衝撃が走った
「「お帰りなさいませ」」
玄関に入ると、同じお仕着せをきた侍女が二人、左右から丁寧に頭を下げて迎え入れた。
「エレニ! アンナ!」
見知った顔に、小夜は喜色を滲ませた。時間で言えば一週間しか離れていなかったが、二度と会えないと思っていたのだ。それなりの感慨はある。
素直に驚いて戸惑った顔をするのはエレニで、頬にそばかすがあり、素朴で穏やかだ。対する無表情ながら拒否反応を隠さないのがアンナで、一重で取っつきにくい印象そのままだが、仕事はきちんとこなすし無駄がない。
二人とも伯爵家の出身で、行儀見習いのために王宮に上がっている。小夜に侍女としての仕事を教えてくれた良き先輩方だ。
しかし応じる二人の顔はぎこちなかった。それもそのはず、小夜の顔では初対面であった。慌てて距離感を訂正する。
「す、すみません、初めまして。小夜・畑中と申します。今日からしばらくお世話になります」
「こ、こちらこそ、よろしくお願い致します」
「よろしくお願い致します」
エレニは慌てて、アンナは淡々と挨拶を返してくれた。変わっていないようで安心するが、また一からだ。
「えっと、私はまた侍女として……?」
「何でだよ。お前は客だ。お前の仕事は、セシリィを探し出すことだろ」
念のための確認に、大いに呆れられてしまった。どうやら、またあの家賃ウン万円はしそうな豪華な部屋に、タダ住まいということらしい。
(プレッシャーかかるなぁ)
しかし実際こうしている間にも、セシリィがどんな目に遭っているか分からないのだ。あまり悠長にしていてもいられない。
「では、早速セシリィを探しに出掛けてもいいでしょうか?」
ずっと、話を聞いて用意するばかりで何も出来ていなかったもどかしさが、ついに堪えきれなくなって吐き出す。手懸かりも何もないが、まずは行動したかった。
ルキアノスは一瞬思案げに瞳を細めたが、
「……分かった。用意するから」
「いけません」
衝撃が走った。小夜にだけ。
(いい今の声は!)
三度目に聞く声であった。ガバッと振り返る。
こんな時にルキアノスに苦言を呈するのは侍従のニコスだが、彼は今日も今日とて忙しいのか、この場には不在だ。そして他の男性要員は、今ここに一人しかいない。鳥籠を持ったままのヨルゴスである。
(ヨルゴスさんの声、いい!)
前回聞いたときはファニとのドタバタの最中だったため全く堪能できなかったが、「殿下」と「御意」の発言をしたことだけは記憶している。
しかし今改めてゆっくり聞くと、その声は低音域の一角を成すベテラン声優さんのそれに似ていたと、小夜は確信した。若い頃は元気な主役もやられていたが、今はニヒルなイケメンか悪役が多い。
良い声が続ける。
「殿下には、睡眠が必要です」
「…………」
小夜は待った。更なる美声を。しかし恵みは途絶えた。
「……分かった。授業が終わる頃に起こせ」
ルキアノスが小さな吐息と共にそう応える。それきり、ヨルゴスは沈黙した。
そして小夜は肝心なことに気が付いた。
「え、いま何時?」
◆
答えは、授業が始まったばかりの時間、つまり朝である。
そしてルキアノスは一旦寝室に入って仮眠を取り、小夜は応接室の長椅子で待つことにした。エレニに入れてもらったお茶を啜りながら、どこから探したらいいものかと思案する。
爆睡していた。
睡眠薬でも盛られたのかと思ったが、そう言えば自分の世界では金曜日の仕事終わりだったのだ。寝落ちは必定であった。
「小夜、出来たか」
起床後、いつもの平服に着替えたルキアノスが、顔を出した。
ドレスのまま寝落ちした小夜の準備とは、化粧であった。
(すっぴんを……すっぴんを晒していただなんて……!)
仕事帰りの風呂上がりの就寝前だったのである。眉なしの毛穴全開であった。
気付いたのは、エレニの痛々しいまでの親切心であった。
『お化粧を致しましょうか?』
困ったような笑顔で言われ、確かに十歳近く年を誤魔化さなければならないのなら必須だな、と考えて、固まった。
(くそぅ……毛穴のない世界の住人になりたい……!)
ゲームの中から飛び出してきたのともまた違うのだから、ルキアノスにだって毛穴はある。だが違うのだと、小夜は訴えたい。
(言ってよメラニアさん! 服よりもお化粧でしょって、言ってよ!)
