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そんなつもりは微塵もなかった

「そういう噂があることは知っているが、違う。あまり吹聴しないでもらいたい」


 ルキアノスが、こめかみを押さえながら否定する。だが、言葉は小夜の頭を上滑りした。


「あら、そうでしたの? いつも嬉しそうに寮に帰るものですから、てっきり」


「それは……鳥の世話があるからだろう」


「そうでしたか。では、そういうことにしておきますわ」


 くすくすと、クリスティネが大人の余裕を見せて話を終える。小夜の方が一回り近く年上なはずだが、到底真似できそうにない。


(小麦色の肌かな? ナイスなバディーかな?)


 考える。しかし全く考えられてはいなかった。困ったように視線を伏せるルキアノスの横顔をただ凝視する。

 だというのに、更なる爆弾発言が小夜の脳味噌に揺さぶりをかけた。


「違うなら、あたしと婚約してくださいませんか?」


「ぶっ!」


 お茶を吹いた。小夜ではない。アグノスだ。しかし小夜もお茶を口に含んでいたなら、同じ末路を辿っただろう。

 ガチャン、とカップを置き、アグノスはいつの間にかルキアノスの椅子のすぐそばに立っていた妹に駆け寄った。


「ラリアー! 突然何を言い出すんだ。はしたないぞ!」


「あら、お兄様。でも王太子様とファニ様のような件もあるし、そこまで変なことではないはずよ」


「そういう問題じゃない! 相手は王族だぞ?」


「だから、ファニ様だって」


「あのお方は聖泉の乙女デスピニスだ!」


 特別なことではないと説くラリアーに、アグノスは顔を真っ赤にして説明する。だが第三者の小夜からすれば、どちらも正論のように思えた。

 ファニは貴族ではない。そして王太子エヴィエニスは、セシリィという婚約者がありながらも、自由恋愛を貫いてファニを選んだ。二人の恋物語に憧れる生徒が増えるのも時間の問題と言えた。

 それが良いことか悪いことかはともかくとして。


「婚約者が欲しいなら、父上に言え。自由恋愛がしたいなら、母上に話を聞けばいい」


 アグノスが、疲れたように妹をそう諭す。その言葉に少しの興味を引かれた小夜ではあったが、口には出せなかった。


「……お兄様の分からず屋!」


 ラリアーが兄の手を振り払って、部屋を飛び出したからだ。しかし誰も後を追う様子は見せず、沈黙した室内にアグノスの大きな溜め息が響く。


「大変申し訳ありませんでした。分別のない妹で」


「王家がまだ嫌われていないようで安心した」


 恐縮するアグノスに、ルキアノスが平素の口調を取り戻して混ぜ返した。どうやら、当の本人は少しも動揺していなかったらしい。これだけの美貌と肩書きなのだし、慣れているのかもしれない。


(……困った)


 いい加減ルキアノスを凝視するのをやめはしたが、小夜は困り果てた。困りすぎて別のことを考える。


 現在の国王は、先王の王女を娶ることで王位を得た。隣国との戦争があったあとの即位で、その正統性には色々と批判もあったという。王女の兄――先王の王太子の死についても当時は激しく議論され、即位後もしばらくは亡き王太子から王位を横取りした血塗れ王と陰で囁かれるなど、王家への求心力が落ちていたと、セシリィから聞いた。

 だからこその、先程の一言なのだろう。この一件では、王太子であるエヴィエニスの方が悩んでいるとゲームではあったが、ルキアノスも王子である立場は同じだ。


 ルキアノスが、笑みを張り付けたまま言を繋ぐ。


「昨今、巷では自由恋愛が流行っているというのは本当らしいな」


「そう、でしょうか」


 アグノスが困ったように言葉を濁す。それを、ルキアノスは少し陰のある笑みで受けた。


「安心するといい。その波が王室まで届くことはない」


 それは、妹を心配する兄を慰めるためだけの言葉ではなかった。

 実際、身分と政略の中で生きることを強いられる王族にとって、自由恋愛など夢のまた夢だと思えるのだろう。

 けれどそんなことは決してないと、小夜は知っている。

 小夜の世界では、歴史ある王室にも時代とともに自由結婚が増えていることを知っている。そしてこの世界でも、その流れはいつか訪れるだろう。

 だが今ではない。

 つまり、ルキアノスの意識が正されることはないのだ。


(困ったなぁ……)


 もう一度、心の中だけで呟く。どうにもならないと分かっているからこそ、そうとしか言えなかった。


(そんなつもりは微塵もなかったのに)


 ルキアノスのことは勿論声が一番だが、本人自身も好ましい青年であることは言うまでもない。だがそれはアイドルに対する感情と同類であって、それ以上にはなりようがないと、常識のようなレベルで頭に刷り込まれていた。期待など毛頭ない。

 そのはずであったのに。


(妙なことを自覚してしまった気がする……)


 手を伸ばせば届く距離で、自嘲気味の憂い顔を見てしまったせいだろうか。


(この近さがダメなんだろうなぁ)


