頭頂部を削ぎとられてしまえ
「いなくなったのは、もう一週間以上前のことです」
自身のカップの水面を見詰めていたメラニアがぼそりとそう呟いて、小夜は自身の思考からひとまず現実に帰還した。
「一週間も?」
「えぇ。捜査は行われていますが、成果はいまだなく……ですから、わたくしの独断で小夜様を喚ぶことにしたのです。このトリコを頼りに」
ちらりと向けられた視線の先には、サイドテーブルのような小さな机の上に置かれた鳥籠があった。小夜がトリコと名付けた鳥は、飛び蹴りをすることもなく、大人しく止まり木にとまって毛繕いをしている。
ちなみに、ヨルゴスは鳥籠を置いたあとは入り口の前で無言で控えている。その顔色は相変わらずの鉄面皮であったが、どこかいつもより強張って見えた。寒さのせいであろうか。
「トリコを?」
「あなたに繋がるものは、トリコ以外にはありませんでしたから」
成る程、言われてみれば確かにそうかもしれない。
前回は小夜は魂一つで来ただけで、この世界に小夜のものは一つもない。セシリィは自分と似ている人間を世界の境界を跨いで探しだしたということだが、そのセシリィがいなければ、小夜に繋がるものは何もない。トリコにだって、半日入っていただけだ。
「では、トリコはずっとセシリィが世話を?」
関係ない話と思いながら、つい聞いてしまう。話の核心を先延ばしにしたいだけの悪足掻きだと自覚はある。
「いや、俺が飼っている」
「え!」
驚きの回答だった。と同時に、一つの可能性が閃く。
「もしや、ここにルキアノス様がいるのは……」
「レオニダスが無理を言ってお借りしました」
レオニダスとは、セシリィの父親でクィントゥス侯爵家当主である。どうやら、娘の不在に混乱をきたした父は、職権濫用してルキアノスに接触しトリコを借り受けたらしい。
それにルキアノスが付き合う形でここにいるのだろう。
もしかしたら、小夜の召喚の補佐も行ったかもしれない。空間の男神コーロスとの相性が良いと言っても、大掛かりな魔法は必ず補佐がつくと聞いた。他に人が見当たらないと言うことは、その可能性は高い。
と、そこまで考えて、肝心の濫用者がいないと思い至る。
「侯爵様は?」
「小弟は……動揺して使い物にならなくなったので、部屋に籠るように言ってあります」
「はぁ……」
あんまりな言い種であった。だが過保護なあの父親のことである。必死で取り繕いながらも動揺甚だしい様子が目に浮かぶようだ。
「小夜様がおいでになったことはまだ伝えておりません。小夜様さえよろしければ、後で伝えてよろしいでしょうか」
「あぁ、ではのちほどご挨拶に伺います」
今すぐ伝えると階段を突き破る勢いで降りてくるかもしれないからかもしれない。英断といえよう。
しかし、それでも解せないことがある。
「でも、どうして私だったんですか? 警察……どこかしらが捜査してるなら、私にできることなんてないような気もするんですが」
「それは……」
一度も口をつけていないカップに視線を落として、メラニアが言葉を濁す。いつも明朗闊達なメラニアにしては、それは珍しい仕草であった。よくよく見れば、頬には少し影ができ、全体的に顔色もわるい。余程心配していたのだろう。
「セシリィが、言っていたのです」
「手懸かりか何か?」
「……『わたくしに何かあれば、小夜が知っている』と」
「へ?」
突然暗号文を吹っ掛けられた。
◆
そう言えば、セシリィに喚ばれた時も進退極まってたな、などと考えていると、
「なんか、ちゃんとしてたな」
二歩前を歩くルキアノスに、唐突にそう言われた。
場所はレオニダスの書斎に向かう途中の廊下である。前を行くメラニアが報告し、良さそうならばそのまま挨拶するつもりだ。
小夜は自分の格好を改めて見下ろして、ずーんと落ち込んだ。
「全然ですよ。こんなパジャマでご当主にお会いするなんて……無理を言ってでも服を借りれば良かったです」
メラニアは黒のドレスのまま、ルキアノスも黒を基調とした礼服に身を包んでいる。その二人に連れられて歩く小夜の格好は、違和感の塊としか言いようがない。