勿論彼女からしたら、格好などどうでもいいからとっとと姪を探しにいけと言いたいくらいではあろう。分かる。分かるが、これはこれ、それはそれなのであった。
「出来ました……」
もう誰も私の顔を見ないで、と本気で思ったが、そんなことを言っていては目的は果たせない。小夜は仕方なくGOを出した。
特に何も触れられなかった。
「では行くぞ」
そうして、やっとのことでセシリィの足跡を追う一歩を踏み出した。
最初の行き先は、平民が多く入る学寮であった。
「なぜに?」
赤茶色の煉瓦積みの壁に蔓植物が絡み付いた、そこはかとなく歴史を感じさせる建物を見上げて、小夜は呟いた。授業終わりの若々しい学生諸氏などが、隣接する聖拝堂や中庭や図書館への道など、思い思いに歩いている。
「セシリィは、あのあともオレの侍女としてしばらく行動をともにしていたんだが、その間に少しずつ上流階級以外の生徒とも交流をするようになってな。最も出入りしていたのがフラテル寮の寮生会室らしいんだ」
貴族以外が入る寮としては男子寮が二つに女子寮が一つあるらしいが、その一つということだ。特にフラテル寮の寮生会は三つの寮の代表として貴族寮との会合に出る立場でもあり、その発言力は絶大だという。セシリィが新しい人脈として接触を図るのならば、妥当な選択と言えよう。
(寮生会!)
聞いたことのある単語に、こんな時ではあるが、小夜の胸は否応なく小躍りした。平民側の攻略対象はみなこの寮生会の役員なのだ。
(もも、もしいたら、どどどうしようっ!?)
どうもしない。
頭では分かっているのだが、両手の指を組んで目をキラキラさせるのは止められなかった。ルキアノスが怪訝に小夜を振り返りつつ先を進む。
果たして、学寮の端に張り出したほぼ別棟の一角の前で、ルキアノスは足を止めた。上部が膨らんだアーチ型のドアを叩く。
「二時に予約したルキアノスだ。寮会長にお目通り願いたい」
仮眠と昼食を取ってから、ということで、この時間の訪問になることは事前に侍女を通して伝えてあるという。その言の通り、少し待っただけでドアは開けられた。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください、殿下」
にこやかにドアを開けたのは、男子寮のはずなのに女性であった。引き締まった長身に、メリハリのある体躯。肌は小麦色に焼け、いかにも運動ができそうだ。頭頂部で一つに纏められたストロベリーブロンドの髪と碧眼の取り合わせを見て、小夜は隠れて拳を握った。
「ぃやっほう!」
しかし奇声までは隠せなかった。
「小夜……」
横から、ルキアノスの呆れきった声が刺さる。
「す、すみません! でもこれにはコップよりは深い理由が……!」
言いながらも、ルキアノスにはゲームのことは明かしていない。つまりこの麗しい声を持つ声優さんについても説明はできないのだ。
しかし小夜が聞き間違うことなどない。ゲームの紹介映像で出てきた声そのままなのだ。
女子寮の寮長でもあるクリスティネ・カラギアーニ、十八歳。武人の家の出で、本人も男子顔負けの武道派という設定だった。その声を担当するのは近年稀にみる色っぽい声ながら、低めれば可愛い少年声もこなす中堅の女性声優さんだ。
(耳が痺れるタイプの声なんだよなぁ)
このゲームの面白い側面の一つとして、攻略対象に少数だが女性が存在するという点がある。小夜の目的はルキアノスの声優さんただ一人だけではあるが、他にも素晴らしい声優さんは沢山いる。
つまり本当にご馳走様! なゲームなのだ。
「あら、見ないお顔だけれど……大丈夫?」
はわわ……っと拝んでいると、体調不良と思われたのか、女性――クリスティネが小夜の頬に手を伸ばした。ビックリして顔を真っ赤にする――その小夜の前に、ルキアノスが身を乗り出した。
「敬称は不要だ。同じ学生同士、名前だけで構わない」
「……まぁ。光栄ですわ。ルキアノス様」
小夜からはルキアノスの背中しか見えないが、どうも不機嫌そうなのは感じられた。セシリィの件で警戒しているのだろうかと、小夜もやっと気を引き締める。
ルキアノスの背から一歩身を引いて、改めてクリスティネを見やる。
「さぁ、どうぞ。庶民の館へ」
美しい女性が、美しい声で招き入れた。