表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/189

可哀想な妄想説

沈鬱回です。

主人公が暗いですが、暫くお付き合い頂けましたら幸いです……。

 その日の朝は、この世界に来て恐らく最も憂鬱かつ緊張した一瞬であったろう。


「……ルキアノス様。その……昨日は、本当に申し訳ありませんでした」


 朝、ルキアノスの私室に入るなり、そういって頭を下げた。けれど反応したのはエレニだけで、ルキアノスは侍女二人に身支度を整えられながら、振り向きもしなかった。

 果たして長い沈黙のあと、ルキアノスはこんなことを言った。


「昨日? 昨日、お前は自分の好きなことを語っただけのはずだ。どこに謝ることがある?」


「そ、れは……」


 小夜は早速言葉に詰まった。

 確かに、出来事としては間違ってはいない。小夜も、声優さんが素晴らしいということを否定する気はない。

 だが論点はそこではない。

 いつもの小夜であったら、「いやいやありますよ」と軽く言えたであろう。けれど今の小夜には、とてもではないがそんなに単純な思考回路は出来そうになかった。

 何故ならルキアノスは、謝罪すら受けるつもりがないと言っているも同然だからだ。それでも、誰かを傷付けてそんなに簡単に引き下がれはしない。


「でも、あの、本当に、申し訳ありませ」


「しつこい。不愉快だ」


 改めて頭を下げると、今度こそ小さな苛立ちを含んだ声で遮られた。ひくり、と喉が鳴る。怖くて、自分の爪先を視界に入れたまま、顔が上げられなかった。

 シュ、シュと、着替えの衣擦れの音だけが、耳に触れる。

 小夜に耐えられる沈黙の長さは、そんなに長くない。

 小夜は気持ちを切り替えるように細く息を吸うと、もう一つ、言おうと思っていたことを切り出した。


「ルキアノス様。朝の市場を見てこようと思うのですが」


「一人では行かせられない」


「けれど、セシリィは多分午前にあの場所に」


「ダメだ」


 とりつく島もないとはこのことであった。

 本日も学校は授業があったが、小夜は学生ではない。他にできることもない。ルキアノスを待っていては半日を無駄に費やしてしまう。

 けれどルキアノスの尊厳を一度踏みにじっている小夜には、それ以上強く出ることも怖くてできなかった。

 また、怒らせてしまったら。

 そう思うと、いつもの調子は少しも出ない。ただ扉の前から一歩も進めず、淡々と支度を整えていくルキアノスを見ていることしか出来ない。


(何て言えばいいのか、ぜんぜん分かんないや……)


 もうすぐ三十路だというのに、やっていることは中学生並みな気がして、ますます自分が嫌になる。出そうになる溜め息を飲み込んで俯くと、今度は涙腺が重力に負けそうであった。


(いやいや、それは有り得ないぞ、私)


 加害者は自分、と言い聞かせて、目をかっ開く。

 自覚は十分にある。だが言い訳や謝罪の言葉となると、少しも浮かんではこなかった。こんな時だからなのか、なぜか侯爵邸でのエヴィエニスのことが思い出された。


(未練たらたらの告白に失敗した上に傷口に塩を刷り込むような真似をして……)


 長いこと恋愛事にご無沙汰だった小夜は、あの時もファニのことしか考えず、エヴィエニスの恋心についてはほぼまるっと無視していた。だが今なら、その時の気持ちが痛いほど分かる。


(エヴィエニス様、ごめんなさい。帰ったら正規ルートで必ずハッピーエンドを目指します。プレーヤー名もファニに変えます。……変えれたら)


 深い贖罪の気持ちから、本人とはまるで無関係なところで決意する小夜であった。

 そんな気詰まりな時間が、いつまでも続くのかと思った頃、


「……お供します」


 あらぬ所から、第三の声が上がった。驚いて、床ばかり見ていた視線を横に滑らせる。


「ヨルゴスさん……」


 普段から寡黙で、主を諌めるのも昨日初めて見たばかりな彼が、こんな場面で私見を言うなど、小夜にとっては驚天動地であった。だがそれは、長年同じ空間で過ごしてきた三人も同じだったようで。


「ヨルゴス、何のつもりだ」


 ルキアノスが、侍女二人の胸中を代弁するように詰問する。だが当のヨルゴスは、まるで感情を読ませない瞳でそれを見返した。


「殿下が授業中は、私も時間を持て余します」


「その間は、侍女たちを守るだろう」


「私たちはとっとと白旗を上げるのでお構いなく」


 ルキアノスの反論に答えたのは、仕事を終えて満足げなアンナであった。どこから取り出したのか、わざわざレースのハンカチをひらひらと振っている。


「……勝手にしろ」


 結局、ルキアノスが乱暴に教材を引ったくって部屋を出る直前、ほんの一瞥して、そう言った。小夜は他にどうすれば彼の機嫌が戻るのかばかりを考えるが、結局口から出てきたのは、


