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光栄と至福の至り

 声のした方を振り向くと、建物側から少女が駆けてくるところであった。明るいシルバーブロンドの長髪に、輝く茜色の瞳――寮生会室を飛びだしたはずのラリアーである。


(救い……じゃなかったかも)


 それでも、ルキアノスの体は離れた。小夜はプール帰りの浮き輪のように気が抜ける気分であったが、どうにかへたり込むのは我慢する。


「ルキアノス様!」


「確か……ラリアー嬢、だったか」


 ルキアノスの正面に辿り着いたラリアーに、ルキアノスが確かめるように呼び掛ける。少女は軽く息を整えると、上気した頬を更に輝かせて目を細めた。


「はい。覚えていただけて光栄です」


「寮生会に戻るのか?」


「いえ。実は……ルキアノス様にお話があって、飛び出した振りをしたんです」


 両手を頬の横で合わせ、にこりと小首を傾げる。その仕草に、そういえばそういう設定もあったなと思い出す。


(確か純真無垢な妹キャラだけど、実は強かなんだっけ)


 表裏のある性格で、その分ヒロインとの好感度が上がると素を見せる。その二面性とあざとさで、一部に根強いファンがいるとネットで見た。


(あー、ゲームのこと考えると落ち着くかも)


 などと、二人の攻略対象を傍観者に徹して眺めていた矢先、


「ルキアノス様、本当にあたしと婚約していただけませんか?」


「ぶっ」


 お茶もないのに吹いていた。二人の視線が小夜に向く。


「あ、どーぞどーぞ。お続けください」


 口許を拭いつつ、もう片方の手で先を促す。

 ルキアノスは半眼で呆れながら、視線をラリアーに戻した。


「ご令兄ではないが、婚約者ならご尊父が決めてくれるだろう」


「それでは遅いんです」


 面倒臭さを幾分隠さずに言ったルキアノスに、ラリアーが食い気味に否定した。まだ幼さの残る顔を深刻そうに歪めて、ルキアノスを見つめている。


「理由を聞いても?」


 先にルキアノスが折れた。だが返されたのは、予想外の内容であった。


「ルキアノス様は、最近の失踪事件の原因をご存知ですか?」


「……いや」


 会話が繋がっていない。だがルキアノスは片眉を上げただけで先を促した。


寮生会あそこに相談に来てた中で、行方不明と言われている女生徒が話していたのが、婚約者についてだったんですけど」


あの女子寮長クリスティネもそんなことを言っていたな」


「はい。最近は特に多いんですけど……気になるのが、その前に行方不明になった子も、婚約者が苦手だと仲の良い友達に言っていたみたいなんです」


 それは、主観を多分に含んだ一方的な見方とも言えた。だが手がかりも心当たりもない小夜には、必要な着眼点であることは確かだ。


(婚約者が嫌いで逃げたとか?)


 そんな単純な話ならいいが、それではセシリィには当てはまらない。仲の悪化した婚約者とは別れたが、それでもまた自力でエヴィエニスの側を勝ち取ると言っていた。そのセシリィが、今更恨むとも逃げるとも思えない。


(そりゃ、まだまだ複雑ではあるだろうけど)


 十六歳の乙女の失恋である。中高生であったら卒業までの三年間くらい引きずっても不思議ではない。

 他の見方としては、婚約に関し後ろめたい人間を選んで拐っているか、他に共通点があるかだが。


(あとで聞き込みとかもしていいのかな?)


 子供の頃に見た刑事ドラマの「現場百篇」の台詞が脳裏に過る。あとでセシリィが消えたと思われる現場を見に行けるか聞いてみようと考えた辺りで、ルキアノスが「ふむ」と頷いた。


「つまり婚約者とうまくいっていないやつが消えているのではないか、と考えているのか?」


「はい。ですが、最初の男子生徒についてはよく分からなくて……だから、その関係性があるかどうかを確かめるためにも、ルキアノス様にご協力頂ければと思って」


「……言い分は分かった」


「では!」


 ラリアーがパァッと愁眉を開く。早速ルキアノスの手を取ろうとして、けれどするりと逃げられる。


「だが何故それでオレなんだ」


 それは当然の疑問であった。

 ラリアーは男爵令嬢だが、貴族の階級で言えば最も低い。第二王子と釣り合うかといえば、さすがに家格が違いすぎる。

 囮作戦をしたいのならば、もう少し現実的な相手な良さそうなものだが。


「だって!」


 と、ラリアーは爽やかな笑顔で手を打った。


「王子様と婚約なんて誰が見ても無理があるし、ルキアノス様ならセシリィとの噂もあるから余計にうってつけかと思って」


「まぁ……確かに」


 あまりの笑顔と自信に、ルキアノスが不審げな顔を残したまま小さく頷く。小夜もまた、それも必要かと半分以上言い分を飲み込みかけた次の瞬間。


「それに王子様と婚約って、嘘でも素敵じゃないですか!」


「! まっ……」


 声が出ていた。またぞろ二人の目がこちらを向く。ルキアノスが目で「続きはなんだ」と言っていた。


(待っ……て、と言いそうになったとは……言えない)


 いや、言ってもいいが、さすがに意図が自分でも分からない。待ってもらってどうする気なのだ。


(いやいや、どうもしないでしょ)


 冷静になれ、と自分に言い聞かせる。そして笑った。


「全くですね!」


 にへら、と。


「ルキアノス様は何と言っても素敵なお声の持ち主ですからね! 嘘だろうと何だろうと囁く声の美しさに変わりはありませんとも!」


 そう、ここはゲームの世界。ルキアノスの声はかの声優さんで、子供の頃から大好きで、でもテレビの向こうの人で、聞こえない場所からわーわー言っているのが楽しい、夢の世界の住人。声優さんは本当はルキアノスではないし、今もテレビでは別のキャラを演じてる。今期のアニメでは、ゲーム進行役のクマだった!


