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無遠慮な野次馬

 赤煉瓦のフラテル寮まで、無言であった。

 護衛としてヨルゴスが背後にピタリと張り付いていたが、そもそもラリアーはこのヨルゴスとは朝が初対面で、会話に至っては皆無である。護衛だから会話どころか存在を認識することすら必要ないとは理解しているが、居心地が悪いことはどうしようもなかった。

 そのため、寮の壁が見えた途端、ラリアーは大いに安堵した。心なし歩みが早くなる。

 だが寮生会の入り口に向かおうとしたところで、ラリアーは足を止めた。ヨルゴスの足も止まる。

 入り口に続く壁に、寮生会の会計であるフラルギロスが背を預けて立っていたのだ。


「フラル? 何してるの?」


 ラリアーは小走りで駆け寄った。

 今はまだ昼前で、授業は終わっていないはずだ。特にフラルギロスは寮生会に入るのも卒業後の信用のためと言って憚らない程で、用事もなく授業を休むとは思えない。


「……ラリアー。今日は終日出掛ける予定だったのでは?」


「意外と早く予定が済んだの。フラルは何してたの?」


「読書を」


 確かに、そういう手元には分厚い本がある。フラルギロスは勤勉で読書家でもあるので、不思議ではない。問題は、場所である。


「こんな所で?」


 寮生会の外壁である。日当たりは良いが冬の風は冷たく、春には沢山の学生が行き交う中庭も、今時分は皆足早に過ぎ去り、いつも閑散としている。

 しかもあと少し行けば、壁に沿って奥まった位置に寮生会室への入り口がある。不自然ではある。

 という目で見ると、フラルギロスが眼鏡のツルを押し上げて続けた。


「しながら、この中庭がどこまで菜園として開墾可能か算出していました」


「え?」


「それはそうと、その男は?」


 はぐらかされたとは分かったが、深く追及することでもないので話を合わせることにする。


「ルキアノス様の近侍を務める方よ。送ってもらったの。小夜様とルキアノス様にお気遣い頂いて」


 ちらりと振り返って紹介する。ヨルゴスが軽く低頭した。


「何かあったのか?」


「うーん……。そう、でもないのだけど……」


 ラリアーの懸念を、ルキアノスには話していない。だが偽装婚約の話をした時の様子でも、ルキアノスがある程度寮生会のことを探っていることは推測できた。

 帰り際にも、寮生会にはまだセシリィが見付かったことは伏せておくようにと言われてある。

 何と言ったものかとラリアーが言葉を探していると、不意に扉の開閉音が上がり、男女の会話が聞こえてきた。


「……しの辛抱だから……」


「……どうか……お願いします……」


「……約束は……必ず、逃げ……」


 寮生会の扉だ。中にいた誰かが出てきたらしい。

 だが、それもまたおかしい。


「…………」


「っ、ラリアー!」


 ラリアーはフラルギロスを避けて、声のもとへと駆け出した。前を通った瞬間、引き留める手がかすかに腕に触れる――が、そのまま駆け抜けた。ヨルゴスが制止してくれたのだ。

 果たして、すぐ目と鼻の先にあった角を曲がり、寮生会室の扉が現れる。その前にいた三人の男女が、ラリアーを驚いた顔で振り返った。


「……ラリアー」


「あら、早かったのね」


「トゥレラ、クリス」


 そこにいたのは、同じく寮生会の会計補佐官を務めるトゥレラと、女子寮長のクリスティネ。そして見知らぬ女生徒であった。

 ラリアーは三人の表情をさっと確認してから、行く手を阻むように通路の真ん中に立ち塞がる。


「……その方はどなた? 何か相談に来られた方?」


「ぁ、あの、えっと、私は……」


 ラリアーは淑女らしく笑顔でそう聞いた。けれど二人の後ろに隠れた少女には、少しばかり圧が強くなりすぎたようだ。ざっと顔を青褪め、今にも泣き出しそうな顔をしている。


(これが小夜様だったら、きっと明るく素敵な面を見つけて肯定してくれるのだろうけれど)


 生憎、ラリアーはそこまで無差別に優しくはなれない。今は目的のために、少女が怯えていても話の核心まで躊躇わない。


「今はまだ授業中でしょう? それを抜け出してまで相談にこられるなんて、余程のことよね。あたしも、是非力になりたいわ」


「相談なら私たち二人でもう解決したわ。ラリアーは、早く戻れたのなら授業に顔を出したらいかが?」


「まぁ。あたしには関わってほしくないみたいね」


 クリスティネは、いつも笑顔を崩さない。逆にトゥレラはやる気のない無表情で、どちらも表情が読みにくい。それでも最近、トゥレラが珍しくクリスティネやフラルギロスに自分から話しかけている姿を目にする機会が増えたのは確かだ。

