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諸悪の根元

 どこか満足そうなルキアノスが引っ込むのと入れ替わりに、ファニが遠慮がちにその小さな顔を覗かせた。


「あの、小夜さん」


「え? あ、はいっ」


 ルキアノスの声と仕草に放心していた小夜は、名前を呼ばれてやっと正気に戻る。見れば薄桃の頬を強張らせて、瞼も薄く伏せている。


「その……、今日は色々ごめんなさい」


「え? 私何かしたっけ?」


 実に言いにくそうに謝罪したファニに、しかし小夜はすっ頓狂な声を上げるしかできなかった。イデオフィーアの登場で状況把握能力がやられ、極めつけのルキアノスの一言で他の全ての記憶がほとんど吹っ飛んでいる小夜であった。


 くすりと、ファニがいつものあどけなさを取り戻して小さく苦笑をこぼす。


「いいえ、お礼を言いたくて……これが、最後になるかもしれませんから」


「あ……」


 それは控え目な言い方ではあったが、ファニの処遇を暗示するようで、さすがの小夜も思考を冷やされる思いであった。

 付き合いとしては一月程度しかなく、しかもそのほとんどを正体を隠して接していたが、ゲームで見守っていたせいか、おこがましくも自分の分身のように感じていたのもあるかもしれない。


(まぁ、実際にはもろばれだった気もするけど)


「いいえ、こちらこそ」


 湿っぽいのは苦手なので、からりと笑う。こういう時、能天気に笑えるのはいいことだ。


「折角ファニが懸命に堪えたのに、結局私が色々口を挟んで台無しにしちゃったから」


 晩餐会での会話を思い出しながら、自分の堪え性のなさにがっかりする。


(もう少し、八方丸く収まる受け流し方が出来れば良かったんだけど)


 侯爵の一言でたががぶっ飛んでしまった。


「あの時は、まだ迷ってたよね? 本当にごめんね」


 お家のためという感覚がどんどん薄れている現代日本に比べれば、この世界のこの時代にはまだまだ一個人よりも家や一族を優先する意識というのは根強いであろう。

 そんな中で、ファニは一人で真実に気付き、独りで悩み続けていた。永遠の迷宮のような乙女の問いに土足で踏み込んでしっちゃかめっちゃかに荒らしてしまった自覚は、後からではあるが十分にある。


「小夜さんは……本当に不思議です」


 落ち込み気味で頭を下げると、どこか呆けたような感心したような声で、しみじみと驚かれてしまった。気恥ずかしくなって、適当に誤魔化す。


「そう? まぁ、暮らした世界が違うから、常識や視点もまだまだ違うとは思うけど」


「それだけではないような気もしますが」


「新しい価値観って、奇抜に見えるしね。それに、世界が突然変わったのはファニも同じでしょ? そういう境遇って身近には私たち二人だけだし、また会えると嬉しいんだけど……それまでお互い大変だけど、頑張ろうね」


 ということで、声に対する奇行も見過ごして頂きたい。という思いも密かに込めて、馬車で待つ他の面々にも届くように声を張る。

 と、


「……学校で、セシリィ様の隠れファンがいるのが分かった気がします」


 何故かファニが仄かに頬を赤らめてぽそりとそうこぼした。小声ではあったがばっちり聞こえた小夜は、嬉しくなって後ろで待っていたトリコを振り返った。


「え、そうなの? 良かったねぇ、トリコ」


「……絶対違う気がするわ」


 ぶすっと不貞腐れたセシリィであった。





「その体は娘のものだ」


 客を見送り、晩餐会の片付けが行われる中、小夜たちは再び応接室に戻っていた。今度は全員が着席し、トリコも小夜の座ったソファーの背もたれに留まっている。

 そうして侍女にお茶も出され、一息つこうかと思った矢先に言われたのが、先程の発言である。


「……その通りですが」


 今さら何が言いたいんだ、という思いは微塵くらいしか顔に出さず、肯定する。


「娘の体で、みだりに男に近付かないで頂こう」


「…………」


(過保護なジジイだ)


 見送りの時のルキアノスとの会話のことを言っているのであろうか。開口一番がそんな心配とは、話し合いの着地点はもう見えたようなものである。


(愛されて育ったのねぇ)


 これで兄共々政略結婚のためだけに生まれた存在なのだと、よく思い込めるものである。

 ちらりと視線を滑らせれば、メラニアもまた厳めしい顔にありありとした呆れを滲ませていた。手のかかる弟がいまだに見捨てられないと、その栗色の瞳が如実に物語っている。


(どうやら、見事にこじらせたっぽいな)


 トリコの性格からしても侯爵にしても、真っ向からこういった話をするとも思えない。聞かないうちに人物像や心境を作り上げ、勝手に解釈していったのであろう。


(どっちも自己弁護や言い訳は得意じゃなさそうだしな)


