どっちもどっち
セシリィの目が覚めたのは、まだ日が沈むには早いが、それでももう夕さりの気配を感じる頃であった。
軽食を食べ、着替え、髪を自分で整え(とかしたのは小夜だが、途中から不器用さが露呈して櫛を奪われた)、寝ていた間に起きたことを確認する。
それから、学校側へも無事戻ってきたことを報告するために、書状も出した。ルキアノス名義でも既に出されているが、セシリィから直接の迷惑をかけた謝罪と感謝を述べ、後日面会の時間を取ってもらう旨を記した。
「このあとは侯爵邸に帰る?」
筆記具を片付け、エレニに手紙を託したセシリィに、小夜も片付けを手伝いながら問う。父であるクィントゥス侯爵が心配していた次兄クレオンとの接触は既に果たしてしまったが、娘の無事は誰よりも早く知りたいだろう。
だがその気遣いに反し、セシリィは首を横に振った。
「それよりも、第二次聖泉戦争のことで少し分かったことがあるから、ファニに相談したいのだけれど」
「ファニに?」
突然出てきた名前に、小夜は手を止めて振り返る。確かに、セシリィは行方不明になるまでそのことを調べていたようだが、セシリィの性格上、そのことを他者に――ましてやファニに相談することはいような気がするのだが。
「ファニに関係のあることなの?」
「えぇ、それはそうよ。その中で、一つ確認したいことがあって」
「ダメだ」
言いながらも早速出かけようとしていたセシリィを、第三者の声が呼び止めた。ノックもなく扉を開けたルキアノスである。
迷いなく動いていたセシリィの手が止まる。ドア枠に背を預けて腕を組むルキアノスに、セシリィは碧眼を細めて向き直った。
「危害は加えないわ」
「それでもダメだ」
ルキアノスが間髪容れず拒絶する。反論の第一声がそれってどうよ、と思ったのは、どうやら小夜だけらしい。
それくらい、対ファニに関してはまだまだセシリィは危険人物扱いらしい。
睨み合うように牽制し合う二人に、小夜はどうしたものかと思いながら口を挟んだ。
「だったら、私も一緒についていくのではいけませんか?」
「小夜が?」
「はい。私もまだファニに会えてないですし。癇癪起こさないように見張っていればいいですよね?」
「誰が癇癪を起こすのよ! ルキアノス殿下ではあるまいに」
「オレを引き合いに出すな!」
どっちもどっちだ。とは、賢明にも口をつぐんだ。
◆
結論から言えば、ルキアノスが引き下がることで決着した。
一旦クレオンに現場の確認を引き継いで戻ってきたニコスにお茶を飲む時間だけを与えて神殿に向かわせていたルキアノスは、回答を持ち帰るニコスにまた指示を出す必要があったし、クレオンもまた一段落したら報告に戻るはずである。
長くなるかもしれない、と断ったセシリィに頑としてついていくと言い張るには、ルキアノスには仕事が多すぎた。
代替案として、エレニを同行させることで話はまとまった。
ちなみに言うと、ファニのところには王太子エヴィエニスもいる。物理的な意味で。
そのため、ルキアノスが学校にまで付き従えている最低限の人員では今の仕事量をカバーするのが難しいということもあり、エヴィエニスの人員の拝借を具申する目的もある。
「付き合わせる羽目になってごめんね、エレニ」
寮を出るまでの時間で、やっと自分がセシリィの中にいた異世界人であることを説明できた小夜は、改めて純損失を被った侍女に謝罪した。
エレニもアンナも半年前の事情については一応説明があったらしく、小夜の馴れ馴れしい態度にも何とか不審な目を向けないでくれた。
「いいえ、小夜様。これは早晩発生する仕事でした。でなければニコスが倒れて……アンナが仕事を放棄してしまいます」
そばかすが愛嬌のあるエレニは、優しげな目元を更に優しく和ませてそう首を振った。その福福とした表情から、エレニも同僚たちを姉のような気持ちで見守っているのだと知り、小夜はつい嬉しくなった。
「放棄したことあるの?」
「一度だけ」
くすり、とエレニが苦笑する。
それはアンナが専学校を卒業して宮廷に行儀見習いに上がってすぐのことだったらしい。その時はルキアノスはまだ全学校で、ニコスが片付ける問題はほとんどルキアノスとレヴァンが元凶だったらしいが。
