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物騒にも程がある

 ひとしきり笑い終わった第二王子ルキアノスは、はーと息を整えたあと、まずは手に持っていた白刃を腰の鞘に納めた。

 チン、という硬質な音に、ずっと美声に悶えていた小夜の正気が戻る。


(ん?)


「もしや、今しがた私の首に当たっていたのは……」


「あぁ、剣か? 念のためな」


 にこやかに肯定された。何が念のためなのかさっぱり分からない。

 軽く呆然としていると、ルキアノスがしゃがんで顔を覗き込んできた。細くも骨張った手が、小夜の頬に触れる。


「!?」


 突然の至近距離と、頬から伝わる男性らしい質感と温もりに、小夜の肩がびくりと跳ねる。だが。


「首、切れてないだろ?」


 頬を押して仰け反った首筋を確認したルキアノスの言葉に、勘違いした熱がしゅぅぅっと抜ける音が聞こえた気がした。


(ストップ思わせ振り!)


 顔を真っ赤にして首筋を押さえる。一回り年下の男の子にこんなことをされて勘違いしていては、三十路女は恥ずかしくて死にそうなのだ。

 しかしそのまま本音を言うのはもっと恥ずかしいので、赤い顔のままルキアノスを睨んでおく。

 

「まぁ、そう怒るな。お前とはずっと一緒にいたが、顔は知らないままだったからな」


「…………くぅ!」


 あどけない顔と声で笑われた。


(許すしかないではないか!)


 しかしこの説明で、小夜もルキアノスの対応の意味を理解する。

 部屋でのホワイトアウトから、小夜が再びゲームの世界とも思えるようなこの異世界に喚ばれたことは間違いない。そして小夜を喚んだつもりではあるが、小夜の現実世界での顔を知る者はいない。

 セシリィの言を信じれば背格好や運動能力は似ているらしいが、容姿は圧倒的に劣っていることを、小夜は前回の出来事で嫌になるほど視認している。

 何を危険視していたかは知らないが、顔を確認できないがための対抗措置だったらしい。物騒にも程がある。


(秘密の質問でも用意しとけば良かった)


 自分を、忘れられたパスワードと同等と貶めていることには気付かず唸る。

 だがそもそも論として、二度目があるとは思っていなかった小夜である。しかも鏡がないので確認はできないが、薄闇に見える自分の体は見慣れたパジャマを着用したままだし、右手親指の付け根には長年見飽きたホクロもある。

 今度は畑中小夜の肉体ごと、この世界に喚ばれたらしい。

 セシリィの体でなくとも言葉が問題なく分かるところを見ると、前回の一ヶ月で基本の語学学習は出来ているようだ。


「えっと、もしや今度はルキアノス様が、私を?」


 なぜ、と思いつつも仄かな期待を乗せて問う。


「いや」


 バッサリ否定された。再会三分で涙がちょちょ切れそうな気分である。そんな小夜の耳に、新たな声が飛び込んできた。


「喚んだのはわたくしです」


「!」


 驚いて声の主を探す。視線を泳がせた先にいたのは、上質な黒絹のドレスに身を包んだ中年の貴婦人――セシリィの伯母であるメラニアであった。

 栗色の髪と瞳を持ち、その佇まいは背筋に針金でもあるのかと思うほど完璧で、少しふくよかな体型と相まって貫禄が凄い。特に無言で眉間にシワを寄せていると、何も悪いことをしていないのに何故だか後ろめたくなるお人である。

 それはそれとして。


「メラニアさんが、私を?」


 予想外の名乗りに、小夜はぽかんと見上げる。その間の抜けた女に、メラニアは深々と頭を下げた。


「ご無沙汰しております、小夜様。そしてこのような突然のお呼び立て、誠に申し訳ございません。心からお詫び申し上げます」


「! あ、いやいや、こちらこそ、ご無沙汰しております」


 思わぬ丁寧さに、小夜も慌ててその場に立ち上がって日本式に頭を下げる。だが一方で、一週間しか経っていないのにご無沙汰も何もないだろうとも思う。ちらりと頭を上げると、メラニアはまだ頭を下げたままであった。

