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余裕があるって素晴らしい

第二章にして早速のタイトル詐欺ですが、よろしくお願いします。

 今週は散々だった。

 まず月曜日、午前の発注を締め切った十分後に新人営業から電話が鳴った。今日の午後に営業先で使う新商品が朝便に入ってなかったんだけど、と言われた。


(知らんわ!)


 とは怒鳴らなかった。何故なら、週末にご褒美のような出来事があって、心と耳とが十分に潤っていたからである。余裕があるって素晴らしい。

 午後便が出る前に追加の手配が間に合って、どうにか当日中に新商品を届けることができた。


 次は水曜日、本日納品予定の商品が届いていない、と言われた。


(いやいや、欠品だから一週間は遅れるって連絡したでしょうがよ)


 その穴埋めとして、メーカーに代替品を頼むように依頼するようにとも書き添えた。していないのは明らかだった。

 メーカーの問い合わせ窓口経由で担当営業に連絡を取ってもらい、どうにか当日中に代替品を持って対応できるようにお願いした。

 新人営業を担当し始めた当初なら腹が立ってちょっと泣けてくる程度には初歩的かつ周囲に迷惑をかけまくる失敗ではあったが、何とか乗りきった。

 まだまだ耳の底にはご褒美の美声が残っていたから。


 そして金曜日。


「あの、このデータを月曜日の午前中までにまとめて届けてほしいって言われたんですけど……」


「二日に一回か!」


 流石に叫んでいた。小声だけれども。


(だって、だって!)


 畑中小夜はたなかさよ、二十八歳。大人げないと重々承知である。

 それでも、あと五分で定時というタイミングであった。




       ◆




「私頑張った。私偉かった。でも誰も誉めてくれない……」


 鬼のようにパソコンのキーボードをフルタイピングして、一時間で資料をまとめて新人営業に叩きつけて帰宅して。

 冷めた晩ごはんを一人で掻き込んで一人で食器を洗って、最後の風呂に入って小一時間寝落ちして。

 やっとたどり着いた六畳間の中のベッドでうーうー唸ること十分ほど。

 ぶつぶつ文句を言い続けた小夜は、結局本日も同じ結論に帰結した。つまり。


「慰めて!」


 スマートフォンの中にダウンロードした唯一の乙女ゲームアプリを起動することであった。


 小夜はゲームはあまりする方ではない。ゲームをする時間があれば、録り溜めたアニメの消化や積んでいる漫画や小説の切り崩しに使う。だが一年前、大好きな声優さんが唯一キャラクターボイスとして参加している乙女ゲームアプリを、ついに発見してしまったのだ。

 声優さんとの出会いは小三、学校から帰ると丁度始まるアニメの主人公であった。若い頃は主人公も多くこなした方だが、今ではムードメーカーやマスコット的なユニークキャラを演じることが増え、こんなにもキラキラした役は本当に久方ぶりだった。

 この前など、偶然変えた放送局でやっていたフルCGアニメ映画に、赤ちゃん並みのキツネザルの声で出ていらっしゃった。可愛かった。可愛かったけれども!


(格好いい成分が欲しいのです!)


 切実であった。


 ベッドヘッドで充電中のスマホを手繰り寄せて、恥ずかしいからとトップ画面には出していないアプリをタップする。

 途端、アプリの中に納められていた美しい絵が動き出す。前髪で顔が隠された女性。画面一杯に広がる気泡。虹色に光る水中を落ちていく体。もがくように伸ばされる手。そして。


《真実の愛を見付けて――》


 白抜きで現れ、気泡に飲まれて消えていく文字。そして次々に現れるイケメンと悩殺な台詞たち。

 このオープニングに、何度も感動した。しかし今は違う。


 タタタタタタタタタッ!


 ひたすら高速タップである。

 スキップ機能があるのだが、一度も上手く反応したためしがないのだ。なので今は無心であった。何故なら。


(ルキアノス様のお声よ早く!!)


 唯一にして完全制覇した攻略対象の美麗スチルとボイスが保存されているマイボックスに一秒でも早く辿り着くためである。


(癒して! 誰にも誉めても慰めてももらえないアラサー女を! ルキアノス様の美声で癒しておくれ!)


