答える。途端、レヴァンの双眸が見開かれた。
「小夜って、あの時のセシリィ嬢の中にいた?」
「えぇ。あの時はお世話になりました」
ティーカップをテーブルに戻し、再び立ち上がって一礼する。その手を、慣れた手つきで掴まれた。顔を上げると、すぐ目の前にレヴァンの整った容貌があった。近い。
「わお! 戻って来てるとは聞いたけど、本当だったんだね。僕のこと覚えてる?」
「はい、勿論です。その耳に心地よいお声、忘れるはずがあません」
「こんなに可憐なお姉さんだったとは嬉しい誤算だな。ねぇ、こんな誤算を減らしていくために、今度食事を一緒にどう?」
好奇心から一転、艶を乗せた声色でレヴァンが囁く。だがそれが出会った女子は漏れなく口説くが信条の女の子大好き設定によるものだと知っている小夜は、まるで狼狽えることなくうむうむと噛み締めていた。
「この流れるような軟派な文句。耳が喜んでおります」
「やっぱり会話噛み合ってない。懐かしいなぁ――あっち!」
にこにこと手を繋いでいたレヴァンが、突然その場で飛び跳ねた。小夜の手を放し、飛び退って距離を取る。その視線の先にいるのは、
「小夜から離れてくださる?」
カップを傾けた姿勢で微笑するセシリィであった。熱々のお茶をレヴァンの足にわざと零したらしい。レヴァンがひくり、と頬を揺らす。
「セシリィ嬢。僕はただ挨拶を」
「常識が違う人間との議論は遠慮しているわ」
「うーん。そのつれなさもまたいいよね。セシリィも一緒に食事」
「早くファニを呼んできてくださる?」
何がなんでも単語を三つより多く聞きたくはないのか、セシリィが容赦なく遮る。レヴァンは怒るでもなく肩を竦めると、先行した意義を果たすために扉へと踵を返した。
その背を見送りながら、小夜は勿体ないと呻く。
「ダメだよ、セシリィ。話は最後まで聞かないと折角の美声が」
「礼儀と道徳の皮を被った欲望が透けてるわよ、小夜」
「げふんげふんっ」
いけない。本能のままに喋るとつい余計な言葉が漏れてしまう。
そんなやり取りを、イリニスティスはやはりほくほくと眺めていた。まるで子供の成長を喜ぶ親のように。
「仲良しだなぁ。僕は嬉しいよ」
柔らかく目を細める。その時、三度扉が開かれた。
「失礼します」
可愛らしい少女の声。振り向くと、落ちていたさらさらの黒髪が、その白い頬に戻るところであった。ゆっくりと、つぶらな瞳が開かれる。現れたのは、紺に金の光が散ったような、宇宙を思わせるラピスラズリの瞳――聖泉に逃げ込んだことで生来の色味と変わってしまったという、ファニである。
そしてその後ろには、まるで番犬のごとく控える青年がいた。見事な金髪に、南国の海を思わせる濃い碧眼。高い鼻梁もシュッとした頬も、記憶力にあるよりもどこか鋭く、以前よりも硬質な印象が強い。それは半年の間で大人へと成長したためか、それともやつれたと表現する方が正しいのか。どちらとも言いがたい、王太子エヴィエニスその人である。
「僕の親愛なるファニ。君にお客様だよ」
イリニスティスが優しく手招く。その声に、小夜は一瞬自分がなぜか緊張していることを自覚した。理由は分からない。だがそれは内心で首を捻れば消えるようなもので、ファニがイリニスティスの側に来る間にすっかり霧散していた。
「ありがとうございます、イリニスティス様」
ファニが、どこかぎこちない笑みで一礼する。それからセシリィと小夜に向き直り、深くお辞儀した。
「セシリィ様。お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いえ。急に来たのはわたくしですもの。構いませんわ」
セシリィが余所行きの笑顔で応える。その横顔からは、ファニにどういった感情を抱いているかは分からない。