 それだけなら、ラリアーもべつに不思議とまでは思わない。心を開き始めたのかなと思う程度だ。

 けれど今、この不自然な状況に至れば、疑念は確信に変わる。

 何故なら彼らもまた、フラルギロスと同じく皆授業中のはずだからだ。自習でも、寮に戻ってくる場合はそう多くない。その中で三人が揃って寮生会室にいて、しかも規則にうるさいフラルギロスが見張りのようなことをしている。


(やっぱり、三人は何か隠してる)


 クリスティネが生徒の相談を受けるのは、以前からよく見かけることであった。今さら不思議ではない。だが物種でいつも眠たげにしているトゥレラがそこに加わるとなれば、異常と言えた。

 トゥレラが寮生会に入ったのは実家の圧力のせいだが、決意したのは後妻である母のためであった。自ら横の繋がりを求めたことは一度もないし、ましてや寮内で力を得ようとも振るおうともしたことはない。

 だというのに、クリスティネの相談に首を突っ込んでいる。わざわざ授業を休んでまで。


「何故か、当ててあげましょうか」


「ラリアー」


 にこりと微笑む。後ろに追い付いたフラルギロスの声は、綺麗に無視した。


「婚約者との不仲を相談されていた。そうでしょう?」


 全員の表情が、一斉に強ばった。それが答えのはずだった。

 けれど。


「……ラリアー。そういったことは、大声で言うものではない」


 フラルギロスが、頭を抱えて首を振った。


「そうねぇ。家のことは繊細な問題だから、あまり関わる人間を増やすことは賢明ではないわね」


 クリスティネも、頬に手を当てて苦笑する。その眼差しは、勘違いも甚だしい推理を披露する可哀想な子を見るもののようで。


「え? で、でも」


「ごめんなさいね? もう戻って大丈夫よ。後のことは心配しないで?」


 思い違いだろうかと慌てるラリアーはひとまず横に置いて、クリスティネが真っ赤な顔で困り果てていた女生徒の背中を押す。少女は何度も頭を下げて、逃げるようにその場から駆けていった。

 その背を見送りながら、ラリアーは自分がなんとも無遠慮な野次馬をした気分であった。

 しかも。


「……ラリアーがやるなら、僕、抜ける。……眠いし」


 それまで無言だったトゥレラも、欠伸をしながら踵を返してしまった。つんつん跳ねていた寝癖が、ドアの向こうに消える。

 気まずい沈黙のあと。

 はぁ、とフラルギロスのこれみよがしな溜め息が、ラリアーの背中にかけられた。


「折角トゥレラがやる気を出したのに」


「えっ」


「仕方ないわ。仲間外れみたいな気がして寂しかったのよね?」


「え、ええっ!?」


 二人から次々に呆れられ、ラリアーはいよいよ自分の失態を認めないわけにいかなくなった。

 平民と貴族が婚約した場合、貴族側は大抵は持参金や資金力をあてにしているものが多い。そして平民側からすれば、貴族と婚姻を結ぶことで上流階級の仲間入りが出来るうえ、商売の幅も信用度も格段に上がる。どちらにも利益のあることなのだ。


 だがその反面、立場が弱いのは圧倒的に身分の低い方であった。

 貴族は体面を傷つけられることを極端に嫌う。それが顕著な家などは、平民の方から婚約破棄を申し込もうものなら、相手の家を社会的に抹殺するぐらいは平気でする。世間話の延長に過ぎない愚痴や不満でさえ、聞き咎められれば簡単に反感を買うのだ。名を貶めたと。

 そんな中で、平民の女性を侮らない男性貴族の方が、恐らく貴重だろう。彼らの階級意識は、長い歴史の中で積み上げられてきた、容易には覆せないものだから。

 だから、この手の相談は後を絶たないし、大っぴらに話すようなことでもない。なるべく少人数に納めようとするクリスティネの思考は、考えれば当然のことでもあった。


(あたしの、考えすぎだったのかしら?)


 トゥレラを追って寮生会室に戻っていくクリスティネとフラルギロスを見送りながら、ラリアーは悄然と肩を落とす。その背に、静かな低い声がかけられた。


「……ラリアー様」


「……ヨルゴス様?」


 フラルギロスとともに扉の前にやってきていたヨルゴスであった。寮生会のやりとりを、ずっと黙って見ていたらしい。


(そっか。護衛だから、代わりの方が来られないと身動きが取れないのね)


 寮生会に到着したのだから、もう解放した方が良いだろうかと思案する。だがヨルゴスは、ラリアーが考えていたこととはまるで違うことを口にした。


「……私と一緒に来て頂けませんか」

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