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また始めよう

最終話になります。

今までよりも少し長いですが、良ければお付き合い下さいませ。

「いと高きにまします世界を整えし始まりの神々が一柱、空間の神コーロスよ」


 セシリィが床に描いたまま残されていた魔法陣の中央にトリコとともに立てば、詠唱はすぐに始まった。元々、セシリィと小夜の魂を入れ替えるための魔法陣だったため、簡単な修正ですぐに発動できるのだとは、メラニアの説明である。


「空間の神コーロスは彼らの前に立ち、宣った。『ここにいない者とを結ぶとき、一つのものが滅びる。しかしその者は永らえられる。全ては衣のように朽ち果てるが、着る物のようにその者が取り替えられる時、全ては替えられる』と」


 メラニアが言葉を発する端から、まるで光に変わったように魔法陣に吸い込まれる。光は魔法陣に少しずつ染み渡り、石床に描かれた円陣をゆっくりと浮かび上がらせる。光は中心の小夜とトリコを音もなく包む。ほんのりと温かいと感じられるのは、光から受ける錯覚であろうか。


「コーロスは彼らに恵みを与えられ、彼らの頭上にある栄光をそっと取り替えられる。そのお力を、天より降り来たりて今一度、我らに恵みの一滴を分け与え給え。この者たちの魂を取り替えられよ」


 メラニアが祈るように合わせていた手を解き、指先を小夜とセシリィに向ける。その瞬間、視界が真っ白に塗り潰される。小夜の記憶は、一旦ここで途切れる。





 次に目を開けた時、すぐ目の前には精緻な刺繍があった。


「……ん?」


 しかも温かい。これは何ぞやと手を持ち上げようとして……止まった。


「……ぇぇぇえっ!?」


 驚きの声を上げたはずなのに、耳には「クェェッ」というトリコの悲鳴も同時に届く。余計にこんがらがった小夜を宥めたのは、体の半分を包み込むほどの大きな温もりであった。


「目が覚めたか?」


 すぐ頭上からこの世の物とは思えぬ美声が降ってきた。ぐいんと顔を上向ける。ルキアノスのドアップがあった。


「わっ」


 驚きすぎてバランスを崩す。と、ふわっと落下の感覚があって更に慌てる。焦って腕を振ると、何故かバッサバッサと慌しい音が聞こえて。


「おっと、大丈夫か?」


 今度は体全体を温もりが包み込んだ。ハッと目を開けると、やはり視界全体にルキアノスの美貌があった。


「!」


「鳥になっても忙しい奴だな」


 改めて大きな両手に抱きかかえられて、やっと小夜は現状を理解する。


「わぉ。私、鳥になってる」


 腕を広げて見えるのは、セシリィの腕ではなく、青と緑の鮮やかなグラデーションを持つ翼。他の部分は見えないが、嘴は美しいオレンジで、頭には三本の長い冠羽が伸びているのであろう。そして最初に見えたのは、ルキアノスが鳥となった小夜と抱きかかえているために目の前に見えた、服の刺繍だったのだ。


「つまり成功したってこと?」


「そうよ」


 小夜の疑問に答えたのはけれど、ルキアノスではなく、どこかで聞いたことのある声であった。くるっと首を回すと、見慣れた女性が後ろに立っていた。


「トリコ……は、今は私か」


「そうなるかしらね」


 いつもの通りに呼んでしまったが、頷く彼女にその名はまるで相応しくない。小夜を見据える碧眼はきらきらと自信に満ち溢れ、緩く持ち上げられた唇は艶やかに弧を描いている。豊かに波打つ濃茶色の髪も透き通るような白い首筋も、彼女の美しさを一段と際立たせている。

 セシリィ・クィントゥス。本物の侯爵令嬢が、そこにいた。


「鏡で見ていた姿とは別人だなぁ」


「そう? 変わらないわ」


 しみじみと呟くと、セシリィが美しく苦笑する。美人はどんな顔も美しい。


(この顔でアホなことばっかり口走っていたとは、何ともはや申し訳ない)


 今更ではある。


「それにしても、今回の魔法は随分詠唱が長かったんだね」


 ルキアノスの腕に抱かれたまま、疑問に思ったことを口にする。魔法の実技のためにトリコに教わったものには、神識典ヴィヴロスからの引用と協会が編纂した呪文集であったが、メラニアのような長文はなかった気がする。


「瞬発的な力は簡略化された魔法で十分だけれど、長時間継続させなければならないものにはしっかりと心を込めて祈らなければ、神は応えてはくれないのよ。天上に昇った神々などは特にね」


