表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/189

健康第一

 結果からいえば、押し負けた。

 クレオンは笑顔でドアを開けて回り、最終的にはセシリィの眠る部屋へと辿り着いた。

 蒼白い顔で眠る妹を見留め、一瞬の沈黙。そして、


「やあやあ愛しき我が妹よ! お兄様が来たぞ!」


 最初の台詞をそっくりそのまま繰り返したかと思えば、寝台の上のセシリィに一直線に走り寄ってがばりと抱き付いた。


「ぅえ!?」


 驚きに奇声を上げたのは小夜で、ルキアノスは諦めたように額に手を当て、天井を仰いでいた。部屋の隅では、鳥籠で眠っていたらしいトリコが驚いて羽をばたつかせている。

 医者からは過労と睡眠不足だからその内起きるはずとは言われていたが、それでもあの痛々しい様子から誰もが慎重に接していたというのに。

 しかも驚くのはそれだけではなかった。


「……まぁ、クレオンお兄様? いついらしたの?」


「なんですと!?」


 クレオンの太い腕の中で、セシリィが朝の目覚めのように爽やかに覚醒したのだ。何の痛苦もなさそうに上半身を起こしている。呆気にとられるばかりの小夜の前で、兄妹の感動の再会が始まった。


「相変わらず愛らしいな、我が妹よ! ついさっきだぞ。息災であったか?」


「嫌だわ、お兄様ったら。わたくし恐らく何日か消息不明だったはずですもの。少しも息災ではなくってよ」


「それもそうか! いやあ、無事でよかった!」


「お兄様こそ、ご無事で何よりですわ。お母様の所へ修行に行くとおっしゃった時には、もう二度と五体満足ではお会いできないかと」


「実にな! 左腕と右足が一度危機に瀕したが、どうにか繋がっているぞ!」


 オホホ、ガハハと、和やかならぬ兄妹の会話が一度も躓かずに進行する。あまりに滑らかすぎて、小夜は自分だけが常識を履き違えているのかとルキアノスを盗み見た。

 げんなりしていた。


(あ、なんか大丈夫みたい)


 ルキアノスの表情で、自分の正常値を判断する小夜であった。


「何をしたんだ」


 このままこの場から逃げたい衝動をどうにか捩じ伏せたらしいルキアノスが、眉間に皺を寄せて問い詰める。


「兄妹だからな! 有り余る愛を分けた!」


「…………」


「治癒魔法の応用だ! 血縁だと親和性が高く効率が良くてな。そんな怖い顔するな!」


 ルキアノスの眉間の皺が増えたことで、クレオンが何の悪気もなく笑顔で答えた。

 治癒魔法に関しては医者に診てもらった時に既に施してもらっているが、原因が過労と寝不足のため大した効果は望めないとも言われていた。だからこそ、医者は普通の医療技術と処方箋を置いて去っていったのだが。


「治ったってことですか?」


「気力を分け与えたということだろう」


 ルキアノスが呆れきった声で説明してくれたが、小夜は今一つ要領を得なかった。気付けのようなものであろうか。

 取り敢えず、お祓いではないらしい。


「とにかく、もう大丈夫ってことですか?」


「そうとも言えないが……話す分には、平気だろう」


 途中まで渋い顔をしていたルキアノスだが、小夜の聞きたいことを悟って少しだけ表情を和らげた。両者とも、最前まで額を付き合わせていがみ合っていた後ろめたさはまだあったが、それでも小夜はその言葉にパッと愁眉を開いた。

 順番待ちをするつもりはないが、そわそわと兄妹二人の会話が終わる時を待つ。


(でも、兄妹も久しぶりの再会みたいだし、下手したら今日はもう話せないかな)


 セシリィとは話したいが、邪魔してはいけない。小夜はルキアノスや兄妹二人と距離を取るように壁に背をつけた。その視線の先で、セシリィが枕に背を預けながらその美しい横顔に愁色を落とす。


「でも……残念ですわ。いつもお兄様のお土産を楽しみにしていましたのに」


「あぁ、可愛い妹を悲しませるとは俺はなんと不出来な兄か! 代わりに覚えたてのお祓いをしてあげよう」


「不出来だなんて! お兄様はわたくしの自慢の兄ですわ。ですからお祓いは結構です」


い奴め。今日は急なことだったが、土産ならすぐに用意できるさ!」


「まあ。さすがクレオンお兄様! 嬉しいですわ」


 セシリィが両手を打ち合わせて微笑む。その横顔は今までで一番幼く、少女めいて見えた。


(あのセシリィでも、お兄さんには甘えるんだな)


