ナンパの常套句
「まず、最近セシリィがこちらにお邪魔してるか伺いたいのだが」
「あぁ、そう言えば、来ていませんね」
早速本題を切り出したルキアノスに、アグノスは頷きながら部屋の手前側に設えられた応接セットを促した。
ちなみに、一室が広く取られた奥側に並べられた執務机が、寮生会役員の普段の作業スペースだ。この辺りは、紹介映像で見た背景に記憶がある。
アグノスが長椅子に座り、対面にルキアノスと小夜が座った。その間に、女性二人がお茶を用意してくれる。
フラルギロスは机について業務を再開するらしい。ペンを走らせる音と、トゥレラの健やかな寝息が聞こえる中、話が再開される。
「最後にこちらに見えたのはいつ頃だろうか」
「一週間程前じゃないでしょうか」
「何の用で?」
「何も」
鋭く切り込んだルキアノスに、アグノスは優等生の笑みで即答する。
「彼女はいつも、僕らの普段の様子を見たいと言ってここに来ているだけなので」
「見てるだけなのか?」
「えぇ。基本は」
嘘だな、と小夜は思った。
あの頑固で高飛車で融通が利かないセシリィが、見ているだけで我慢できるとは思えない。気になったことは質問するし、理解できるまで掘り下げるだろう。生半な説明では、逆に不自然な点や非効率をあげつらって業務改善を始めてしまう。
「こちらには、行方不明になった生徒も相談に来たことがあると聞いたが」
「どうぞ」
話を遮るように、目の前のローテーブルにティーカップが置かれた。クリスティネだ。にこりと、艶やかな笑みをこぼして去っていく。
それを見送ってから、アグノスは改めて口を開いた。
「えぇ、来ましたね」
「セシリィも、その相談に乗ったのでは?」
「まさか。彼女はこんな場所に出入りしてはいても貴族ですからね。寮生の雑多な相談など、恥ずかしくてお聞かせできませんよ」
「口が悪いから?」
「え?」
笑顔でかわし続けるアグノスに、小夜はつい口を挟んでいた。ルキアノスにちらと見られたが、怒られなかったのでそのまま続ける。
「セシリィは確かに口が悪いし思ったことをすぐ言うし遠慮がないし遠回しってことを知らないけど、間違ったことはそんなに言わないはずです。貴族だからって理由だけで、セシリィを蔑ろにするのはやめてもらえませんか?」
「…………」
敵意というわけではなく、正直なお願いだったのだが、返ってきたのは無言であった。アグノスの茜色の瞳が、やっと小夜を見る。
そして。
「……失礼ですが、どこかでお会いしませんでしたか?」
「……はい?」
全然関係のない内容が返ってきた。目をぱちくりと瞬き、考える。
(何だろう。こんなナンパの常套句みたいな台詞、ゲームに出てくるのかな?)
だとしても小夜はファニではないから、あったとしたらただのバグであろう。
(しかし良い)
などと噛み締めていると、カチン、と硬質な音がした。見ればルキアノスが、ティーカップをテーブルに戻したところであった。
「あるわけないだろ」
(低い!)
突然の不機嫌そうなドスの利いた声に、小夜は思わずパァァ……! と顔を輝かせていた。両手を組んで、真横の美声発生装置を拝む。
(ルキアノス様のひたひたと怒気が滲むような声の、なんと痺れることか!)
