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ギガじゃないもので

「噴水の像は、祖王を導いた聖泉の乙女デスピニスを遣わした大精霊クレーネー様だ」


 時折通る馬車や人を避けながら、ルキアノスがそう説明してくれた。

 大精霊クレーネーは創生の第二の神々である水の神の眷属で、神代からエレスフィの泉に宿る生ける神話のような存在だ。けれど祖王と聖泉の乙女の伝説以降、かの大精霊がこの国に現れたという話はない。

 何せくだんの泉は、国土の最北にある。

 シェフィリーダ王国は三方を森と湖に囲まれた小国で、国土を広げるには南か西に広がる森を切り開くしかなかった。北には、東西にのびる北部最大のオン・トレン山脈がある。そのため王都も昔から北部であることに代わりはなく、今も変わらず森に守られている泉は、行事以外では訪れることのない場所でもあった。


「クレーネーの足元に広がる木々と茨は、今もエレスフィの泉を取り囲むコヴェントーの森を表しているという」


 ルキアノスの長い指が指す通りに見ていくと、確かに中央の円周にはアイアンレースのように今にも芽吹きそうな花や、散る落ち葉が実に写実的に形どられている。


(ってか、泉の名前、初めて聞いたかも……)


 建国の伝説も創生神話とともにセシリィに叩き込まれたはずだが、小夜の脳は必要のない情報は表層を流れ去っていく初期設定デフォルトになっている。記憶は欠片もなかった。

 だがルキアノスの説明は止まらない。


「反対側にある像が、国を取り戻した祖王ヴァシリオスと、それに力を貸した聖泉の乙女だ」


 元々、シェフィリーダは森の中の小さな領地に過ぎなかった。

 四方を森と湖に囲まれ、その先は古き山の民族アラシュ・イクサが支配する山脈地域。特に森は古くは帰らずの森とも呼ばれ、地元民からは忌避されていた。当時その土地を支配下に置いていたシェルトナム王国にとって、特に旨味のある土地ではなかったのだ。

 だが当時の領主は森を徐々に切り開き、山の民や、海の玄関口とも言われる南の貿易国家とも細々と交易し、湖から得られる恵みで土地を豊かにした。森の脅威は徐々に薄れ、小さいながら町は豊かに発展した。

 シェルトナム王国が気付いた時には、シェフィリーダは十分な国力をつけていた。隔地の領主に過ぎなかったシェフィリーダは、いつしか公国として自治を認められるまでに成長した。

 だがある時、北の隣国ヒュベル王国に侵略を受けた。


 元々、山の民を味方につけようとしていたシェフィリーダにとって、ヒュベル王国は仮想敵国であった。戦も何度かあり、その度に国境線を書き換えてきた。

 祖国を追われた公太子は、逃げ延びた森の中の泉で傷を癒し、必ず祖国を取り戻すと誓いを立てた。そこに現れた光輝く乙女が、彼女だ。

 彼女は泉の大精霊クレーネーの慈悲により遣わされた聖女で、彼の願いを叶えるためにやってきたと公太子に伝えた。


「だが……ファ二の、あの時の言葉が引っ掛かって、あれから少し調べ直したら、興味深いことが分かったんだ」


「…………」


 何でしょう、と聞けたら良かったのだろうが、小夜の脳ミソの容量は既に限界値であった。これ以上詰め込んだらフリーズする。


(しまった……ルキアノス様も秀才型だったか……)


 だがルキアノスは小夜の死んだ目には気付かず、続けてしまった。


「王妃……祖王の妻としてはディミトゥラという名前が残っているが、聖泉の乙女の名前自体はどこを探しても出てこなかったんだ」


 成る程、ファ二の言葉とは、侯爵邸での晩餐会で溢した一言のようだ。


『何故乙女は祖国奪還に手を貸したのか』


 根が真面目なルキアノスは、確たる論拠が欲しくて調べたのだろう。だが調べていくうちに、別の疑問にぶち当たった。


(そう言えば、誰も名前では呼んでなかったなぁ)


 などと考えた小夜は、上の空であった。情報が表皮を流れていく。


「? 小夜、聞いてたか?」


 いい加減、反応に乏しい同行者に気付いたらしい。ルキアノスが小夜を振り返った。小夜は口から魂を吐き出しながら答える。


「すみません……容量がギガじゃないもので……」


「戯画?」




       ◆




 冬の日も釣瓶落とし。

 アゴーラ広場は高い建物に囲まれていることもあり、一周する間に西日さえ射さなくなった。街灯に火をつける照灯持ちや衛兵が市街を回りだし、鐘楼からは野太くも高らかな鐘の音が響き渡る。