 必死であった。そして。


『よく頑張ったな。……仕方ないから、オレが誉めてやるよ』


「きぃぃゃぁああぁぁあっっ!!」


 悲鳴を上げた。格好よすぎて。


「小夜うるさい!」


 階下からお母様のお叱りを受けた。疲れて帰ってきた娘の食事にも付き合ってくれずほったらかしにしておいてと思わないでもなかったが、ここは大人しく黙っておく。

 代わりにスマホを両手で抱き締めて、イントロダクションが流れるままにしておく。



 あなたは普通のOL。残業で疲れた体を引きずって家に帰り、お風呂に入っていたら、いつの間にか眠ってしまう。


《真実の愛を見付けて――》


 誰かの声に目を覚ますと、あなたは光る泉の中で溺れていた。その息苦しさに、夢じゃないともがくが、どんどん水底に沈んでしまう。そんなあなたの手を取って助けてくれたのは、素敵な男性たち。

 そこで目にしたのは、中世ヨーロッパ風のお城と剣と魔法の世界だった――。


 この世界のことが何も分からないあなたは、記憶喪失と思われて彼らに保護される。彼らと共にもとの世界に戻る方法を探すが、それには真実の愛を見つけないといけないようで……。


 あなは何故この世界に喚ばれたのか。夢の中で聞こえた声は誰か。真実の愛とは何か。


 しかし彼らとともに通うことになった学園の中には、彼らを中心とした二大派閥があり、更には彼らとあなたを狙う怪しげな存在まであるようで――!?



「OLが生徒って設定もちょっとどうかと思うけど、そもそもこの子がアラサーとはどこにも明記されてないもんね。高卒のピチピチの可能性もあるもんね。…………」


 ふと唐突に思い当たった疑問ではあったが、ブーメラン方式で戻ってきて背中に刺さった気分であった。


(なんせファニは十五歳だったしね。全然ちゃうやんか)


 先週末、突然自分の身に降りかかった出来事を思い出して、苦笑する。

 小夜は先週の日曜日、夜中まで乙女ゲームをやりこんで攻略対象を一人完全制覇したのだが、その矢先、気付けばゲームの中としか思えない不思議な世界にいた。

 そこで起こったことはゲームの中の出来事や人物に酷似し、とても現実とは思えなかった。

 ゲームの中の悪役令嬢であるセシリィに呼び出され、体が入れ替わったことや。ヒロインや攻略対象まで現れて、ゲームのイベントの一部を再現したことや。ヒロインはやっぱりヒロインで、可愛くて恋する乙女で、お肌がピチピチだったことや。一ヶ月近く向こうの世界で過ごしたのに、戻ってみれば一日と経っていなかったことや。

 ゲームをやり過ぎたための痛々しい夢と言われた方が、何倍も納得できる。けれど攻略対象である第二王子ルキアノスの声は、ゲームを始めた理由でもある大好きな声優さんの声そのままで。今も目を閉じれば鮮やかに耳に蘇るのだ。ルートにない台詞の数々が。


『ついこの前まで兄上至上主義だった女が、どういう風の吹き回しだ?』


「くぅ!」


 特に悪役っぽい台詞は良かった。録音できなかったのが返すがえす惜しまれる。


「また喚ばれたり……はしないか」


 一ヶ月一緒に過ごした青と緑のグラデーションも鮮やかな鳥が脳裏によぎって、たはと苦笑が漏れる。


 あの時は、悪役令嬢であるセシリィが断罪ルートに入る前の段階で発生する選択肢が嫌で新たな選択肢を自分で作り出すという、制作もびっくりな行動力の結果だった。

 だが別れる時のセシリィの表情は、幾分でも晴れやかだった。また何かあれば逃げ出す選択肢を取るような衝動的な思考は、もうしないだろう。

 つまり、もう会うことはない。


「セシリィ、元気かなぁ」


 ベッドヘッドのランプの横に置いた、円筒型の歯ブラシ立てにさした鳥の羽を眺めて呟く。青と緑のグラデーションが、蛍光灯の光に鮮やかに照り映えている。


 元の世界に戻ってきて一週間、小夜は心を入れ替えて、押し声優以外のキャラも攻略することに決めた。まずはオープニングでも最初に出てくるメインキャラ、王太子エヴィエニス様だ。だがまだ改心して一週間、分岐前まではスキップできるとは言っても、ほぼ進展していない。