「そう! クマなんです!」


「え?」


「は?」


 拳を握り締めた反動か、思わず最後の言葉が声に出ていた。突然の熱弁をふるった小夜を、二人がぱちくりと見やる。

 だが小夜は気付かず、ふんっと鼻息を鳴らした。半ば自己暗示気味ではあったが、幾分気分が落ち着いてきた気がする。

 今は突っ込んでくれるトリコもいないのだ。自分で自分を制御せねば。


「ということで、お邪魔しました。ささっ、続きをどうぞ!」


 勢いに任せて自己完結して、再び二人に先を促す。だが受けた二人は、目を泳がせて数秒躊躇った。まるでいけないものを見てしまったかのように。


「……ご病気、なんでしたっけ?」


「……悪化したらしいな」


 眉尻を下げて本気で心配するラリアーに、ルキアノスが額に手を当てて唸った。

 だが結局、用件自体はそれで終わりだったようで、ラリアーは気を取り直して笑顔に戻った。


「でも本当に、協力頂けたら助かります。お名前をお借りして婚約の噂を流すだけでも、何かあるかもしれませんし。それにもし何もなければ、責任をもって否定して回りますから!」


 要約すれば、必要なのは噂だけということだったらしい。成る程と頷く一方、ルキアノスは顔をしかめる。


「だがそうなった場合、危険なのはあなただ。女性を囮にするような手段は使わない」


 それは、考えてみれば当然の理由ではあった。失踪したのは女生徒二名と男子生徒一名だ。婚約者のどちらかなら、力の弱い女性が狙われるのは当然だろう。

 だがラリアーは、これに納得するどころか、予想の斜め上の発想で切り返してきた。


「そうですか……。では、代わりに誰か……そうだわ、小夜様でも!」


「へ?」


 出し抜けに名前が上がり、小夜は目をしばたたいた。可憐な声に名前を呼ばれた喜びはけれど、ラリアーの茜色の瞳と目があって別のことに気を取られる。

 別とはやはりゲームなのだが。


(……これがゲームだったら何の違和感もなく受け入れるんだけど)


 ラリアーも攻略対象の一人ではある。ヒロインとの好感度を上げるイベントなら、何の疑いもなく好意と取る。

 だがこの状況で言われても、気がある男子を前にしたうら若き乙女たちの駆け引き第一弾にしか聞こえない。


(好きになったら女性でも大丈夫って設定までちゃんとあるのかな?)


 いや、ないだろう。そもそも小夜はヒロインではない。つまり好意はもたれない。

 となると答えは。


「やってもいいですけど」


 軽く請け負う。なにせ断る理由がない。なぜなら。


「はぁ!? ちょっと待っ」


「でも女性同士の婚約なんて、信憑性が無さすぎて犯人も動かないんじゃないですか?」


 一人慌てた声を上げるルキアノスは横に置いて、肝心の問題点を指摘する。家と子孫のための婚約という前提があるのに、女性同士ではたとえ可能でも微笑ましい口約束程度にしかならないはずである。

 だが意外にもラリアーは意気揚々と小夜の手を握ってきた。


「そんなことありませんわ! あたし、小夜様を最初に見たとき、なんだか懐かしいような気がして……初めてお会いした気がしないの!」


 アンドレウ男爵家はナンパな家系なのだろうか。しかも声が割と本気に聞こえる。夜会の招待状を貰った時などに感じた冷ややかさがない。なので。


「ラリアー様はお可愛らしいですね」


 ほくほくと喜んでおいた。こんなにも可憐な笑顔と声でこんなことを言われて拒否するなど、声ヲタのすることではない。


「私も、ラリアー様の小鳥の囀りのように清らかなお声で名前を呼んで頂ける日が来ようとは夢にも思っていませんでした。光栄と至福の至りです」


「まぁ……!」


 ラリアーの十五歳らしい滑らかな手を握り返して賛辞した。本能であった。

 ラリアーが少女らしく頬を桃のように染める。


「あたし、いつもきゃんきゃん煩いって言われたことしかなくて……」


「滅相もない! それは溌剌とした伸びやかなお声と言うんですよ。群衆の中からでも一発で聞き分けられます」


「……今、お母様のお気持ちが分かった気がします……!」


 母と言われて、そう言えば兄のアグノスもそんなことを言っていたと思い出す。どうやら、両親は恋愛結婚だったようだ。


(……ナンパ家系だからか!)


 思わず納得してしまった。と。


「いい加減離れろ!」


 ぐっと後ろから襟首を引っ張られた。ぐぇっと喉がつまる。見ればルキアノスが、眉を吊り上げていた。


(しまった。本気すぎてまた詰め寄ってた)


 こほん、と体裁を整えてから、二人から丁重に距離を取る。


「えっと、申し訳ありませんでした。ご不快な思いをさせてしまい」


「えっ、そんなこと」


「全くだ」


 何故かルキアノスがそう答えた。深々と謝る。


「とにかく」


 と、ルキアノスが頭を上げた小夜を確認してから話を戻す。


「そういう算段なら、もっと合う条件がある。あなたは危ないことをせず、大人しくしていてくれ。何かあればまた連絡はする」


「……はい」


 ルキアノスの言葉に、ラリアーが悄然と肩を落とす。どうやら本気で名案だと思っていたようだ。


「残念ですが、諦めます。でも……」


 言いながら、ラリアーが再び小夜の前に出る。別れの挨拶かなと呑気に構えていたら、その小さな顔がそっと小夜の頬に近付いてきた。

 そして。


「寮生会には気を付けてください。あの中に裏切者がいます」


 それまでとはまるで違う小さな声で、そう囁いた。

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