良識ある大人
自分の妄想かもしれない、という考えに、小夜は猛烈に恥ずかしくなった。
(そうなると、私どこまでヒロイン願望あるのって話になっちゃうじゃん!)
それはさすがに居たたまれない。非モテで非リアな自覚がある腐女子が、妄想とはいえヒロインの座に居座ろうなど、おこがましいどころか痛々しい所業でしかない。
子供の頃でさえ、白馬の王子さまが存在するとしても自分のところにはまず来ないと思っていたタイプだ。こじらせている自覚は十分ある。
(無理! この考えはとてもじゃないが恥ずかしくて無理だ!)
真っ赤になった顔を両手で押さえて、いやいやと首を横に振る。するとそれを別の意味でとったのか、ラリアーの沈んだ声が小夜の意識を現実に引き戻した。
「ダメ、でしたか?」
悲しそうなその声に、小夜はハッと顔を上げる。その可愛らしい顔と声に、一瞬ヒロインがいる、と小さく感動してしまった。ラリアーが、眉尻を下げて小夜を見ていたのだ。
一瞬の間を空けて我に返った小夜は、慌てて手と首を横に振る。
「あっ、いやいや、そんなことは全然……」
大丈夫、と言いかけて、いや、拒否した方がいいのかと悩む。実際、授業のある生徒のサボりを容認した上で街中に連れていくのは、良識ある大人のすることではない。
やはりこの流れに乗って断ろうと、言葉尻を変える。
「全然ダメで」
「やった! ありがとうございます!」
「…………す」
間に合わなかった。
(子供にさえ毅然とした態度を取れない私……)
何だか昨日から自分の情けなさが嫌で困ってしまう。
結局それ以上は振り切ることもできず、ラリアーも馬車に乗り込んで三人で広場を目指すこととなった。
「昨日、小夜様と初めてお会いした気がしないと話しましたけど」
カラカラと馬車の車軸の音を聞きながら石畳を進む途中、ラリアーがそんなことを切り出した。寮生会からの帰りの時の会話のことであろう。
「お兄様と話していて、思い出したんです。小夜様、お母様に似てらっしゃるんだわって」
「そうなんですか?」
ただのナンパ家系ではなかったらしい。だが。
(似てるって……そりゃないでしょ)
眼前に座るラリアーも、兄のアグノスも、ゲーム通りの美男美女だ。その遺伝子情報の源に似ているなど、おこがましいにも程がある。もしあるとすれば、父が劇的なまでにイケメンということしかない。
「えぇ、ですから何だか懐かしい気持ちになったんだと思って」
「そっか、週末の休みごとにしか帰れないから?」
「えぇ。それにお父様からは、そんなに毎週帰ってこなくてもいいって言われていて」
「そうなの? 逆のような気がするけど」
婚約者もいないようだし、その分父親からは溺愛されているのかと思ったが、そうではないらしい。
ラリアーが可笑しそうに目を細める。
「父は、あたしたちが帰ってくると、母があたしたちの世話を焼こうとするから、それが気が気でないんです」
「へぇ。お母さん取られたくないのかな?」
「それもあるでしょうけれど、母は足が悪いので、あんまり無理してほしくないみたいで」
「あ……」
柔らかく苦笑したラリアーに、小夜はしまったと自分の無神経を悔やむ。二度目の対面で聞くようなことではなかった。
「ごめんなさい、無神経なこと聞いて」
「え? あぁ、全然気にしないでください」
ルキアノスのこともあり、いちいち深く落ち込んでしまう小夜だったが、ラリアーはからりと笑って否定した。
「母は、足が不自由になったことで父に出会い、助けられたことを、今でも頬を染めて嬉しそうに語るんです」
アンドレウ男爵がまだ爵位を継ぐ前に諸国を旅していた時、動けなくなっていた夫人と出会ったのがきっかけだったという。もし足を怪我していなければ、きっと出会うことはなかったとも。
だからこの足は憐れまれるべきものではないと、当の本人が誇らしげに語っていたのだという。
(なんだか、素敵なお話だなぁ)
加えてこの国では王弟殿下も足がお悪いことで、車椅子や杖の改良が他国よりも進んでいるという一面もあるらしい。男爵家だからお手伝いも十分にいる。本人も、そこまで不自由を感じてはいないらしい。
「ちなみに付け加えると、父が事業で成功したのは、母のために車椅子をとことん改良したからなんですよ?」
「愛の力!」
思わず叫んでいた。
◆
広場へ着く手前で、ヨルゴスは馬車をお店に預けた。馬や馬車を貸し借りすることを商売にしているらしく、厩舎もあった。
そこからヨルゴスに護衛をお願いして、三人で広場に向かう。だが人混みはその前から道々に溢れていた。
「す、すっご」
周囲のゴシック風の重厚な建物と相まって、ザ・観光地という風情であった。馬車が通るのは広場の一辺に沿った道だけで、噴水の周りや店舗の前にはいくつのも露店が横並びに続き、新しい道を作り出している。
人々はその間を足早に歩き、時に止まり、店主と話したり物色したりしてる。ざわめきは大きく、少し離れればラリアーの声も聞こえなくなりそうだが、何を言っているかは少しも聞き取れない。
(なんかこれって、あれみたい)
あれとは、テレビで見た都会のスクランブル交差点である。田舎暮らしからは想像も出来ないような人出なのに、一種の規則性にしたがって整然と動く一個の群衆。
(まるで一つの生き物みたい)
一匹の巨大な怪物が、全員を一気に一呑みにできる瞬間を今か今かと待っている。広場から上がるざわめきは怪物が涎を流す音で、この場の人口密度が最高になった瞬間、大きな口が開いて広場ごと飲み込むのだ。
(なーんてね)
ルキアノスを傷付けてしまった気鬱も、今ばかりは鳴りを潜める。それくらい、広場には活気が溢れていた。少しでも立ち止まれば、後ろの人と体がぶつかってしまう。
「どこから見て回りましょうか?」
ラリアーが、小夜の左腕に掴まる格好でそう聞く。小夜はすぐ後ろにヨルゴスがいることを確認してから、「そうねぇ」と考える。
「ひとまず、初心者が歩きそうな道順で行こうか」
つまりは、人の流れに乗るということだ。
セシリィが自ら消えたとは考えにくいため、拐われたことを前提で周囲を観察する。人の流れの通りに進むだけなら、そう変な道へは入らないはずだ。明確な目的があったとすれば、最早お手上げだが。
「じゃあ、あちらの露店から行きましょうか」
道の流れからそのまま端の露店に続いていく人の流れを指差して、ラリアーが頷く。どうやら、ラリアーは貴族でも初めてというわけではなさそうだ。
(これはルキアノス様と来るよりも逆に良かったのかも)
などと考えて、はたと思い直す。
(いやそもそも、ルキアノス様が今一緒じゃないのは大いなる自業自得のせ……)
これ以上意味もなく落ち込むのは嫌なので、小夜は強制的に思考を停止させた。
「さっ、いこー!」
ぐっと腕を突き上げて、小夜は空元気とともに広場へと踏み出した。




