短い間でしたが
話し込んでいるうちに夜も更け、翌日は学校が休みということもあり、この日は侯爵家に泊まることとなった。ルキアノスには使いが出され、許可をもらっている。
「私がセシリィじゃないって分かったから、もう危険視されないってことかな?」
セシリィの自室に戻り、一緒にベッドに潜り込みながら、小夜はトリコに聞いた。
ちなみに部屋の明かりは、室内で移動するものがなければ、一定時間経過後に自動消灯される。発達しすぎた科学は魔法と見分けがつかないと言うが、逆もまた然りと思える小夜である。
「というよりも、要警護対象だったファニがそうじゃなくなったから、監視が緩んだだけだと思うわ。純粋に小夜を危険視する問題は、恐らく解消されてはいないはずよ」
「え、そうなの?」
自分の一体何を危険視されるというのであろうか。三十路の腐女子の出来ることなど、事務仕事以外思い付かない。
「でも、何とか話し合いが済んで良かったよ」
「そうね、本当に。小夜がどんどんずけずけと聞いていくから、わたくしは生きた心地がしなかったわ」
「私もいつまたハンマーが落ちてくるかと気が気でなかったよ」
「そうね。あれは一日二度までは出来るはずだから、食事中に長卓でも降ってきたらどうしようかとひやひやしていたわ」
「マジか」
そんな貴重なうちの一回を姪の説教に使うとは、本気度が知れて怖い。
「でもだからこそ、伯母様の理解が得られたことは今日の何よりの収穫だったと思うわ」
「え、そうなの?」
そんなに身の危険があったのかと軽くおののく。が、トリコの言いたいことは少し違ったようである。
「伯母様に力を借りれば、小夜を元の世界に返すこともすぐに叶うかもしれない」
まずメラニアに頼んで小夜とトリコの魂を入れ替えて、その上で小夜の魂を外の世界へと送り出すことになるはずだと、トリコは語った。セシリィの魂は越えられなかった世界の壁だが、小夜は元々この世界の生命ではないので、弾かれることはないはすだという。
突然もたらされたその朗報に、小夜が返した言葉といえば。
「…………あ、そう?」
であった。あまりに予想の埒外のタイミングで、考えることも忘れていたところに帰ってきた問題であったからだ。
トリコが、ぶすりと半眼になる。
「何よ、嬉しくないの?」
「うーん。それは実に難しい問題だ」
帰れるのは勿論喜ばしいことだが、トリコを最後まで見届けられないのは心残りではある。
だが家族の本心を知れたセシリィなら、きっとまた違ったやり方で頑張っていけるであろう。
「ま、トリコなら大丈夫か」
子供どころか結婚もしていないのに、子供に巣立たれる親の気分で苦笑する。対するトリコもまた、どこか吹っ切れたような声で「えぇ」と応えた。
「レヴァンがエヴィエニス様のお側にいられるのだもの。わたくしだって、今度は自力であの場所を勝ち取ってみせるわ」
トリコの前向きな言葉に、小夜も嬉しくなって頷く――前に、いい加減気になっていたことを聞くことにした。
「そのことだけど、レヴァンって結局何者なの?」
「え? 知らなかったの?」
「そりゃね。最初に信用しない方がいいとは言われただけで、理由は言われてないし」
「そうだったかしら? レヴァンは、簡単に言うとファニの甥に当たるわね」
「……んん?」
簡単と言われたが、やはりすぐには理解できなかった。甥ということは兄妹の子供で、ファニの兄妹といえば父と共に謀反で亡くなった兄が一人いたはずだが。
「前国王の兄親子が謀反の罪で死んだ時、息子には妻がいて、お腹には赤ちゃんがいたの。それがレヴァンよ」
「え、でもレヴァンって確か十七歳じゃなかったっけ?」
「産後すぐは色々あって、母子ともに身を隠していたそうよ。それが紆余曲折あって、レヴァンだけ王弟殿下の預かりになったの。年齢を誤魔化したのは、その王弟殿下の意向と聞いてるわ」
(マジか! ゲームにそんな説明あったっけ?)