しかしルキアノスは優しく苦笑しながら否定した。
「そうじゃなくて、受け答えとかだ」
あぁ、と小夜は顔を上げる。ルキアノスの中で、小夜はセシリィ同様まだ世間を知らない小娘の印象があるのかもしれない。
「これでも、自分の世界ではちゃんとお仕事してますので」
「オレの前では突然跪いたり壁に頭打ち付けたり、奇行しか記憶にないんだが?」
えっへんと胸を張って答えたのに、手痛いしっぺ返しがきた。「ぅおっふ」と言葉に詰まる。
「あれは! ルキアノス様が美声を乱発するから致し方なく!」
言っているうちに羞恥心が込み上げて、小夜は反論しながら顔を覆った。今の声も皮肉がきいてる感じがわりと好みだとは、口が裂けても言えない。
「私だって、困ってるんですよ? ルキアノス様のお声さえなければ、わりと普通なはずなのに」
「じゃあ、黙ってた方がいいか?」
「嘘ですごめんなさい沢山喋ってくださいぃ!」
秒で降参した。惚れた弱味とはまさにこのことである。
(ちょっと違うか)
だがどちらにしろ、この手の反論は最初から負けが決まっていた。しくしくと思いながらルキアノスを盗み見る。こういう時は声を上げて笑うことが多いのに、今はそこまででもない。
セシリィのことが心配なのか、それとも。
「がっかりでしたか? 平凡な年増で」
恐る恐る、そう聞いていた。本当は聞きたくなかったが、言わずにはおれなかった。
想像していた「小夜」よりも不美人で、おばさんで、セシリィとは似ても似つかない。ルキアノスが落胆する要素は五万とある。
と思ったのだが。
「どこが?」
目を丸くしてそう返された。真顔である。
「まぁ、二十八歳と聞いたよりも幼く見えるとは思ったけどな。だから余計に訝った」
成る程、西洋人よりも東洋人の方が童顔に見えるという話はある。どちらかというと西洋風の顔立ちをしている彼らから見れば、実年齢よりも下に見えるのかもしれない。
(ビバ東洋人)
彼らの透き通るような白肌の前では、自分が黄色人種であることを激しく呪ったが、今はそんなことも忘れて血統を讃える。現金だとは思ったが、美点と欠点は表裏一体のようだから致し方ない。
そんなどうでもいい話をしていると、メラニアが立ち止まった。目の前には、焦げ茶色をしたいかにも重役がいそうな扉がある。
「ここで少々お待ちを」
振り返って黙礼してから、メラニアだけが先に室内に入る。待つこと数秒。
「成功したのか!」
ドタバタガンッガッシャン!
色んな音がした。とりあえず何かは落ちた。
と思っていたら、扉が勢いよく開かれた。
「小夜!」
叫びながら現れたのは、四十歳前後の男性だった。メラニアよりも濃い黒茶色の髪と豊かな髭は白髪混じりだが、ロマンスグレーというには、目の前の形相は少々情けない。いつもは威圧感のある栗色の瞳も、がっしりとした肩幅の体躯も、心なししょぼくれているようだ。
レオニダス・クゥイントゥス。セシリィの父親である。
「クゥイントゥス侯爵閣下。小夜を連れて参りました」
しかしそれには一切動揺を見せず、ルキアノスが軽く一礼する。最後尾にいたヨルゴスも、察していたのかどうか動く気配はなかった。
小夜も慌てて観察をやめ、頭を下げる。
「ご無沙汰しております。この姿では初めてお目にかかります、小夜・畑中と申します」
「お主が……ふん、全く似ておらんな!」
目が合った瞬間、観察するようだった視線が嘲るような色に変わった。前のめりだった体が横柄な態度に戻る。その頭上をヒュン、と何かが通りすぎた。
「!」
「愚弟の無礼をお許しください」
咄嗟に身を縮めたレオニダスの後ろで、メラニアが頭を下げていた。どうやら、今のはメラニアの風の魔法だったようである。晩餐会の始まる前、セシリィの髪をヒュンヒュン切り落とされた思い出が蘇る。
(頭頂部を削ぎとられてしまえ)
フンと鼻を鳴らす。
心の中では「クソジジイ」発言を謝ろうかどうかとずっと思案していたのだが、今の一言で完全に濁流の彼方に流れ去った。もう戻ってはくるまい。