 勘違いしそうになる。

 唯一無二ではなくとも、少しだけでも――。


「今日はこれで失礼する」


「!」


 おもむろにルキアノスが立ち上がり、小夜はハッと顔をあげた。思索は途切れ、慌てて立ち上がる。


「何のお役にも立てず、申し訳ありません」


「いや、随分参考になった」


 扉に向かうルキアノスを見送る形で、アグノス以外の面々も腰を浮かす。それを手で制して、ルキアノスは自ら扉に手をかけた。


「セシリィのことで、何か分かったら教えてくれ」


「もちろん」


 最後にそう念を押して、ここでの目的は終了した。

 小夜は困りすぎていて、いつの間にかトゥレルの寝息が聞こえなくなっていたことに、少しも気付かなかった。




       ◆




 フラテル寮を出て前庭を横切る道を進みながら、小夜は抑えた声で切り出した。


「その、ルキアノス様」


「なんだ?」


「ファニのことですが」


 名前を出した途端、ルキアノスが足を止めた。くるりと振り返って小夜を見つめたかたと思えば、ぐっとその距離を詰めてきた。


「ちっ、近! なんっ、何でですか!?」


「逃げるな」


 慌てて後ろに下がろうとするが、腕を取られて逆に引っ張られた。すぐ鼻先にルキアノスの胸が迫る。ぎゃっと声が出そうになった寸前、


「ファニが何だ」


 すぐ頭上でそう言葉が続いた。そこでやっと、この距離の意味を理解する。


(そ、そっか。ファニのことは、秘密なのか)


 ファニの素性が前国王の兄の娘であり、聖泉を通って時代を飛び越えてきたことは、恐らく余程のことがなければまず公表されない。迂闊に外でしていい話題ではなかった。

 それでも、一つだけ気になることがあった。


「い、今のファニの立場って、どうなってるのかと思って」


 小夜の記憶では、エヴィエニスはセシリィと婚約破棄したばかりで、ファニとはまだ正式な婚約はまだだったはずだ。だが学校内でも社交界でも、二人はほぼ婚約したも同然の扱いで、ファニも未来の王妃と目されていた。

 だがファニの素性――反逆者前王兄ハルパロスの娘カティアと判明した今、それが実質不可能に近いことは明白だ。


 しかし一方で、このことが公にされないままであれば、エヴィエニスとの婚約を中止する理由はない。そして王室としてもそれを望まないだろう。何せエヴィエニスは一度セシリィと婚約解消をしている。立て続けては外聞も悪いはずだ。

 もし動くとすれば、国外の姫を迎えるなど、圧倒的立場の婚約者が現れる場合くらいだろう。


 だが小夜としては、最後に見た二人の印象が強すぎて、エヴィエニスがファニを諦めきれないのではないかと思っていた。たとえ周囲が許さなくとも。

 果たして、ルキアノスは小夜の問いを正しく汲んでくれた。


「そのままだ。但し婚約式は無期延期で、兄上の寮からも出て、今は叔父上の宮から通っている。勿論監視付きでだ」


 つまり、レヴァンと同じく王弟の管理下ではあるが、世間的には何も変わらずということのようだ。


(また繊細な話題になったなぁ)


 流れとしてはゲームとあまり変わらないという点も、良いのだか悪いのだか。

 とりあえずこの話題はエヴィエニスには振らないと決意する。前回の失敗で十分懲りた。


 そして、今当面の問題は。


「わ、かりました。ので、離れてください」


 おずおずと、掴まれたままの腕を軽く上げてアピールする。足は既に逃げていた。


「ん? ……あぁ」


 その様子を頭一つ分上から見下ろして、ルキアノスがパッと手を離す。だが体は少しも離れていなかった。どころか、顔を覗き込まれる。


「お前、なんか様子が変だぞ。何か気付いたことでもあるのか?」


「せ!」


「せ?」


「接近禁止で!」


 ずざざっと後退して叫んでいた。それではまるでストーカー扱いではないかと思ったが、幸いにしてこの時代にストーカー規制法はない。妙な誤解は生まないはず、とルキアノスの顔を盗み見る。


「……あ」


 目が据わっていた。


「……理由は」


 腕を組んで問う。低音が地を這っていた。鼓膜が震えてぞくぞくして、顔がどうしようもなく赤くなる。

 小夜はさっと目を逸らして捲し立てた。


「えっと、セシリィとの噂みたいに、特定の異性と必要以上に接近するのはよろしくないかと! ほら、未来の婚約者に見られても事ですし!」


「未来の婚約者って誰だよ」


「それはその、……さっきみたいな若くて可愛らしい女の子とか」


 言っている自分の胸にぐさりと刺さったが無視した。

 第二王子という立場からお相手選びは繊細さを極めるだろうが、それでも年の釣り合う器量よしという点は最低条件だろう。今更だ。

 だというのに、ルキアノスはざっと土を踏んで一歩で距離を縮める。身長差はセシリィの時と同じはずなのに、今は圧迫感で心臓が押し潰されそうだった。


「……小夜」


 鉄灰色の瞳が、苛立ちの中に別の小さな感情を混ぜて、名を呼ぶ。ゲームの中なら、登録しても決して再生されることのない名前を。


(それは反則です!)


 そう、いつもなら声に出して喚いていたのに、今は何故か声が出なかった。体が硬直している気がする。けれど目の前では、ルキアノスの骨張った手が伸びる。

 逃げろ、と本能が叫ぶ。その耳に、


「ルキアノス様!」


 救いの声は訪れた。

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