攻略するうちに出てくる情報というところだろうか。であれば、ルキアノスのルートばかりにかまけていた小夜が知らないのも無理はない。
(戻ったら、エヴィエニス様ルートからちゃんと一通りやろうかな)
今更なことを決意する小夜であった。
ともかくも、ルキアノスが「集まりすぎてる」と言ったのはそういうことかと納得する。当代国王の王子二人に反逆者の娘と孫、そして元婚約者。確かに、面倒そうな面子ではある。
だがレヴァンにその処遇がなされたのなら、一つの希望が見える。
「そうなんだ……。じゃあ、ファニももしかしたら」
「えぇ。だから、負けないわ」
何も知らない赤子と、知ってしまったファニとでは境遇が大きく異なることは重々承知の上だが、それでも出来るなら期待したかった。
「うん。頑張れ」
トリコが希望に輝いているように見えて、小夜は嬉しくなって翼を何度も撫でた。
こんなにも純粋に前を見ているトリコがセシリィの体に戻れば、きっとさぞや美しいであろう。
翌日、朝食を終えて程なくして、小夜たちはメラニアに呼ばれた。
「準備が整いました。小夜様がよろしければ、すぐにでも始められます」
「今からですか?」
驚いて聞き返すと、黒いドレスを身に纏ったメラニアもまた軽く瞠目して見返してきた。
「ですが話を聞く限り、あなたの体は元々の世界に残してきたのでしょう? 魂が不在の状態で肉体を長く放置し続けるのは得策とは言えません」
それは、心からの配慮に思えた。
(やっぱり、良識あるちゃんとした大人だなぁ)
小夜とは大違いである。
「ありがとうございます。それではよろしくお願いします」
深くお辞儀をする。そうして、トリコとともにメラニアについて向かった先は、小夜がこの世界で初めて目にした場所――地下室であった。
薄暗い室内に灯された幾つもの蝋燭の火。分厚い洋書がぎっしりと詰まった本棚、大きなタペストリーのかかったひんやりとした石壁。一月ほど前に一度見ただけの部屋だが、妙に懐かしい気分である。
「そういえば、ここには魔法の明かりはないんだね?」
「繊細かつ大掛かりな魔法を行使するのに、他の魔法や精霊の介入があっては雑念が混じるからな。不安要素は徹底的に排除するのは基本だろ」
「「!」」
トリコに聞いたつもりがあらぬ方から回答があがり、小夜もトリコも驚いてババッと振り返る。視線の先にいたのは、閉めた扉の横の壁に背を預けて腕を組んだルキアノスであった。
「な、なんでルキアノス様がここに……?」
思わず失礼ながら人差し指で突き指していた。その指をにやりと見返して、ルキアノスが三人に歩み寄る。
「昨夜のうちにメラニア様にご連絡を頂いてな。兄上の許可を得て参上した」
「ご協力感謝いたします」
メラニアが貴婦人らしく前裾を持ち上げて礼を示す。
話を聞けば、セシリィは一人で魔法を行使したが、本来は足りない力の補完や有事の際の補佐として、最低でも二人以上で取りかかるのが普通とのことであった。
「トリコ……無茶したのね」
「誰にも頼めなかったのだもの、仕方がないでしょう?」
暗に友達がいなかったのだと言われて、小夜はハンカチで目許を拭いたい気分であった。勿論飛び蹴りを頂戴した。
ちなみに、クィントゥス侯爵は仕事に駆り立てられて昨晩からまた屋敷を不在にしている。真面目に忙しい人らしかった。
(育児放棄とか勝手に思ってごめんなさい)
顔を見て謝るタイミングを逃してしまったので、心の中でことある毎に謝っておく。
「何で両手を合わせてるんだ?」
「はい?」
言われて小夜が目線を下げると、本当に胸の前で拝んでいた。これではまるで故人を悼むようではないか。
慌てて両手を引き離してひらひらと振る。
「や、何でもないです」
「……こうやって見ると、セシリィとは全然違うんだな」
「え?」
柔らかい声につられるように振り仰ぐと、ルキアノスが苦笑するような穏やかな様子で鉄灰色の目を細めていた。
その白い頬に金糸のような髪がさらりとかかり、揺らめく蝋燭の火に照らされたその容貌は絵に描いたように美しい。
エヴィエニスのような完璧な貴公子然とした雰囲気とは違うが、どこか少年特有の幼さと鋭利さが同居している雰囲気が、妙に人を惹き付ける。
(もう二度と会えないと思っていたのに)
惜しんでも仕方がないが、その分心の目と耳にしっかりと刻み付けておこうと、小夜は誓う。
惜しむらくは、声を録音する魔法を会得できなかったことであろう。
(といっても、元の世界に戻ったら使えないんだから、結局意味はないんだけど)
お前には乙女ゲームがあるではないか、と言い聞かせても、寂しさはどうしようもない。
小夜は引きずらないためにも、いつもの調子で笑うことにする。
「種明かししたらバレバレですよね。三十路の庶民なんで、お嬢様するのは大変でした。でも、お側でルキアノス様の色々な声が聞こえて眼福ならぬ耳福でした」
「相変わらず、変なことばっかり言うんだな」
「あ、あの奇行は暗号とかじゃないですよ。あと、セシリィの意思でもないので、あとで他の生徒さんにも説明をお願いしたいです」
「分かってる。心配は要らない」
苦笑を強めて、ルキアノスが応じる。そんな風に笑われると、まるで小夜の方が頑是ない子供のような気分になって困った。だからお別れはこれまでだ。
「短い間でしたが、色々とお世話になりました。エヴィエニス様やファニたちにも、よろしくお伝えください」
「あぁ。承った」
さばさばと頭を下げる。
ルキアノスも、相変わらずの爽やかな笑顔で頷いてくれた。