「ありがとうございます」


 そんな、価値のない一言だけであった。




       ◆




「あの、ありがとうございました」


 馬車を用意してくれたヨルゴスに、小夜は深々と頭を下げた。反応はないが、小夜は構わず続ける。


「ヨルゴスさんが加勢してくれたお陰です」


「……皆、心配しております」


「え?」


 思いがけず反応があり、小夜は一瞬考えてしまった。皆とは誰のことか。セシリィを心配する皆か、それとも行方不明者の皆か。


(そう言えば、トリコはヨルゴスさんにもなついてるみたいだったし、セシリィと接する機会もあったのかも)


 だがすぐに、どちらでも同じことだと行き当たる。


「はい、お願いします!」


 改めて頭を下げて、二人で馬車に乗り込んで広場へと向かう。

 ルキアノスへのもやもやは一旦横に滑らせて置いておこうと決める。だがそれは、門へと向かう長い一本道に差し掛かった所で、早くも停止した。


「な、何事ですか?」


 急停車した馬車に慌てて、御者台に座るヨルゴスさんに声をかける。


「お客人のようです」


 渋味のある声でそう言われ、小夜ははて、と首をかしげた。第二王子の馬車と思った誰かが、挨拶でもしようと思ったのだろうか。

 小窓にかかるカーテンを避け、ちらりと前方を覗き見る。ドレスが見えた。


(誰だろ)


 女の子と知って、小夜は警戒心が薄れて馬車から降りた。この場にルキアノスがいれば、連続誘拐犯かもしれないと止めたであろう。だが小夜は自分が狙われるとは微塵も思っていない。

 果たして、降りた先にいたのは、


「小夜様!」


 喜色に柔らかな頬っぺたを桃色に輝かせた、アンドレウ男爵家令嬢ラリアーであった。


「……え、なんで?」


 満面の笑顔で飛び込んできたラリアーを受け止めながら、小夜の頭には大量の疑問符が雪崩をうっていた。


「来てしまいました!」


 シルバーブロンドの長髪を揺らして、ラリアーが実に嬉しそうに答える。だが全く答えになっていない。小夜は社会人として、まず真っ先に学生に尋ねるべきことを尋ねた。


「……授業中では?」


「昨日、あれからルキアノス様が広場に向かわれたと聞いて、もしかしたら今日も向かわれるかと待っておりましたの!」


「授業は?」


「平気ですわ! あたし、真面目な生徒ですもの」


「じゅ……もういいや」


 授業に出なくてもいいのかと聞きたかったのだが、多分半分は伝わって、半分はずっと伝わらない気がしたので諦めた。

 平素が真面目に出席しているから、今日一日ぐらいはサボタージュしても平気ということに解釈した。

 ということで、話を再開する。


「今日も、例の婚約のことですか? それでしたら、ルキアノス様は今日は」


「いいえ」


 同行していませんよ、という前に否定が入った。ぱちくりと、近い距離に立つラリアーを見下ろす。すると、とんでもないことを言われた。


「ルキアノス様はいなくても大丈夫です。セシリィを探すんですよね? 是非あたしも協力させてください!」


「……そうきたか!」


 驚いたのは、ラリアーの行動力にだけではない。

 例の乙女ゲームでは、平民側のラリアー以外を選んだ場合、ヒロインとともに行方不明者の捜索をするのが彼女だったはずだ。

 更に言うと、ラリアーは悪役令嬢セシリィの方を慕っていて、バッドエンドを選ぶとセシリィに協力し、ヒロインを危機に陥れるという。

 小夜は勿論そのルートをやっていないが、ネット上には様々な情報が転がっている。ストーリーよりも声重視の小夜にとって、このゲームに関してはネタバレ注意という言葉はない。


(……んん? でもおかしいよね? ヒロインでもないのに)


 こんな所でゲームをなぞらなくても、と考えたところで、不意にそんな疑問がよぎった。

 ファニの素性により、ファニがヒロインの立場に不向きとなったことは分かる。ゲームで言えばヒロイン不在だ。だが現実では、人一人が居なくなっても何の問題もなく時間も物事も進む。その代替を他に求めたりしない。

 ということは。


(……ここは結局ゲームの中ってこと?)


 再び、小夜の可哀想な妄想説が浮上した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