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悩殺

 えへへえへへ、と小夜が浮かれている間に、話はサクサクと進んだ。


「宮廷魔法士、ということは、陛下の密命ということでよろしいですか」


「面倒臭いんだけどねぇ」


 気怠げな声、良い。


「ファニを……どうするつもりですか」


「知らないよ。決めるのはおれじゃぁないし」


 間延びした声もまた良し。


「では、学校までは俺たちが連れて帰ります」


「好きにすれば」


 突き放した言い方もまたそそる。


「あなたは、このあとどうするつもりですか」


「……あぁ、それねぇ」


 思案げに低まった声の響きの完璧さ。


「面倒臭いけど、名前だけ聞いとこうかな」


「……この悶絶し続けて今にもヘタレそうな奴にですか?」


 声とともに視線を滑らせたイデオフィーアに、それまで質問していたエヴィエニスに代わり、ルキアノスが怪訝な問いを投げる。

 その言葉通り、イデオフィーアの足元には相変わらず両手で顔を覆って右へ左へとゴロゴロし続ける小夜がいた。完全な役立たずである。


「もう何も言いたくないわ……」


 その傍らでは、トリコが生き疲れたとでもいうようにがっくりと首を項垂れる。

 が。


「名前!? いま不肖わたくしの名前をお尋ねになりましたか!?」


 死に体がびょんっとその場に起き上がった。言わずと知れた小夜である。


「名乗ります名乗りますとも! こんな機会逃したら一生ないので是非にでも!」


 はいはいはいはいっと挙手を続け、イデオフィーアの前にささっと滑り込む。


「わたくし、小夜・畑中と申します!」


 勝手に名前が引っくり返った。セシリィの言語処理能力によるものであろうか。しかしそんなことは今の小夜には些事であった。

 そわそわしながら、今にも自分の名を繰り返してくれるであろうその唇を凝視する。


「ふーん」


「…………!」


 繰り返してはもらえなかった。


(……で、でもいい! 会話が出来たから!)


 両の拳を握り締めて、今の会話をこころに刻み込む。そして。


「じゃ」


「あぁ!」


 イデオフィーアは本当にそれだけで、踵を返してしまった。

 もうこれで美声をこの耳に浴びる機会は終わってしまうのか、と小夜が絶望しかけた時、


「最後に一つ、聞いてもいいですか」


 ルキアノスがその背を呼び止めた。


「!」


 びくっ、と反応したのは、まるで関係のない小夜であった。なぜなら。


(ルルル、ルキア様とイデオフィーアとの、た、対話! 対話!)


 勿論、大した理由ではない。


「なぁに」


 首だけを回して、イデオフィーアがやる気なさそうに応える。


「この前、フィイア先生が魔法の実技の授業を休まれたのは、今回のことが理由でしたか?」


「…………」


 魔法の実技と言えば、休講になったことで図書館で自習をする羽目になったことは記憶に新しい。

 そして、今回のこと、というのは、ファニの身辺調査や、ファニが侯爵と接することによって起こる行動予測と、その対応というとであろうか。もしかしたら、ファニの存在の仮説を確かめるために、聖泉まで行ったのかもしれない。


 だがどちらにしろ、その二つはまるで関係のない二人の無関係な世間話のはずであった。しかしルキアノスは笑顔を作りながらもその鉄灰色の瞳は笑っておらず、対するイデオフィーアの雰囲気もまた堅い。

 果たして。


「面倒くさぁ」


 イデオフィーアは、その言葉の通り、だらりと両肩をおろして首を戻す。


「本人に聞いたら?」


 そして淡白にそう言って軽く手を振ると、名残惜しむ余韻もなくその姿が陽炎のように霞みだした。そして現れた時同様、幻のように消えてしまった。


「消えたな」


「あぁ。今ごろのんびり帰っているところかな」


 エヴィエニスとルキアノスが、疲れたように頷き合う。


「同一人物だと思うか?」


「さぁな。だがあそこまで光の魔法を使いこなせるなら、姿を変えることなど造作もないだろう。それに、監視は多すぎるということはない」


「言えてる。オレたちの世代は、少し集まりすぎた」


 ルキアノスが苦笑しながら、レヴァンをちらりと見る。レヴァンは物言いたげに肩をすくめただけで、いい加減辛そうにソファーに沈み込んだ。早く帰ってちゃんとした治療が必要だろう。