「ふーん。耳が遠いんだ」


 日本の神様でも、福禄寿などお年寄りが多い。さもありなん。


「小夜は何と言っているんだ?」


 失礼な感想で頷いていると、痺れを切らしたルキアノスが口を挟んだ。どうやら、セシリィの時と同様、鳥となった小夜の声はセシリィ以外には聞こえていないようである。


「第一の神々はお耳が遠いのね、ですって」


「は?」


「ちょっ、こらこら!」


 含み笑いで伝言するセシリィを慌てて制止するが、聞こえないので無意味である。他意のない発言ではあったが、吹聴されて嬉しいものでもない。


「っはは! あんな大掛かりな魔法を受けて、出てくる感想がそれかよ」


「!」


 ルキアノスが面白げに笑いながら、小夜の体を高々と持ち上げる。それがあまりに無邪気なものだから、小夜は高い高いをされながら羽をバッサバッサとばたつかせた。


「やはり良い声!」


「変わらないわねぇ」


 小夜の叫びに、セシリィが呆れたように微苦笑を零す。肉体は変われども、やり取りは少しも変わっていなかった。


「どうやら、無事成功したようですね」


 わちゃわちゃし出した三人にそう言って近付いてきたのは、やっと息を整えたメラニアであった。セシリィが居住まいを整えて頭を下げる。


「伯母様。ありがとうございました」


「まだもう一段階あります」


「ですが、立て続けに行うのは負担がかかりすぎます。小夜の魂を元の世界に戻すのは、明日わたくしが行います」


「……では、わたくしは補佐に回ることとしましょう」


 セシリィの決意を汲み取るように間を空けて、メラニアが頷く。これに、小夜をふりふりしていたルキアノスも、やっと落ち着いて話に加わった。


「では、オレはこれでお役御免ですね」


「本当に、今日はありがとうございました」


 メラニアが丁寧に頭を下げ、セシリィもまたそれに倣う。確かに、セシリィが元の体に戻ったとなれば、メラニアを含めて魔法を使える者は二人となり、ルキアノスに補佐を頼む必要は無くなる。

 つまり、ルキアノスとは今日が本当に最後ということだ。


「そっか……、もう会えないのか」


「あら。もう声が聞こえない、じゃなくて?」


「ん?」


 急に気付かされた事実に悄然とすると、セシリィが意味深な指摘をしてきた。すぐには意味が分からず視線を向けるが、にやりと笑みを深められただけだった。


「また内緒話か?」


 ルキアノスが、さりげなく小夜の首を元に戻しながら口を挟む。


「通訳して差し上げましょうか?」


「いや、結構だ」


「あら。純然たる好意でしたのに」


 憮然とした声に、セシリィがすっと目を細め、くすりと笑う。それから、おもむろにメラニアに歩み寄った。どうやら、明日の魔法について話しているようである。


 それを横目で窺いながら、ルキアノスが顔を落としてそっと囁いた。


「お前の声が聞こえるなら、このまま飼っちまうんだけどな」


「!」


 突然の声に、小夜はびくっと全身が痺れたような気がした。それは秘密の話をするように小さく、悪戯を企む少年のようにあどけなくて。少し掠れたような語尾が、堪らなく小夜の背筋をぞくぞくさせる。


