誰のために
「続きは一階の応接室をお使いになられてはいかがでしょう」
という、有能らしい侍女頭(らしい。トリコが教えてくれた)のスマートな仲裁のおかげで、小夜の醜態は半分くらいうやむやになった(はず)。
だが、気を取り直して一階の応接室へ向かう途中、数人の侍女とすれ違ったのだが、丁寧に頭を下げられたあと距離をおいた頃にひそひそ話をされてしまった。
肩に止まったトリコにすかさず謝罪を入れたら、
「あなたの奇行のせいではないわ」
と冷めた口調で否定された。ふむ。
到着したのは、セシリィの自室よりも倍近い広さのある豪華な部屋だった。単色だが緻密な彫りが全面に施されている暖炉とマントルピース、目が痛くなるほど細かく薔薇の刺繍がされた揃いのソファー。楕円テーブルの大理石はどう見てもフェイクではなさそうで、ちょっと近寄りたくない。
だが最も目をひかれたのは、入った途端、人感センサーのように火のともった天井のシャンデリアだった。これも魔法で、侵入者対策の一つらしいが、元の世界ではあの数の蝋燭に一つずつ火を入れてたというから、ものぐさも使いようといったところか。
しかし豪華な内装に反し、予想した人の姿はなかった。
「おーー父はまだですか?」
特に深く考えず、男二人を案内していた侍女頭に聞く。
小夜はともかく、セシリィはまだ十六歳だ。どんなに聡明で自立していようとも、将来に関する話であれば保護者が立ち会うのは当然だと思ったのだ。
しかしその瞬間、漏れなく全員が表情を固くした。
(え、地雷?)
「旦那様は……その、ご予定通り明日まで領地の巡察で……」
「侯爵様からは、既に我々からのご提案に了解を頂いています。ですので、本日の立ち会いは不要と承っております」
しどろもどろになる侍女頭の言葉を引き取って、エフティーアが実に事務的に答えてくれた。
小夜の目付きがじっとりと据わる。
「……へー。ふーん。そう来るわけね」
この時点で、小夜の給料の何ヵ月分もするだろうソファーに腰かける気後れは消えた。どっかと腰を下ろし、弾みで羽ばたいたトリコを膝の上で抱き止める。
(予定通りってことは、実の娘に知れるのも構わず丸投げしたってことだな)
小夜が父と口にした刹那、鳥の金の瞳が寂しげに揺らいだのを、小夜は見逃さなかった。
折角の生声優に会えたような感動に水をさされた気分で、向かいのソファーに腰かける二人を睨む。果たして、ぶつけ所のないイライラを抱えての第二ラウンド開始と相成った。
「僕やることないからさ、向こうで可愛い侍女たちと仲良くお茶してきてもいい?」
着席した途端サボタージュ宣言をしたのは、全てをエフティーアに丸投げする気満々らしいレヴァンだった。ワゴンで茶器を運んできた別の侍女に早速ウインクを飛ばしている。
(そういえば、そんな設定だったっけ)
ついつい声優情報が最上位にきてしまうポンコツ脳から、どうにか役立ちそうな情報を引っ張り出す。
一方のエフティーアはと言えば。
「…………」
眉間で語るタイプのようだ。そんな一文はキャラ説明のどこにもなかったが、皺の深まり具合で察した。
「仕方ない。セシリィ嬢を眺めて妄想するだけで満足しておくよ」
「…………」
溜め息と共に口にしなくていい妥協案を口にするレヴァン。
この時小夜が考えたのは、本物であればどう対応するだろう、ではなかった。
(美声はどんな変態発言でも美声やな)
げへ、と口許が緩む。と、太めの嘴が手の甲を軽く本気で啄んだ。痛い。
仕方なく、キリリッと顔を作る。
「こちらからの提案は、以前お話しした通りです」
にやにやしながら小夜を観察するレヴァンは全員で無視して、エフティーアが淡々と切り出した。
侯爵令嬢セシリィに突き付けられた条件とは、侯爵領でも国境に近い田舎での軟禁生活か、修練教会に入るか、又は監視と更正を目的として誰かの侍女となるかだった。
「侍女で!」
右手と口が脊髄反射で答えていた。
「「「え?」」」
「あ、いえ、間違いげふんげふん」
三者三様に怪訝な声を向けられ、慌てて否定する。
(いかんいかん。欲望が先走ってしまった)
侍女として仕えるのは、恐らく攻略対象の中でも王族の誰かだろう。ヒロインに仕えるのはセシリィの精神面的には効果覿面だろうが、危険性が排除できないのだからまずない。だが離しすぎると、監視や、いざという時の人質として役に立たない。
(第一王子か第二王子かは、攻略対象によって変わるのかな)
目の前の二人がゲームの声そのままだというのなら、他の攻略対象の声もきっとその可能性が高い。
その期待値は青天井で、冷静な思考をあっさり宇宙の彼方辺りまでうっちゃるくらいには小夜の胸をときめかせた。
しかし、事は小夜一人の問題に収まらない。
ゲームの中では、謹慎後にまた学校に戻ってきていたから、侍女としての選択を受け入れたということだろう。だが手元のトリコはと言えば、威嚇する猫並みに殺気が羽の一本一本から滲み出ている。
究極の三択を自力で四択にしてしまうくらいには、嫌だったということがよく分かる。
(どうしたもんかなぁ)