 ちなみに、その頃その足元では。


「……楽園……この世の楽園があった……」


 しゃがみ込んだ小夜が、両手を握り締めて恍惚と奇行に勤しんでいた。


「左耳からルキア様……右耳からイデオフィーア……至福……!」


「気持ち悪い……」


 誤って酔客の吐瀉物を踏みつけてしまったような本気の声で、トリコが吐き捨てた。


「さて、残った問題は」


 一方、とっとと切り替えてそう言ったのはルキアノスであった。エヴィエニスが頷き、ずっと硬直していたクィントゥス侯爵に視線を向ける。


「私たちはもうお暇するだけですが、閣下はいかがなさいますか」


 半ば放心していた侯爵が、その呼び掛けにゆるゆると反応する。


「……何だと?」


「閣下は、ファニに言いたいことがあってわざわざ呼ばれたのですよね? それは全てお伺いしたでしょうか」


 それはともすれば挑発ともとれる言い方ではあったが、侯爵は顔をしかめるだけで怒りを示したりはしなかった。

 代わりに、その沈黙を引き取るように応える声があった。


「構いません」


 メラニアである。輪の外から、凛と全員を見回している。


「わたくしが知りたかったことは、既に知ることができました」


「姉上」


「本日の非礼をお詫び致します。大変申し訳ございませんでした」


 感情の一切を見せないその謝罪は、侯爵の思わしげな視線もあって、より意味深ではあった。知りたかったのは、反逆者の本心なのか、生き残りの思惑なのか、ファニとして生きる意味なのか、覚悟なのか。


 けれどここに、それを問う無粋者はいない。

 エヴィエニスを筆頭に、ファニもまた、その場で深く頭を下げた。





「あ、あれ? みんな、どうしたの?」


 小夜が正気に戻った時、全員が帰り支度を始めていた。

 エヴィエニスとルキアノスはファニを挟んでドアに向かい、エフティーアもレヴァンに肩を貸してその後ろに従っている。

 クィントゥス侯爵とメラニアは使用人に指示を出し、耳を澄ませば遠く馬車の音も近付いてきている。


 答えをくれたのは、すっかり呆れきったトリコである。


「終わったのだから、帰るに決まっているでしょう」


「え! いつの間に?」


「小夜がアホだった間によ」


 物凄く辛辣であった。


(しかし否定の言葉もない)


 事実であるので、小夜は平謝りしつつその場に立ち上がった。客を送り出す侯爵の隣に駆け寄り、王族一行を見送る。

 玄関前の車寄せには、二台の馬車が停まっていた。エフティーアに支えられたレヴァンは、ファニたちとは車を分けるようだ。

 見ると、ルキアノスが顔を出して小夜を手招きしていた。トリコはその場に残して、たたたっと駆け寄る。


「はい?」


「お前、名前を小夜と言ったか」


「っ!!」


 突然のご褒美がやってきた。

 一瞬息が止まるかと本気で思った。

 多分世界は一瞬止まった。

 その一瞬の間、小夜の世界ではたった一つの単語が無限にリフレインされていた。


(「小夜」……「小夜」……「小夜」……)


「なぜ泣く!?」


 驚愕された。


 しかし小夜は「何でもないです」とも「気にしないで」とも言えず、自分で自分に驚いていた。


(あの声優さんが私の名前を……本当の名前を……こんな日が来るなんて……)


 生きてて良かったとも、もう死んだなとも、思う余裕すらなかった。ただただ呆然と、今起きた現実を咀嚼する。しかしどんなに噛み締めても、現実味は湧いてはこなかった。


「……す、すみません、何だか……気持ちの処理が追い付かなくて……」


 そう言うのが精一杯であった。


 呼びつけたはずのルキアノスは何も言わないし、トリコも突っ込まないしで、小夜はほとほと困ってしまった。

 止まらない涙をどうにか脱ぐってやり過ごすと、やっとルキアノスが口を開いた。しみじみとした溜め息とともに。


「お前、以前にオレのことを世界一素敵とか言ったくせに、あれはやはり嘘か」


「めっ……!」


「と、言おうと思ったんだが、気が済んだ」


 滅相もない、と全力否定する前に、にやりと不敵な笑みで前言を覆された。その茶目っ気たっぷりの声に、小夜は視界がくらっくらと歪んだ気がした。


「……の、」


「の?」


「悩殺……!」


 茹で蛸以上に真っ赤に赤面して、両手で顔を覆う。冬場の鍋並みに湯気が出ている自覚が大いにあった。


 余談だが、この二人のやり取りを見ていて、同じく顔を真っ赤にしながら怒るに怒れない人物が一人いた。言わずもながなのクィントゥス侯爵である。

 それを、トリコが冷ややかながらも複雑な眼差しで見ていたことは、誰も気付いてはいない。

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