 仕方ないので、小夜は先程とは違った切り口で聞くことにした。


「一つ聞きたいことがあるんですけど、セシリィやお兄さんの出産がメラニアさんの指示だったって、本当ですか?」


「なっ……」


「小夜っ」


 藪から棒の質問に、侯爵は目をかっ開いて口を開けた。かと思ったら、今度はみるみる赤面し出した。

 セシリィは逆に、今まで聞きたくても聞けなかったことを突然話題にされて、大いに動揺している。

 この中で最も平静であったのはメラニアだが、それでも「はぁぁっ」と特大の溜め息をついて額を押さえている。


「その憶測は、大方クレオンでしょう」


「またあやつか……!」


 どうせそんなところだろう、と言外に匂わせるメラニアに、侯爵までが今度は怒りで顔を赤くさせている。

 どうやら、クレオンなる人物は小夜の予想通りの性格らしい。


「クレオンって言うのは……」


「次男で、セシリィのすぐ上の兄です」


 確認のために問うと、即答された。


「成る程。つまり、そういう人物なんですね?」


「そういう輩なのです」


「え、え? ちょっと、クレオン兄様がどうしたというの?」


 慌てた声を上げたのは、頷き合う二人に取り残された形となったトリコであった。

 この構図はいつもと反対だなと思いながら、小夜は「つまり」とどや顔で説明する。


「トリコは、そのお兄さんに嘘の情報を刷り込みされてたってことだよ」


「……は? そんなわけないじゃない」


 金の瞳に懐疑を滲ませて、トリコが決然と否定する。


「クレオン兄様はイアソン兄様ほどではないけれど成績は常に優秀だったし、頭の回転が早くて冗談がお好きで、会話は独特で機知に富んでいたわ。行動力もおありだし、常に自信に満ち溢れていて」


「べた褒めだな」


「とにかく! クレオン兄様に限ってそんなことはあり得ないわ」


 どうやら、諸悪の根元はブラコンだったらしい。どうしたものかとメラニアを振り返ると、事情を汲み取るように言葉を促された。


「セシリィはなんと?」


「クレオン兄様に限ってはあり得ないそうです」


「そういう所が、余計にクレオンを面白がらせて、あることないことを吹き込まれる原因となるのです。セシリィは真面目で真っ直ぐで、思い込んだら一直線なところがありますから」


 然もありなん、という顔でメラニアが眉間に皺を刻む。

 クレオンなる兄上の顔こそ知らないが、小夜には愉快犯がにやにやしながら、純粋無垢な妹を騙しておちょくっている場面が目に浮かぶようであった。


(トリコ、可愛いもんな)


「今そういう話をしていたかしら!?」


 内心で頷いていたら、トリコに聞かれてしまった。バッサバッサと翼で攻撃を受ける。くすぐったい。

 次の手ということで、小夜は代わりに発生する疑問を解消することにした。


「ちなみに、二人が年子で生まれたのには、何か理由があるんですか?」


「ない!」


 メラニアに聞いたつもりなのに、何故か侯爵に即答されてしまった。まだ顔が赤い。


(まぁ、大っぴらに夫婦関係の話をほじくり返すのは、上流階級にはちょっとマナー違反かな?)


 だがメラニアはそこまで気にしないのか、「実は」と変わらぬ顔で切り出した。


「その頃は妃殿下の妊娠が続き、社交が一時的に減っていた時期なのです」


「姉上!」


「…………」


 一気に理解がやって来た。


「あ。なーんだ、それだけ?」


「えぇ。それだけのことです」


 深く頷くメラニアに、小夜は拍子抜けしながらも口許がにやつくのを抑え切れなかった。侯爵の顔色が益々赤くなる。


(そりゃそうか。箱入り娘にそんな話は絶対しなさそうだしね)


 つまり、社交に大物が出向く回数が減ったことにより、周囲の貴婦人たちも自然と家にいる時間が増え、結果として出産率が上がったということのようだ。

 仲睦まじきことは良きことなり。


(それを策略的妊娠だって幼子に教え込んだっていう兄貴もまた、一歳上なだけのはずなんだよなぁ)


 そう考えれば、末恐ろしい子供ではある。


「あやつは母親に似て考え方が自由な分、私たちには及びもつかないおかしなことばかりをするのがいかん。阿呆ではないのだが、たまに阿呆にしか見えん時がある……」


 赤面からやっと復活したらしい侯爵が、頭を抱えながらぼそぼそと愚痴る。馬鹿と天才は紙一重というが、それを側で実感し続ける家族としては面白いでは済まない大変さがあるらしい。

 それでも、亡き妻に似ていると思えば、どんなに手がかかっても愛しいものなのであろう。


「亡きお母様似なんですね。心中お察しします」


「は?」


「え?」


 神妙な顔で頭を下げたら、侯爵とセシリィに間の抜けた声を上げられた。


「ん?」


 何を間違えたかと二人を見ると、トリコが可愛らしく小首を傾げた。


「死んでなんかいないわよ?」


 衝撃的発言がきた。


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