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妻に勝つ自信はない

「どうぞ、お入りください」


 メラニアに促され室内に入ると、まず床に落ちたティーカップが目に入った。どうやら、扉を開ける前の物音の正体はこれのようだ。机で仕事をしていたところを、慌てて立ち上がったせいであちこちにぶつかったと見た。


(相当動揺してるんだな)


 過保護が正義なクソジジイである。気持ちは分かる。

 などと横目で見ていると、ルキアノスが手前の応接セットに腰掛けた。ローテーブルを挟んで置かれた二人掛けのソファのうちの一つである。

 固まった。


(まさか……その隣に座れと!?)


 対面はメラニアたちが座るはずだ。小夜に残された席は必定、一つしかない。しかしいくらソファがゆったり座れるサイズでも、その距離感は今までにないくらい近い。馬車に同乗した時でさえはす向かいに座るのが精一杯だったのに。

 もしその距離で隣で囁かれでもしようものなら。


(話に全く集中できないではないか!)


 しかし赤くなったり青くなったりしている小夜を、全員が待っていた。ルキアノスは上客、同行する小夜もまた然り、ということである。


「…………」


 いつまでもこうしていても埒が明かない。小夜は仕方なく緊張ピークでソファに腰かけた。レオニダスとメラニアもそれに続く。

 落としたティーカップの片付けと新しいものは既にメラニアが手配したようで、四人が黙って座る後ろで作業は滞りなく進む。

 果たして、全員の前に湯気の立つ紅茶が並べられて、しばし。


「……セシリィがいなくなった」


 レオニダスが、沈痛な面持ちで切り出した。


「あ、そこはもう聞きました」


 小夜はお茶を啜りながら端折はしょった。レオニダスが渋面を作る。


「……では、協力してくれるのだな!」


「そりゃもちろん。出来ることなら」


 問いの体裁が台無しになるくらいには凄まれたが、もちろん否やはない。嫌だったら挨拶なんか来ないでしょ、とまではさすがに言わない。かわいそうなので。


「でもその前に、セシリィがどうして私ならなどと言ったのかを知りたいのですが」


 思い当たることは一つあるが、下手なことを口走る前に共通認識に足並みを揃えたい。と思ったのだが。


「知るか」


 睨まれた。どうして頼りが赤の他人のお前なんだ、と目が語っている。


(仲直りできなかったのかな?)


 あるいは、クソジジイ発言をまだ根に持っているか。

 困ってメラニアを見ると、堪えた溜め息が鼻から漏れるのが聞こえた。そして、驚くべきことを口にした。


「最近、学校の生徒が行方不明になる事件が続いていたのですが、セシリィはそれを調べていたようなのです。何度も止めたのですが言うことを聞かず、『小夜なら分かるかも』と言うくらいで」


 生徒の失踪事件。それは乙女ゲームのどのルートを選んでも発生するイベントだった。この一連の事件の最後にヒロインもまた誘拐され、その黒幕と繋がっていたとして最終的に悪役令嬢が断罪されるのだ。


「そ、それって、まさかファニも……?」


 思わず最悪の想像が脳裏をよぎった。だが小夜の動揺に対し、三人の反応は薄かった。


「ファニが、どうかしたか?」


「ぎゃっ」


 突然右耳の至近距離から美声が発せられ、小夜はその場で飛び上がった。


「……失礼な奴め」


「誠に申し訳ございません……」


 声を低めるルキアノスに、すごすごと謝った。低音もまた良いなどと宣っていては、また話が進まなくなってしまう。


「いえ、その、ファニは大丈夫かなと思って」


「何でここでファニなんだ? 別に、普通に叔父上……王弟殿下の所にいるが」


 ファニは建国神話が伝わる聖なる泉から助けあげられた少女として、貴族や聖職者の間で聖泉の乙女デスピニスとして神聖視されていた。

 彼女を王妃にすれば、国王としての求心力は揺るぎないものになる。そしてそれは、聖職者たちにとっても同じだった。ファニを得ることは即ち、権力の象徴を得るのと同義だったのだ。

 だがその素性を調べた結果、ファニが前国王の時代に謀反を起こした王兄の娘だと判明、王弟殿下イリニスティス預かりとなった。

 既にこの時点で、ゲームとは事情が違うのだが。


「あ、そうですか……?」


 無事だと言われて、それしか言葉がなかった。

 勿論喜ばしいことではあるのだが、だとすると早速ゲーム進行とズレが生じていて早くもお手上げであった。


「何か分かったのですか?」


「いや、今しがた分からなくなりました……」


 気持ち身を乗り出したメラニアに、小夜は恐縮しきりでそう返す。これに盛大な溜め息で文句を告げたのは、頭を抱えるレオニダスであった。


「早くしなければ……もしセシリィの身に何かあれば……」


 まぁ、それは心配だろう。と、同意しかけて。


「今度こそ妻にセシリィを連れていかれてしまう!」


「は?」


 妙な発言に、耳を疑った。


(あれ? 深刻な話なんじゃなかったっけ?)