「今とはちょっと理由が違ったのですが……ともかく大変でした」
「その話、面白そう」
「はい。ですがアンナが聞くと機嫌を損ねるので、本人には内緒です」
口の前に人差し指を立てるエレニに、小夜の好奇心がむくっと湧く。だが今は、それよりも気になることがあった。
「それはそうと、セシリィとルキアノス様が仲悪いのって、私のせいかな?」
先をずんずん進むセシリィに聞こえないように声をひそめる。だがそれは無駄な努力であった。
「どうしてそんなことをエレニに聞くのよ」
自分の話題だと耳敏くなるのかどうか、セシリィが歩調を緩めて振り返った。小夜はぎくりとエレニと顔を見合わせる。
セシリィは、小夜がいなくなったあとも自分から侍女二人に仕事の手解きを頼むなど、積極的に交流をはかっていた。そのためエレニも、セシリィの文句が不機嫌によるものではないと知っている。
エレニは苦笑と共に、セシリィの横へと促すように掌を向けた。
小夜も仕方なく、セシリィの横に並ぶ。
「だって、何だかさっきもピリピリしてたし……二人って元々どんな感じだったのか知りたくて」
「別に、普通よ。ルキアノス殿下と一緒に行動することは、今までほとんどなかったわ」
「そうなの?」
「だって、理由がないじゃない」
「ないんだ」
想像とは随分違う塩対応であった。ということは、二人の関わりが増えたのはファニが現れてからだろうか。だがその話柄は中々にデリケートなので、指摘することはやめておく。
「じゃあ、やっぱり婚約の噂は本当じゃないの?」
「婚約? 何のこと?」
怪訝な顔をするセシリィに、寮生会で聞いた話を説明する。すると案の定、大いに呆れられた。
「下らないにも程があるわね。第一王子に婚約破棄された女が第二王子と、と考えることも非常識だけれど、それ以上にどうしてわたくしがあんな男と噂されなくてはならないの」
「そこまで!?」
酷い言われようであった。自分で振った話題ながら、ルキアノスに同情してしまう。けれどそうなると、一つ気になることが残る。
「でも寮生会で聞いた話では、毎日うきうきしながら帰っていくって」
「そ!」
「…………」
「それは……理由なんてないわ」
ぎゅっと眉間に皺を寄せて否定された。だが耳はほんのり赤い。
(動揺したなぁ)
セシリィにしては珍しい反応であった。答えの糸口を探すように、三歩後ろに下がってついてくるエレニを盗み見る。心なしか微笑ましい顔をしていた。
物凄く追及したい小夜ではあったが、こうなったら絶対に是とは言わないので、経過観察しようと心に決める。
と思っていたら、セシリィが不意に足を止めた。
「あ、ら? わたくし、今何をしに……」
「え? ファニの所に行くんでしょ?」
まるで刹那に白昼夢を見たかのように瞬くセシリィに、小夜がその横顔を覗き込む。ぱちり、と目が合う。それから、数秒の空白。
するとフッとセシリィが平静に戻った、気がした。
「セシリィ?」
「それで、どうしてそのことが小夜のせいになるの?」
小夜の問いかけはそのままにして、セシリィが話を元に戻す。小夜はおや、と思ったが、体調が悪いわけでもなさそうなので、素直にルキアノスとのことを打ち明けた。
「ちょっと……セシリィが起きる前に、ルキアノス様を怒らせてしまって」
小夜はルキアノスに声優について説明したこと、子供扱いしたこと、知ったかぶりをしたことなどを話した。けれど異性として好きかもしれないと自覚したことは、話さなかった。十一歳も年下の少年に恋愛感情など、さすがに誰にも言えることではない。
果たして、セシリィの答えは。
「気にすることはないわ」
であった。大した話題ではなかったと言わんばかりに、肩にかかった髪を払いのける。
「それこそ、ただの子供の癇癪よ」
「根に持ってるね?」
「ルキアノス殿下は劣等感の塊だから、そういった話題には昔から敏感なのよ」
「それは……なんとなく」
ゲームで見て知っている、というのは、少々どころでなく愚かしい言い回しだったので、口にはしなかったが。
(出来るなら……)
セシリィが知っているその劣等感も他の感情も、本人から直接聞きたいと思うのは、驕りすぎだろうか。
「でも、小夜でも人並みに悩むのね」
「突然失礼をぶっこまれた!」