あとは怒号だな、などと全く見当違いな感想を抱く小夜を見て何か悟ったのか。アグノスは小夜から視線を外して謝罪した。
「それは……失礼しました。どこかで見たような気がして」
「あと、お前は相変わらず言葉が真っ直ぐすぎる」
「え、そうですか?」
横目でルキアノスに睨まれた。もしや不機嫌の理由は自分かしらんと気付いたところ、その後ろでくすりと可愛らしい笑声が上がった。
「お兄様が意地悪するからよ」
「そうね。今日のアグノスは少し根性悪ね」
給仕を終えて席に戻っていた女性陣が、楽しそうに揶揄する。すると少しして、まるで参ったという風にアグノスが頬を掻いた。
「いや、申し訳ない。本人の許可がないのに、話していいものか分からなくてね」
「あぁ、それは言えてるかも」
きっと勝手に聞き出したとなると、セシリィは拗ねて機嫌を悪くするだろう。
「だが、蔑ろにしているつもりはない。最初こそ、貴族が興味本意に現れたのかと思ったが……セシリィは初日に『自分個人を見ろ』と言ったんだ」
『わたくし個人を見て頂きたいわ。それでもしわたくしに敬称をつけるほどの価値や功績があったと言うなら、思う存分つけて頂いて結構よ』
セシリィは貴族が平民の領域を侵犯する無礼を謝罪した上で、そう言ったという。胸を張るセシリィが容易く想像できて、小夜は笑ってしまった。
「それからは、普通です。時間のある時に現れて、気になることを聞いて、階級差で生まれる違いを知り、庶民の感覚を磨いていった。だが相談については、個人的に行うことが多いから、セシリィも口を出したりはしなかった。これは本当ですよ」
途中からはまたルキアノスに視線を戻し、アグノスがそう締め括る。これに、ルキアノスは短く沈思して。
「セシリィがそう思うようになった心境の変化は、何となく分かる」
ちらりと、小夜に鉄灰色の瞳を向けた。だがすぐに前を向く。
「では他に、何か調べ物をしている様子はなかったか?」
「調べ物というと、ほぼ毎日何かしら本は読んでいましたが……」
「聖拝堂にも、よく出入りしていたと思いますよ」
思案するアグノスの先を引き取るようにそう答えたのは、机から顔を上げたフラルギロスであった。
「貴族寮の方にもあるでしょうと言ったら、『資料の傾向が違うから』と答えられましたから、何か調べ物かと思った記憶があります」
眼鏡のツルを押し上げ、若干早口で喋る。そのあとはまたすぐにペンを動かし、こちらを見向きもしない。
ゲームの設定ではお金が恋人な腹黒らしいので、とっととルキアノスを追い出すために口を挟んだのではと、小夜は一人妙な勘繰りをしてしまう。
だが、情報が増えるのは喜ばしいことである。
「聖拝堂か。では後で寄ってみよう」
ルキアノスが思案顔で頷く。その隣で、小夜は一人聖拝堂という単語にわく……っとしながらも、お客様の呪文で顔面を維持する。
そこに、唐突な質問がきた。
「ところで、その行方不明になった生徒がどんな相談をしたかについては、聞いても?」
ルキアノスだ。完璧な笑顔でアグノスを追い詰める。
会話の終わりが見えたと少しの弛緩があったアグノスは、一瞬表情に油断を見せた。
「それは……」
「構いませんわ」
それでもすぐ立ち直ったアグノスの言を遮ったのは、クリスティネであった。たった一言で誰もの耳を奪う美声が、ルキアノスの視線も奪う。
「女生徒だったので、私が話を聞きましたの。でも良く聞くような話でしたわ。婚約者と上手くいっていないとか、苦手だとか……他愛もないことです」
この世界の現代では、まだまだ結婚相手は親が決めることが一般的だ。それは貴族社会では特に重要な政治的戦略だが、庶民の間でもそういったことは往々にしてある。それが裕福になればなるほど顕著で、時に相手が貴族となることもある。
生まれと育ちが違う異性同士なのだから、そういった問題は貴族側よりも多くなるのは当然と言えた。
「……そうか」
ルキアノスが言葉少なに応じる。小夜もまた、黙って聞きながらも大した意見は出てこなかった。
(平民側ルートでは必ず発生するイベントだけど、やってないから全然分かんないや)
趣味にひた走ったツケがここに来ていた。
「でも、こんなに心配されているなんて、あの噂は本当だったんですね」
「噂?」
クリスティネのさりげない話題転換に、小夜があっさり引っ掛かって問い返す。
「セシリィの新たな婚約者として、ルキアノス様のお名前が上がっているという」
「…………なんですと?」
恋話にはにかむようなクリスティネの声にテンションを上げきる前に、ぐりんと横を向く。
すぐ隣で、額を押さえて険しい顔をするルキアノスが見えた。