「それから……あなた様が、小夜さん、ですか?」
「はい。ご無沙汰しております」
場の雰囲気に合わせ、マナーにのっとって挨拶を返す。だがその丁寧な物言いが、ファニの中の小夜と合致しなかったらしい。緊張と警戒の中に、少女らしい戸惑いが見える。
小夜はそっかと、にっと笑って口調を元に戻した。
「また会えたね。また世界が突然変わったからびっくりしちゃったよ」
「っ、はい! 私も会えて嬉しいです」
パッとファニの頬に赤みが戻る。『世界が突然変わった』者同士というのは、前回小夜がファニとの別れ際に使った言葉だが、覚えてくれていたようだ。小夜も素直に嬉しくなる。
だがそれを、ただ喜ばしいと見てはいない者がいた。
「エヴィエニスも、そんな所に立っていないで、こちらにおいで」
扉付近で猟犬のような顔をして直立していた甥に、イリニスティスが穏やかに呼びかける。一体誰を睨んでいたんだか、と考える時間があるくらいには長考したあと、エヴィエニスはファニが腰掛けるであろう椅子の後ろに移動した。
それを苦笑とともに見守って、イリニスティスは「じゃあ」と言続けた。
「僕はそろそろ行くね。喧嘩はダメだよ?」
まるで幼い子供たちに言い聞かせるようにウィンクをして、部屋を去っていく。代わりにレヴァンが扉の前に立ち、かと思えばさりげなくエレニの隣を確保している。
(いや、セシリィの後ろなのかな?)
だがさっそくエレニににこやかに話しかけているところを見ると、真偽はすぐには下せそうにない。何より、目の前にはもっと気になる人物がいる。
「セシリィ様。ご無事にお戻りになられて、本当に良かったです。体調などはいかがですか?」
そのオーラを感じ取っているのか否か、テーブルを挟んで向かいに座ったファニがなごやかに話し出す。
「えぇ、平気よ。今はルキアノス様の手配で、監禁場所から捜索の手が広がっているわ」
「では他のお三人方も……」
「いえ。それは、犯人が別にいるかもしれないという見方が出て、同時に捜査中よ」
「そう、ですか……早く見付かるといいですね」
喜色を見せたファニだったが、セシリィの意見に痛ましいほど気落ちしてみせる。その顔に、小夜はおや、と思った。
「もしかして、知り合いでもいた?」
「あ、いえ、そういう意味では……」
「あぁ、そっか。家族と離れ離れになるのは、心細いもんね」
笑顔に戻して首を振るファニがそれでも悲しそうに見えて、小夜はそうかと思い当たる。状況も理由も全く違うが、ファニもまた突然家族と引き離されたのだ。自分に重ねてしまうのも無理はない。
と思ったのだが、何故か凄い勢いでエヴィエニスに睨まれた。
(なぜに?)
エヴィエニスにファニの話題を振らないとは決意したが、目の前で会話することもNGなのだろうか。
前回の失敗で恐らく嫌われただろうとは予期していたが、嫌うならせめて表情ではなく声でお願いしたい。
だがそんな願いが阿呆らしくなるくらいには、ファニが少しだけ肩の力を抜いてはにかんだ。
「小夜さんには、何でもお見通しですね」
その戸惑うような控えめな苦笑に、もしかしたら、謀反人の家族として逃げた立場から、そういった感情は隠していたのかもしれないと気付く。
「ごめん、またもやずけずけと……」
「いいえ、そんなことありません。その……嬉しいです」
複雑な立場への配慮が全く出来ない小夜に、ファニはあどけなく首を振る。若い子にそう言ってもらえると、大人は嬉しいものだ。上からの視線は依然痛いが。
「それで、今日はどんなご用件でしたか?」
ファニの問いかけに、セシリィは形作った笑みはそのままに、単刀直入に切り出した。
「十九年前の戦争が始まる前のことで、覚えていたら教えていただきたいことがあったの」