好きにしたらいいとは言われたが、小夜としては最終的には互いに元の体に戻って、自分の続きをするつもりでいる。今ここでセシリィを苦しませる選択はしなくなかった。
(でも、どうしたいかとか、聞いてないもんなぁ)
どの選択肢も、最終的には親が選んだ相手ととっとと結婚して静かな余生を送ってほしいと思われているのは、大体察しがつく。
それでセシリィが不幸になるとは、小夜はそんなに思わない。
相性さえ良ければ、十代の頃の苦難など懐かしむべきものの一つと言える時が、いつかはやってくるだろう。
だが、どんなに最終的な幸せが確約されていようとも、現時点での苦しみを相殺することはない。
なので、聞くことにした。
「トリコは、誰のために一番頑張りたいの?」
「「……は?」」
手元と目の前の双方から声が上がった。エフティーアの美声は、聞くだけ聞いて無視した。
「あの、セシリィ様? もしや、その鳥に話しかけられて、」
「……分からないわ」
「え、その鳥喋るの? さっき突っ込みながら飛び蹴りした気がしたけど、芸を仕込んだからかなぁとか思ったけど。それって魔法? 魔獣?」
困惑するエフティーアの存在はまるで眼中になく答えたトリコに、レヴァンが息を吹き返したように目を輝かせる。
ワゴンを片付けようとしていた侍女二人はやはりというように白い目をするし、一瞬で室内がちょっとしたカオスになった。
「親友第一号って、そういう……」
「もしやご自身で鳥に魔法を……」
「ねぇねぇ、じっくり見てみたいから、セシリィ嬢の隣に座ってもいい? あ、鳥は膝の上のままで構わないよ」
「学校でもご学友がいらっしゃらないようだとは……」
「ついに自分の中の自分に話しかける病に……」
「座ってろこの色ボケが」
あちこちでざわつきまくっている。
(こういう時、さりげなく本音が出るよね)
自分で招いた事態を、他人事よろしく観察する小夜であった。
が、最も観察したいトリコの反応は分かったので、次の言葉も決まった。寂しげな青緑の背中を撫でながら、顔をあげる。
「じゃあ、学校に戻ります」
「ちょっ、あなた、さっきの質問は何だったのっ?」
「ん?」
されるがままだったトリコが、驚きを表すようにクェッと羽をばたつかせる。ちょっと間を省きすぎたかなと、小夜は言葉を足した。
「他の選択肢も悪くないけど、それは学校でもう一度頑張ってみてからでもできるでしょ? でも逆は多分難しいから」
まんまるの金の瞳をくるくると戸惑わせるトリコに、小夜は優しく笑みかける。
次元や深刻度が違うかもしれないが、クラスに上手く馴染めないとか、仕事が毎日嫌で仕方ないとか、思ったことは小夜もある。
学校はどうにか通ったが、新卒で入った会社が嫌で二年で退職したあと、チープな解放感のあとに酷い後悔に襲われた時期がある。それが不完全燃焼だからとか、ただの根性なしだからとか、もう少し続けていればとかは、あったと思う。
今だって、毎日のように襲ってくる、自分の能力とは一切関係がないヒューマンエラーショックには、腹が立つし嫌気もさす。でも、今ここでやめれば、同じ後悔に襲われることは目に見えている。
だから嫌だった。結構毎日逃げたいけど、嫌だった。
それが十代ともなれば、その思いは何倍も深刻だろう。世界は狭く、力はないに等しい。
でも足掻く前に逃げるのは、勿体ない。
特にセシリィと話をしたからこそ、小夜はそう思った。
(誰のためなんかじゃなく自分のためだけに頑張りたいとか、そう言われたら、逃げるも良しかなとも思ったけど)
セシリィはまだ、悩んでいたから。
「ね?」
頑是ない妹をあやすように、艶やかな頭頂を冠羽ごと撫でる。
折よく、人生の先達として少しばかり、遠き道の重き荷を僅かでも肩代わりできるようだから。
(とまで言えるほど、さすがに立派な人間じゃないけど)
そうして、小さく温かな頭を何度か撫でて。
「……巻き込んだのはわたくしだもの。好きなようになさいな」
金の瞳が、ゆっくりと心地よさげに閉じられる。
嫌な思いをさせるかもしれないと承知しながら、受け入れてくれるというのは、存外嬉しいものだなと、小夜は思った。
「……へぇ~」
と、ソファーに深く身を沈めていたレヴァンが、口許をにやつかせてそんな声をあげた。その先を続けさせないように、冷静さを取り戻したエフティーアもまた口を開く。
「では、本当にそれでよろしいのですね?」
しかし受け入れるのを戸惑うような眉間は、もっと話が難航すると思っていたようだ。
「はい」
と、一応しおらしげに頷いておく。
「では早速戻って手続きを進めさせて頂きます。学校での籍はそのままとはなりますが、今後は貴人に仕える立場として振る舞って頂きます。仕える相手ですが、」
「はいっ!!」
「「「…………」」」
待っていましたとばかりに右腕を垂直に突き上げた小夜に、全員が再び沈黙した。
あれ、と思っていると、顎辺りにちりちりするような視線を感じた。ので、僭越ながら希望を申し上げてもよろしいでしょうか! という言葉はすごすごと飲み込んだ。
「あなた、本当にわたくしのためだったのでしょうね!?」
妙な疑惑が浮上した。身から出た錆の量が凄かった。