 首を傾げる小夜の前で、しかしレオニダスの顔色はどんどん悪くなる。


「クレオンはもう向こうを出たというし、あやつに先に捕まったら何をされるか……」


「無視して下さって結構です」


 メラニアが、頭痛を堪えるように頭を振ってそう言った。お言葉に甘えることにした。


「……セシリィは最近妙なことに興味を持ち出したようだし……」


「では、もしセシリィのことで何か気付いたことなどあれば、教えて頂けますでしょうか」


「はい、勿論です」


「クレオンに先に見付けられたら、またあることないこと吹き込まれて……」


「ルキアノス殿下も、どうぞよろしくお願い致します」


「承知しました」


「そうしたら妻のもとに渡って、もう二度とここへは帰ってこないかも……!」


 レオニダスの嘆きが1人エスカレートしていたが、最早誰も突っ込まなかった。

 ちなみに、クレオンとはセシリィの二人いる兄の二番目で、人生を愉快に生きることを実践する先達である。自由の道を進んでいると聞いたが、今は母の手伝いでもしているのだろうか。

 メラニアが話を打ち切りにかかったので、違うことに思考が飛ぶ。口から零れた疑問は、無意識だった。


「お母さんはまだ帰ってこないのかな?」


 前回も終始ご旅行中だか仕事中だかで、一度も会うことができなかったが、さすがに娘の危機となれば、次男同様帰ってきそうなものだが。


「妻はその程度のことで娘を心配はしておらん」


 そう断言したのは、先程までの狼狽から一瞬で回復したらしいレオニダスであった。


「わしも、セシリィが大抵のことは力業で解決できると分かっている」


 思っている、ではなく分かっている、という。それは信頼と親バカのギリギリだなとも思ったが、小夜は何となく嬉しくなった。


「問題はその先だ……!」


 成る程、娘への信頼はあるが、妻に勝つ自信はないようだ。





 再び勝手な想像を膨らませてあわあわするレオニダスは放置して、メラニアはとっとと次の部屋に移動した。


「これから何をするにも入り用かとは思いますが、必要な物はこちらで用意させて頂きます。何かありましたら遠慮なく仰ってください」


 と言う言葉に甘え、まずはと服を所望した。パジャマから簡単なドレスに着替え、他にも町娘のような服も一着お借りした。パジャマとともに包んでもらって胸に抱える。

 そして次に問題の拠点についてだが、


「セシリィを探す間は、侯爵家にご厄介になっていいんでしょうか?」


「お前の部屋は学校の寮に用意する」


「え」


 回答を横取りしたのはルキアノスであった。予想外の発言に思わず目を剥く。

 学校とは乙女ゲームの主要舞台となる王立タ・エーティカ専学校のことで、十三歳から十八歳くらいまでの貴族の子弟が通う由緒正しきマンモス校である。

 前回はセシリィとして少し通ったが、あの時は監視の名目があり、ルキアノスと同階だった。


(個室だと嬉しいんだけど……多分相部屋だよね)


 ゲーム内でもヒロインの部屋は攻略対象と同じ学寮で、平民が利用するような寮の描写はない。心細さはあるが、小夜はそもそも貴族ではないのだから当然の処置だろう。


「では、よろしくお願いします」


 改めてルキアノスに頭を下げる。

 そうして今後のことを話し合いながら準備は整えられ、無駄に広い玄関ホールまで降りてきたところで、復活したらしいレオニダスも合流した。


「小夜様。何かあれば、これをお使いください」


 まだしかめ面の弟はそのままに、メラニアが二つのものを差し出した。一つは小袋に入った銀貨や銅貨。そしてもう一つは、真っ白な絹のレースのハンカチであった。


「そのハンカチにはクゥイントゥス侯爵家の紋章が刺繍されています。身の証を立てるときには役に立つでしょう」


 確かに身分証もない小夜の所属を示すものは、あれば助かるだろう。本音では、そんなものが必要とされる時はちっとも来てほしくないのだが。


「ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀をして受け取る。

 家の紋章入りの品物を他人に渡すというのは、求愛や権威付け以外では危険な行為だ。名を騙るなど、悪用されかねない。

 それでも、メラニアはそれを承知で小夜に託した。応えないわけにはいかない。


「それでは……くれぐれもお気を付けて」


 最後に、やっとメラニアが少しだけ目元を和ませた。顔色がわるいのは魔法の影響もあっただろうが、やはり一番はセシリィへの心配だったのだろう。少しでも力になれたらと、改めて思う。


「はい。メラニアさんも、あまり根を詰めないで、ご自愛ください」


「……えぇ」


 頷く前、わずかに目を大きくしたのは、ルキアノス同様の感想があったものと思われたが、今更なので指摘はするまい。

 最後に、その横でずっと仏頂面だったご当主をちらりと見やる。視線を感じたのか、栗色の目だけがこちらを向いた。


「……よろしく頼む」


 と思ったら、丁寧に頭を下げられた。全員が驚き、メラニアだけが静かにそれに倣う。


「はい。お任せください」


 小夜は笑顔でそう応えた。



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