十九年前
十九年前の戦争といえば、一般的には隣国との第二次聖泉奪還戦争のことを指す。
だがその実、前国王とその兄が王位を巡って争った内乱でもあった。
当時、ルキアノスたち三王子の祖父である先王は病に臥し、死後は嫡男である王太子フォティオスに王位が継承されることが内定していた。
だがこれに前後して隣国ヒュベル王国が和平条約を破って国境を侵犯。これを撃退するために軍隊が派遣された。
国内外で混乱が加速する中、反戦派の王太子フォティオスが死亡。毒殺とも言われたが、事故か他殺かは不明で処理された。その次には王女の婚約者となった現国王テレイオスも前線へ投入。この間に第二王子も王宮で何者かに襲われ、足を不自由にしている。
その全ての糸を裏で引いていたのが、王兄ハルパロスとその息子であった。
彼らを処断したのが現国王テレイオスだが、彼はこれ以上の混乱を避けるために王兄の謀反の事実を伏せた。親子は病死とされ、テレイオスは次々に死んだ王族の血に塗れた王と呼ばれるようになった。
(頭の痛くなる小難しさじゃ……)
戦争のない時代と国に生まれた小夜にとって、権力闘争や派閥争いなどはどうしても現実感が伴わない。
そんな中で小夜が真っ先に結び付けたのは、ファニのことであった。
(ファニの身に起こった本当のところを、確かめようとしてたのかな)
エヴィエニスのために、ひいては自分のために。
だがそうだとしても、一つの疑問が残る。
「それが何で聖拝堂なんですか?」
戦争の資料を探したいなら、図書館がある。聖拝堂にわざわざ来る目的とは何であろうか。
「こちらには、神殿側から見た歴史資料が多くありますからね。多面的な見方が欲しかったのではないでしょうか?」
答えてくれたのは、終始穏やかな笑みを浮かべているツァニスであった。だがそれでも小夜には腑に落ちない部分がある。
「どうして戦争の資料が聖拝堂にあるんですか? なんか、関係無さそうな気が……」
「聖泉の奪還が目的だったんだから、関係は大有りだろ」
「え? でも、最初は国境を勝手に越えてきたからって……」
「あそこは元々中立地帯だったからな。国境を侵すということは、つまり聖泉を手中に納める大義名分が発生したも同義だ」
その状況でみすみす聖泉を諦めるほど、神殿の人間も平和主義ではないということらしい。
(信仰は人を狂わせるって言ったの、誰だっけ)
信じるものを掲げての争いは、小夜のいた世界でも洋の東西を問わなかった。現代でもニュースに取り上げられないだけで、宗教が違うからというだけで土地を追い出し、迫害し、同じ人間とさえ見なさない非道がまかり通っている国はある。
日本や先進国の表面にこそ民族の多様性に対する寛容さはあるが、その裏側の個々人の中にはやはり拭いようのない何かがある。だから多数決の闇は消えないし、独り膝を抱えて泣く夜は来る。
(なんか、嫌だなぁ)
誰が何を信じていたっていいのにと、こういう話を聞くといつも思う。誰にも迷惑をかけないはずなのに、なぜか顰蹙を買う。肩身が狭くなる。孤立する。そして排斥される、そうなるともう戦うしかない。その先に、晴れやかな勝利があるわけでもないのに。
(自分の正しさを証明するためだけに、他人を傷付ける必要なんてないのに)
それが不安から来ている行為だと分かってはいても、小夜は苦しくなる。
小夜は別にニートでも引きこもりでもないし、人生に失敗したとか挫折したわけでもない。でも消えたいと思ったことはある。取り返しのつかない失敗をしたと落ち込んだことも無数にあるし、部屋から出たくないとか誰とも会いたくないと思ったことは数えきらない。
そんな時は、いつもアニメを見た。好きな声優さんの出ているDVDを見て、好きな台詞を何回も繰り返して、バカみたいに泣いた。布団の中でwebラジオを聞いて、どうにか笑った。
そしてまた学校や会社に行った。
だから、小夜にとって声優さんとは、声とは、特別なのだ。
「今さら、あの戦争のことを調べてどうする気だ?」
自分の思考に沈んでいた小夜は、ルキアノスの声にハッと我に返った。唸るように呟く声は、質問というよりも独り言に近かったが、思いがけず返事があった。
「学校の課題か何かだったのではないですか?」
ツァニスである。おや、という風にルキアノスを見ている。だが当のルキアノスは眉根を寄せて顔をしかめた。
「何故そう思うのですか?」
「セシリィさん以外にも、調べに来る学生がいたものですから、てっきりそうかと……」
ルキアノスの意外な剣幕に、ツァニスが柔らかい顔をおたおたさせて答える。勉強熱心な学生を微笑ましく眺めている姿が目に浮かぶようである。
一方の小夜は、ファニかな、と勝手に思った。
「女性ですか?」
「いえ、男の子ですよ。見ない顔だったのですが、今年編入されてきたとかで」
全然違った。ずーんと凹む。
(やっぱり探偵役は無理だな)
などと分かりきったことで落ち込む小夜の横で、違う視点を持つ者がいた。ルキアノスである。
「見ない顔というと、親しくなったわけではないのですか?」
「えぇ。出来れば静かに調べたいと最初に言われてしまったので」
「それなのに、編入してきたと知っている?」
矛盾点を鋭く指摘するその声は低くも明瞭で、小夜は隣で目を丸くした。探偵役を多くこなしてきたかの声優さんそのままだったからである。
(ご本人!)