 ここまでくれば、さすがの小夜でも雰囲気が硬いということには嫌でも気付く。

 そもそも、ここが前回同様セシリィの実家であるクィントゥス侯爵家の地下室であれば、喚び出すのはメラニアではなくセシリィだろう。だが目が慣れてきた室内を見渡しても、他に人影は見当たらない。


(嫌な予感がする)


 まるで会社に戻ってきた新人営業と、真っ先に目が合ってしまった時のような。


「あのぅ……?」


「重ねてのご無礼を承知の上で、小夜様にお願いしたいことがございます」


 小夜の訝る声に、メラニアは頭を上げぬまま続けた。


「セシリィを、探して頂けないでしょうか」


「…………はい?」


 間の抜けた声が出た。文脈が繋がらず、内容が全く頭に入らなかったのだ。


(探すって、また家出でもしたの?)


 厳密に言えばまだ一度も家出はしたことがないが、壮大な未遂は起こしている。などと考えた小夜の思考を、また新たな声が遮った。


「クェー」


 薄暗く緊張したこの空間には不釣り合いな、間延びした鳥の鳴き声。いつも怒っているような鳴き声ばかりだったから雰囲気は違うが、小夜は声に関してだけは間違えない。


「トリコ!」


 バッと振り返ると、小夜が立つ魔法陣の中に、鳥籠がひとつ。その中には、オレンジの嘴に青と緑のグラデーションが鮮やかな、南国チックな鳥が収まっていた。ビー玉のような金の瞳も、頭頂から伸びる三本の長い冠羽も、記憶の中のまま美しい。


「まさか、また中に入っちゃったの?」


 慌てて鳥籠を覗き混む。だがその背にかかるメラニアの声は、更に硬く沈痛になる。


「そうだったら、どんなに良かったか……」


(え、いいかな?)


 なんと答えていいか分からなかった。




       ◆




「いつまでも真冬の地下室にいては、全員体がかじかんでしまいますよ」


「……えぇ、そうでしたね」


 ルキアノスの提案に、メラニアはやっと頭を上げてそう応じた。


「こちらへ」


 メラニアの誘導で部屋を出ると、ドアの外にヨルゴスが銅像のように直立していた。ルキアノスの近侍で、四十絡みのおじ様で、寡黙で渋い。結局、前回ではついぞお声を聞けなかった。


「あ、お久しぶりです」


 ぺこりと頭を下げる。無言で礼を返された。相変わらずのご様子である。

 三人はヨルゴスに鳥籠を渡すと、そのまま階段を上がって一階の応接室に移った。小夜が初めてゲームの攻略対象に初めて会ったあの場所である。

 しかしこの間も、小夜の頭には疑問が山のように湧いていた。

 セシリィの身支度をしてくれていた侍女がお茶の用意をして退室する間に出てきた中で、差し当たりの無さそうな質問をまずはぶつけることにした。


「えっと、今って、冬なんですか?」


「相変わらず会話が突飛だな。冬だが、それがどうした?」


 苦笑とともに答えてくれたのは、少し離れて一人掛けのソファに腰かけたルキアノスである。先程よりも落ち着いているからか、少し深みのある声に聞こえる。


(良いお声である)


 うむうむと頷きながら、会話に応じる。


「いや、前にお別れした時は初夏だったような気がしたので……秋はどこへいったもんかと」


「そりゃ半年も経てば秋くらい過ぎるだろ」


「へ?」


(は、半年?)


 予想外の単語に、小夜は再び思考が停止する。

 そんなはずはないと思いながらも、混乱する脳に浮かび上がるのは、先週末の母とのやりとり。


『いつまで寝てるのー?』


 こちらの世界で一ヶ月過ごしたと思ったのに、戻ってみれば一日も経っていなかった。つまり、こちらとあちらでは時間の進む速さが違う。


(私が自分の世界で一週間過ごしただけで、こっちでは半年も経ってたってこと?)


 理屈ではそれが一番理解できる。だが受け入れられるかどうかはまた別問題であった。

 動揺を鎮めようと、壁際に設置された暖炉を見る。熾き火ではあるが、薪が確かに赤く燃えていた。記憶の中の暖炉は灰もなく、使われた形跡もなかったのに。


(マジか)


 そしてその半年の間に、セシリィがいなくなった。


(急展開にも程があるって)


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