 本当は悪役令嬢と仲良くできるキャラやルートがあればそれが一番やりたいのだが、残念ながらそんなものはなかった。

 どのルートを選んでも悪役令嬢はヒロインの邪魔をして婚約を解消されるし、謹慎するし、学校に戻ってきても不審な動きを繰り返しては暗殺者を手引きしたり、ヒロイン誘拐を企てたりして、最後には断罪されてしまう。そう思うと、ゲームを進める手も鈍るというものだった。


「本当はセシリィは、そんなことしないんだけどなぁ」


 否、実際にはしていたのだが、それも全ては婚約者であるエヴィエニスのため。不審な現れ方をしたヒロインの素性を暴くためだった。私心で悪意など……。


「いや、あったか」


 そう言えば半分は嫉妬だった気もする。だが今となれば、その嫉妬もまた、小夜には可愛く思えるのだ。それはセシリィが十六歳らしくまだまだ幼かったことや、ヒロインと同じく恋する乙女だったからで。


「そして私が年だからかな!」


 自虐してしまった。再びベッドに沈む。


「……やめやめ! ゲームしよっと」


 いい加減物思いに耽るのはやめて、ゲームを進行しようとメインストーリーボタンを押そうとした時だった。


《…………小夜……》


 声が、した。


「ん?」


 スマホから顔を上げ、辺りを見回す。あるのは、狭い六畳間に押し込まれたパンパンの本棚とパソコンテーブルと、最近入れ替えがまったく発生していない衣装箪笥だけ。


(誰かに呼ばれた気がしたけど)


 勿論誰もいない。幻聴か、はたまた母に呼ばれたか。


(ま、いっか)


 無視することにした。

 瞬間、視界の端がちかりと光り、え、と再び顔を上げたときには、部屋全体が白いほどの光で溢れ、一気にホワイトアウトし――




「……………………え?」


 暗くなった。正確に言えば、先ほどの目映いばかりのホワイトアウトのせいで、暗順応が全然追い付かない。


「え、停電? ブレーカー落ちた? 全然見えない」


 中々お目にかからない真っ暗闇に、わたわたしながら両手をまさぐる。動揺してベッドから落ちたとあっては、痛い上に薄情な家族に笑われてしまう。

 しかし手で触れるのは、最近天日干ししてないせいで煎餅な布団よりも更にごわごわ……というより石並みに硬い何かであった。冷たい。


「ってか、さっむ! ここめっちゃ寒い!」


 指先からじわりと伝わった冷気に、思わず二の腕をさする。もうすぐ冬が終わる今頃、暖房はつけずに安物のボアだけで間に合う季節になったとはいえ、これはさすがに寒すぎる。

 窓開けっ放しだったかなと、どうにか暗闇に慣れてきた目を細めて視線を滑らせる。

 石壁があった。あと大きなタペストリーに、重厚そうな本棚。そして。


「名を名乗れ」


 スッと、首筋に冷たい何かが当てられた。

 しかしそれが何かを考えるよりも先に小夜は振り向いていた。

 少し鼻にかかったような、高めの少年の声。聞くだけで背筋がぞくぞくする、その声は。


「そそそそのお声はもしやルキアノス様!?」


「バッ! バカ、危ないだろう! 急に動くなよ!」


 両手の指を組んで、声のする場所を寸分違わず見上げる。そこには、抜き身の長剣を真上に上げて慌てる美形がいた。

 薄闇を照らす燭台の炎に浮かび上がるさらさらの金髪に、炎を受けてほんのり赤みがかっている滑らかな白肌、一見冷たくも見える鉄灰色の双眸は、今は軽く瞠目して小夜を見下ろしている。

 そして何より、この世で最も美しく価値のある美声を発する紅唇は、わなわなと小刻みに震え。


「いやいや、やっぱりこいつ小夜だよ! 全然確かめる必要ない」


 ぶはっ、と笑いだした。


「きゅわん!」


 小夜も両手で顔を覆って悶えた。


 こうして小夜は、乙女ゲームを始めた唯一にして最大の理由である声優さんと同じお声を持つ美形――シェフィリーダ王国第二王子ルキアノスと、一週間ぶりとなる再会を果たしたのであった。


存在証明はアホでした。

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