「ル、ルキアノス様っ?」


 聞こえないと分かっているが、思わず名を呼ぶ。だがやはり届かないようで、ルキアノスが構わず続ける。


「小夜」


「は、はいっ」


「以前に、オレのことを一番と言ったな。それは今も変わらないか?」


「も、勿論であります!」


 懲りずに答える。ビシッと右翼を上げるが、やはり鳥に敬礼は難しかった。代わりにクェェッと鳴き声で意思表示する。

 それでも、是の意は伝わったようだ。ルキアノスが莞爾と笑う。


「あれは……少し、嬉しかった。ありがとうな」


 それから、更に顔を近づけて、


「じゃあな」


 その囁き声とともに、ほんの一瞬、小さな温もりが額に触れた。それがもしや唇ではないか、と思い至った時には、小夜はいつの間にかセシリィの腕の中に預けられていた。


「…………へ?」





 ルキアノスは、来たとき同様帰るときもまた静かに屋敷をあとにした。どうやら、ヨルゴス一人を供につけてのお忍びという格好であったらしい。


 そして翌日、再び地下室に移動して、小夜は魔方陣の中心に立った。


「これで本当に最後になるけど、何か言い残すことはある?」


 小夜から手を離して準備に取りかかりながら、黒いドレスを着たセシリィが言葉をかける。


「最後っていっても、昨日もずーっと話してたしねぇ」


 鳥の首をことりと傾けながら、小夜が思案する。

 言葉の通り、昨夜もまた同じベッドで寝た二人は、明かりが消えてもいつまでも話し込んでいた。その前には小夜が飛んでみたいと言って、羽ばたく練習も何度かした。

 それは小学生の子供がお泊まり会にはしゃぐような、本当に無邪気な時間であった。


「セシリィのことはずっと信じてるから、やっぱり言い残すことはないな」


「……小夜ったら」


「あ、でも!」


 眉尻を下げたセシリィに、小夜は思い出したと声を大きくする。


「声を録音する魔法を編み出してくれると嬉しいです!」


「……もう、小夜のバカ」


 セシリィが、しようがないとばかりに優しく笑う。それが最後となった。

 セシリィの神への祈りが、染み込むように小夜を取り巻く。魔法陣が光を纏い、セシリィの手のような温もりが身体中に満ちたとき、視界は真っ白に塗り潰され――





 次に視力が回復してきた時、最初に見えたのは、薄暗い中でも分かる、木目調のシートを張り付けただけの安っぽいドアであった。

 寝そべっている床は石ではなく合板のフローリングだし、壁に並ぶのはタペストリーではなく買い漁った漫画と小説でぱんぱんに膨らんでいる本棚やタンスである。


「……戻ってら」


 ふらつく頭を押さえて上半身を起こす。視線をさ迷わせれば、すぐそばに見慣れたスマホが落ちていた。


「なんか……寝てただけみたいだな」


 拾ってスイッチを入れる。が、充電が切れているのか、画面は暗いまま変化はなかった。


「あれから何日経ったんだろ」


 あちらの世界では一月以上過ごしたはずだが、こちらの世界でそれほど進んだようには思えない。世界を移動したあの時からそんなにも放置されていたのだとしたら、泣く。


 などと思いながら首を巡らせると、カーテンが開いていることに気付いた。今にも消えそうな西日が、優しく窓枠を照らしている。その下に視線をずらせば、パソコンテーブルの脇におかれたデジタル置時計の時間が16:25を示していた。

 日付は、


「んん? 同じ……?」


 記憶の中にある日付と、まるで変わっていなかった。あの時は日曜日なのに夜更かしして日付は変わっていたから、時間としては半日ほどということになってしまう。


「……え、マジ?」


 現状と自分の認識とが食い違い、脳があっさり混乱する。どうしたものかと暫く呆然として、とりあえずスマホの充電をしようと机に向かう。その時、


「小夜ー」


 階下から、間延びした声が呼び掛けた。耳馴染んだ女性の声――母である。


「いつまで寝てるのー? そろそろ起きて、夕飯手伝って」


「はー……」


 い、といつも通りに返事をしようとして、小夜は慌てて部屋を飛び出した。

 台所目指して一直線。


「お母さん!」


「わお。そんなにやる気なの? うれしー」


 五十代半ばの母が、買い物カゴの中身を選り分けながら棒読みする。いつもならそこでもっと喜べと突っ込むところだが、今ばかりはスルーする。


「お母さん、私って最近何してた!?」


「…………アホしてた」


「ひどいっ」


 真顔で聞いたのに、真顔で返された。間違ってはいないのだが、心底バカにされているのが分かってそこはかとなく悲しい。なんて母親だ。


「そうじゃなくてさ、私ってどのくらい寝てた?」


「知らないわよ。祝日だからっていつまでも降りてこないで。明日もこうだったら、もう母さん起こしませんからね」


「え? 今日って月曜日……」


 母の言う意味がわからず、台所のカレンダーに視線を向ける。月曜日が赤字であった。


「ハッピーマンデー……」


「あんただけがね。主婦には関係ありませんー」


 日曜日に夜更かしして、翌日は仕事と思っていたら、そうではなかった。だから母は起こしに来ず、小夜は寝続けていたということらしい。


(ということは、どういうことだ?)


 あちらの世界の一ヶ月が、こちらでは半日程度にしかならないということであろうか。それとも、長い夢を見ていただけか。


(……夢だな)


 どちらが説得力があるかと言われれば、俄然後者であろう。そう気付けば、半端でない脱力感に見舞われた。ずるずると、その場に座り込む。


「なんだぁー」


 どうやら、自分の頭は相当痛いらしい。笑うしかなかった。


「何がなんだよ。ほら、いいから早く手伝ってよ」


 しかし母にそんな心情が伝わるわけもなく、無情にも急かされてしまった。


「はいはい」


 諦め気味に立ち上がり、食材の片付けを手伝う。と、不意に思い出したことがあった。


「そう言えば、お母さんって部屋の電気消した?」


「あったりまえでしょー? いつまでも無駄に電気つけて、床に寝こけて……二十八にもなって、母さんは恥ずかしいです」


「心配してよ」


 もしかしたら疑似植物状態だったかもしれないのに。


「しますかいな。寝ながらでもニヤニヤ笑ってる子なんか」


「はぁ、そりゃー……」


 返す言葉もない。だがとりあえず、心配して見に来てくれはしたようである。


「あと、手伝う前には手を洗ってよ」


「起きたばっかりで、変なもの触ってないけど」


「よく言うわよ。こんなもの頭につけて」


「んー?」


 言いながら、先に片付け終わった母が小夜の頭に手を伸ばす。戻された指に摘ままれていたのは、


「綺麗ね、これ。玄関にでも飾ろうかしら」


 青と緑のグラデーションも鮮やかな、鳥の羽であった。


「ダメ!」


 気付けば、反射的に奪い取っていた。触れれば羽軸がまだほんのりと温かい。


「……そっか」


 羽を胸に抱きながら、そっと呟く。

 部屋に戻ったら、あのゲームをまた始めようと思った。

これで、小夜の夢か現かのちょっとした冒険はおしまいです。

まぁ、また次の週末くらいには、メラニア伯母様辺りに物理的に喚び出されそうな気もしますが……。

ひとまずこれにてチャンチャン。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

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