 実の父にも伯母にも委縮していた姿を思えば、何やら感慨深い。セシリィの性分を考えれば、恐らく想い人であるエヴィエニスにすら、あそこまで無防備な笑顔は晒さないであろう。

 この際、会話の内容はもうどうでも良い。


(良かったなぁ)


 しみじみ頷く。

 内心では、小夜の体感として一週間前にあったクゥイントゥス侯爵家にまつわるあれやこれや(出生にまつわる作り話や、セシリィの強迫観念等々)の元凶との対面ということで、大丈夫なのかという懸念があったのだが、セシリィからすれば半年以上も前のことだ。その間に既にこの件は解決済みであったとしても不思議ではない。

 と、小夜が一人納得していると、


「小夜」


 不意に名を呼ばれた。ハッと顔を上げる。濁りのない碧眼が、小夜を見ていた。


「セシリィ!」


 小夜は許可を得たとばかり、寝台の脇に駆け寄っていた。クレオンが、にこやかに場所を譲ってくれる。ありがとうございますと礼を述べて、小夜は慎重にセシリィのまだ青白い手に手を伸ばした。今にも折れそうな程細く弱々しげで、けれど、温かい。


(温かい)


 それだけで、小夜は目頭が熱くなった。

 まだまだ体温としては低いが、今触れたこの手には血が通っている柔らかさと温かさがちゃんとある。頬の腫れもまだ引かないが、それでも血色はある程度戻り、その瞳にはあの気位の高さが確かにあった。

 髪は梳かしている最中だったし、唇のかさつきもそのままだから、鏡を見せるのは一番最後になるだろうけれど。


(ちゃんと、生きてる)


 路地であの冷たさに戦慄した時の感覚がいまだに残っていた小夜にとって、それは何よりも重要なことであった。


「セシリィ、体の調子はどう?」


 深く息を吐き出しながら、小夜は改めてセシリィの手を握ってその顔を覗き込む。しかしセシリィは、何故か不機嫌そうにその美しい眉根を寄せてこう言った。


「小夜。やっと会えたのに、そんな言葉では詰まらないわ」


 それはまるで無礼を働いた者を見るような、叱責を含む眼差しにも見えたが。


「今は情緒よりも健康第一」


 む、と小夜は真顔でそう返した。

 目が拗ねているような悪戯を仕掛けるような色に煌めいたと、すぐに分かったから。

 数秒、互いに真顔で見つめ合う。そして。


「……ふふ」


 セシリィが、花が綻びるように美しく微笑んだ。緩く波打つ濃茶色の髪がその整った白貌を撫で、セシリィの美しさを見事なまでに引き立てる。その姿にやっと、小夜はセシリィの無事を実感できた気がした。


「ありがとう、小夜。お兄様に気力を分けてもらったから、随分いいわ」


「それなら良かった。セシリィを見付けた時は本当に、体中冷たくて……」


 とても怖かった、という言葉は、どうにか飲み込んだ。今更思い返しても詮無いことだし、セシリィを無駄に不安にさせたくもない。だが、セシリィが反応を示したのは別の言葉であった。


「やっぱり、小夜が見付けてくれたのね?」


「え? あ、それは違うよ」


 僅かに身を乗り出したセシリィに、小夜はあぁと首を横に振る。セシリィは「小夜が知っている」と伝言を残したこともあり、そう思ったのだろう。だが実際には違う。


「見付けたのはヨルゴスさんだよ。セシリィの気配がするって、すごい勢いで走り出したの」


 一部道を誘導したのは小夜かもしれないが、気付いたのも追いかけたのも発見したのも、全てヨルゴスの手柄だ。あの時のヨルゴスは、今までで見た中で一番能動的であった。と小夜が少々興奮して語ると、セシリィが思案するように瞼を伏せた。


「……そう、なの」


 何か思う所があるのか、それまでの声の調子を落としてそれだけ返す。その頬の赤みが仄かに強くなった気がしたして、小夜はしまったと慌てだした。


「ごめんっ。病み上がりに話しすぎたよね。熱が出た?」


「へ、平気よ。少し、考え事をしていただけだから」


 考え事、と言われて真っ先に思い浮かんだのは、セシリィがいない間のことであった。


「……もしかして」


 そう口にしながらも、聞いて良いものかどうか躊躇う。

 セシリィはつい先程まで被害の渦中にいた少女で、その間にどんな恐ろしい目に遭っていたかも分からない。とても無遠慮に聞き出せることではない。

 だというのに。


「捕まっていた時のことか?」


 無神経としか言えないほどにあっさりと、そう聞いた声があった。

 ルキアノスである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