そうではあるがそうではない。しかも今はそんな場合でもない。分かってはいるのだが、小夜は興奮が押さえきれずに顔を覆って身を折った。
(不意討ちご馳走さま!)
やっぱり好きだ、と改めて思う。そして同時に、やっぱり自分はただの声ヲタだなと確信する。
(あー良かった! 変な心配しちゃったよ!)
うきうきとルキアノスの台詞をリフレインしながら、手を組んで天(井)に祈る。
そしてその隣では。
「…………」
ルキアノスが、突然入ったスイッチに顔をひきつらせていた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「ただのびょ……いや、お気になさらず」
脈絡のない小夜の動きに驚いて動揺するツァニスに、ルキアノスが「病気」と言いかけてやめる。病気と言ったら、この聖職者は本気で信じて救護しだすと思ったのかもしれない。
「それで、理由をお聞きしても?」
ルキアノスは今の一連をなかったことにして、会話を再開した。
「え、あぁ。それは、聞いたのです。調査をしているという寮生会の方から」
「聞いた?」
「えぇ。彼が来なくなったと思っていた頃、寮生会の方が来られて教えて頂いたのです。行方不明になったと」
◆
現時点で行方が分からなくなっていると判明しているのは、四人。男子生徒一人と、女生徒三人。そのうちの一人がセシリィであった。
共通点は不仲な婚約者と思っていたら、別の共通項が発覚した。それが、十九年前の戦争。
「まさか、戦争のことを調べようとする人間をみんな消して回ってるとか」
自分で言っておきながら、小夜はゾッと鳥肌がたった。中二病が酷いと思う一方、有り得なくもないとも思えてしまう。
だが幸か不幸か、ルキアノスは緩やかに首を横に振った。
「そうなると、知られて困るのは王家だ。だが身内の恥ではあるが、現王に瑕疵はない」
確かに、国王が不正を働いたわけではない。大筋を聞いただけなら、勧善懲悪とも言える。手懸かりではないのだろうかとがっかりすると、「だが」とルキアノスは続けた。
「他の二人も調べたかどうかは、確認してみる価値はあるだろう」
そう言いながら、ルキアノスは新たに本を手にとってめくる。
場所は聖拝堂の資料室である。
ツァニスに許可をとって、セシリィたちが見たであろう同じ資料を確認していた。『聖泉奪還戦争の正統性』『聖泉の乙女の導き』『精霊信仰の歩み』『山岳民族ヒュベル王国史』……資料は多岐に渡る。正直ちっとも見たくはない。
小夜は調べるふりをしながら、ずっと気になっていたことを口にした。
「ファニには……謀反のことは全部説明したんですか?」
ファニは十九年前の父の謀反による処断から逃れるために、王城にある聖拝堂の泉に飛び込んだ。それがなぜか遠く離れた聖泉へと繋がっていたことで、溺死することなく助かった。
目覚めたときには十九年の歳月が経ち、記憶は曖昧で、泉から助けられた時には自分が何者かも定かでなかったが、エヴィエニスたちと過ごすうちに記憶を取り戻し、自身の素性に悩んだ。
エヴィエニスに隠れて父や兄のことを調べたが、結局確かなことは分かっていないようだった。それでも、正体が発覚すればエヴィエニスの側にはいられないことだけは分かっていた。そして糾弾されれば逃げ場がないことも。
だからファニは、嫌われることを選んだ。エヴィエニスが苦しまないように。自分の存在が失態とならないように。
「あぁ。兄上が話すと言っていた。あの件に関しては当事者である叔父上もいるし、聞きたいことは聞いていると思う」
「そっか……」
複雑だな、と小夜は思う。身内の罪というのは、現代の犯罪でも曖昧で不明瞭な位置付けだ。父が犯罪者でも娘は関係ない。そのはずだが、世間の目は違う。戦国時代であれば尼寺にでも入るか一族郎党皆殺しだろうが、文明社会にそんなものはない。
「ファニに、このことは話しますか?」
「ファニは、あれからずっと監視下にある。フィイア先生も恐らく見ているだろうし、何もできないはずだ」
「疑ってなんかいませんよ」
思わず固い声になっていた。ルキアノスの視点が王族側からとなってしまうのは仕方ないと分かるが、それでも少し残念だと思ってしまうのは、身勝手だろうか。
(ファニに会いたいけど……)
今はセシリィを探すという目的がある。ルキアノスが違うというのなら、今は会うのは難しいだろう。
それでも、小夜は言わずにはおれなかった。
「ファニのこと、守ってあげてください」
それは、ゲーム進行上の懸念も勿論ある。けれどそれ以上に、彼女を心配したかった。
「……分かっている」
ルキアノスは、目をそらしてそう答えた。そう言えば、ルキアノスもまたファニに仄かな恋心を抱いていたのだったと、今さらながらに思い出した。
伏線なんか気にしない……。