 人々は慌ただしく帰路を急ぎ、あるいは飲食店に向かい、人気ひとけは急激に減る。王都を囲む城壁でも、門を閉め始めている頃かもしれない。


「今日は帰るぞ」


 暗く寂しくなった広場で佇立していた小夜に、ルキアノスがそう声をかけた。結局、広場を見て回るだけで何も出来なかった。


「……すみませんでした。無理を言って連れてきてもらったのに」


 さすがに気落ちして、そう頭を下げる。

 馬車に戻り、ヨルゴスにも同様に謝ってから乗り込んでも、小夜の口数は珍しく少なかった。

 それを心配したのか、はす向かいに座ったルキアノスの方が今は雄弁であった。


「気にするな。城の衛兵でも見付けられないのだから」


 セシリィが行方不明になる前から町や国にも捜索を依頼しているが、貴族でないためにそこまでの数は割いてもらえないのが現状だったという。町の警吏は同職組合に所属していない学生は相手にしないし、学校は自治組織だからと、王室からも手出しが出来ないと、ルキアノスは嘆息した。

 実際、平民には寮生会、貴族には各サロンのような集まりがあるが、王族はどこにも所属していない。職権濫用を恐れてだろう。

 だがついに貴族セシリィが消えたことで、本腰を入れ始めている。クゥイントゥス侯爵もごりごりに圧力をかけてはいるだろう。時間の問題、のはずなのだ。


「セシリィのこと、心配なんですね」


 寮生会で聞いた噂が、脳裏を過る。セシリィに限ってそんなことはないと分かっているが、嫌味になっていないか心配になった。だがルキアノスは、気にした様子もなく首を横に振っただけであった。


「いや、心配しているのは兄上だ」


「エヴィエニス様が……」


 それは、きっとそうだろう。彼は、セシリィが嫌いになったから婚約を破棄したわけではない。それに幼馴染みのようなものでもあるとも聞いている。


「夜は効率が落ちる。仕方ない」


 話を切り上げるように、ルキアノスがそう言った。それももっともだと、小夜も自分を慰める。

 この世界は、現代日本と違い、夜の闇が濃い。街灯は等間隔にあるし、民家からは明かりも漏れているが、それでも空手ではとても歩けない。見えるものも見えなくなるし、何より寒い。

 太陽が消えたせいで、広場はぐんとその気温を下げていた。馬車の中に入って風が遮られても、露出している頬や指が冷たい。


「これも着ておけ」


「え?」


 突然の言葉に顔をあげる。見れば、ルキアノスが着ていた外套を小夜の前に差し出していた。


「あの、着てますけど……?」


 意図が分からず、そんな風に返す。小夜の外套は、エレニのものを借りていた。十分上等で、暖かい。


「だが、震えている」


「!」


 言われて初めて、小夜は自分の両手が小刻みに震えていることに気付いた。


(……結構、戸惑ってたのかな?)


 金曜日の夜に喚ばれて、こちらの世界では朝から話を聞き、仮眠してすぐ寮生会、聖拝堂と話を聞いた。そして今は広場。手懸かりは何もない。


(今日一日、無駄なことしかしてないもんな)


 戸惑っているというよりも、自分への失望のような気がする。


(セシリィ、大丈夫かな……)


 指をグーパーと開いたり閉じたりして、震えを押し込める。その肩に、ふわりと重みが増した。


「!」


「いいから、着ていろ」


 すぐ頭上で声がして、小夜はハッと振り仰いだ。ルキアノスが、揺れる馬車の中で器用に立っていた。と言っても馬車の天井は低く、長身のルキアノスは身を屈めているため、その顔はすぐ近くにあって。


「ッ!」


 ザッ、バン! とけたたましい音を立てて、背後の壁に張り付いていた。といっても、その距離は掌ほどしかなく、距離は少しも開いてはいなかったけれど。


「っち! 近っ!」


 思わず叫んでいた。みるみる顔が熱くなる。思い込ませたはずの心臓がまた馬鹿正直に高鳴りだす。声を追うはずの耳ではなく、目の方が釘付けになった。

 頬にかかるさらさらの金髪、鉄灰色の双眸に映り込む冴えない女。十一歳も年上の、ごくごく平凡な。

 その現実が見えた瞬間、小夜は自分の中の熱がみるみる冷めていくのを自覚した。ぐっと下を向いて顔を隠す。


(大丈夫だと思ったのに……さすがに哀れかな)


 十代のアイドルにときめくのは普通でも、高校生に恋するのは普通ではない。常識とか倫理観よりも、まず本人が困る。それは嫌だ。

 だから、小夜のすぐ横の壁についた手も、優しさも、小夜には見えない。特別な意味はないから。


「馬車なんだから、仕方ないだろ」


 ルキアノスがすぐ近くで当たり前のことを言う。小夜は俯いたまま、その体をやんわりと押し返した。


「あ、危ないですから、座ってください」


「…………」


「なぜ隣に!?」


 再び壁に張り付いた。だが右隣に座ったルキアノスの膝が、肘が、小夜のそれに触れる。どんなに縮こまっても、当たる。


(いやそこまで狭くはないはずですが!?)


 出せない声で叫んだ。鼓動がどんどん速く強くなり、この狭い空間に反響するのではないかと気が気ではなかった。


(……は、早く)


 早く離れてくれと願う。どうか、気付かれる前に。

 だが続いたルキアノスの声は、あまりに低く、真剣であった。


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