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クソジジイ

 エフティーアの言葉の意味が分からず視線を泳がせると、なんと全員が小夜を注視していた。


(……だからイケメンどもの凝視は怖いんだって)


 つい圧に負けて後ずさる。どうしたものかと、すぐそばの椅子の背に留まっていたトリコに視線を向けると、溜息一つ。


「好きにしていいって、言ったでしょう?」


 優しい声で、そう言われてしまった。

 体の持ち主がそう言うのなら、ほとんどの問題は消えたも同然である。あとは悪霊認定されて祓われないことを祈るばかりだ。


「何者と言われても……本物のセシリィに喚ばれてちょっとお邪魔している者としか」


 セシリィの仮面を剥ぎ取ると(そもそも出来ていなかったが)、一気に庶民感が出た気がする。


「本物のセシリィ・クィントゥスはどこだ」


「…………」


 侯爵の問いに、再度ちらりとトリコを見る。まん丸の金の瞳が静かに閉じられた。了解ととって、手の平を向ける。


「あちらに」


 言葉を付け加えると、全員の視線が今度はトリコに集まった。トリコは金の瞳を細め、まるで女王のように胸を張って堂々と視線を受けている。


「…………なに?」


 侯爵は理解を拒否するように片眉を上げ。


「親友第一号とか言ってたやつか」


 ルキアノスはいつかの小夜の宣言を引っ張り出し。


「まさか話しかけてたのって、ちょっと現実逃避とかじゃなかったんだ?」


 レヴァンに至っては初対面の時のやり取りを想起しているのが実によく分かった。

 だがこれで、小夜の気が触れていたわけではないとやっと説明できる。


「皆さんには聞こえないみたいですけど、私にはトリコ――セシリィの声が聞こえるので」


「クェーとかじゃなくて?」


「心の声が外部から聞こえるような感じらしいです」


 これは以前トリコから受けた説明の受け売りだ。


 肉声は口から発して鼓膜に届くが、では声にしない思考言語は脳内でどう処理されているのか、とトリコは言った。セシリィの魂が思考したイメージが、セシリィの脳で言語化されているのでは、というのがトリコの立てた仮説だ。だからトリコが嘴を動かさなくても声が聞こえるし、小夜以外には聞こえない。


「へぇー。にわかには信じがたいけど」


「別に信じてもらわなくても結構よ」


 遠慮なく顔を覗き込むレヴァンに、トリコがつんと顔を背けて毒を吐く。成る程、いつかの「単語三つ言うくらいが精々」という発言は本気であったらしい。


(勿体ないことするなぁ)


 などと考えながら、小夜は求められるままにトリコから受けた説明を繰り返した。セシリィと自分の魂を入れ替える魔法を行使したこと。魂を呼び入れることはできたものの、世界の壁を越えることは出来ず、手近な生物の中に緊急退避したことなど。


「それでカポディストリアス先生に『動物は魔法を使えるか』なんて聞いたのか」


 ルキアノスが得心したように課題の話をする。ファニからのダメージをずっと引きずっていたエヴィエニスも、ようやっと少しだけでも回復したのか「ふむ」と一人納得している。


「セシリィは魔法の座学も実技も成績上位だったから、外の世界に干渉したとしても不思議ではないか」


(何だろう、物凄い勢いで納得されていく……)


 それがセシリィの実力のせいなのか魔法があるせいなのかは、よく分からない。そんなものと受け入れるにはまだ腑に落ちないが、悪霊認定されなければまずはそれで良い。


 と思ったのだが、安心するにはまだ早かったようだ。


「では、今すぐその体から出て行ってもらおう」


 ぐっと詰め寄って、クィントゥス侯爵がいきなりそう威圧してきた。


「侯爵様! それはあんまりです!」


「あなたに口を挟む権利はない」


「……!」


 腰を浮かせたファニを、侯爵が冷眼で黙らせる。一方の小夜と言えば。


「ま、そりゃそうですわな」


 怖いというよりも、父親としては当然の行動に、まず納得が来る。だがトリコはそうではなかったようだ。ばさりと小夜の肩に飛び移り、父を睨み据える。


「たとえお父様でも、この件に口を挟まれたくはありませんわ」


「トリコ」


「……セシリィ、なのか」


 いまだ半信半疑という風に、侯爵が名を呼ぶ。それもまた、トリコの怒りの火に油を注いだ。


「娘かどうかも分からないくせに干渉しないで!」


 クェー! と怒りを撒き散らすトリコに、侯爵が眉間の皺を深めて僅かに身を引く。どうやら、ここでも折衷案が必要なようである。

 どうしたものかと思案した結果、小夜はひとまず、うやむやになっていたことを解決することにした。


「出て行くのを拒んだりはしませんよ。私も自分の体に戻れるならそれに越したことはないですし」


「小夜……」


「ただ、一つ答えてください」


 悲しげな声を上げるトリコに一瞬だけ目許を緩めてから、侯爵の栗色の瞳を見上げる。


「セシリィがセシリィに戻ったら、あなたは娘をどうするつもりですか?」


「それをどこの馬の骨とも分からぬ輩に言う必要があるか?」


「えぇ。なにせ、先程の質問の答えを、まだ聞いていませんので」


 あくまでも高圧的な態度を崩さない侯爵に、小夜もまた会社用のごり押し笑顔でやり返す。小夜は基本的に平和主義者で争いは好まないが、売られた喧嘩は買うにやぶさかでない。


「子供の将来を決めるのは親の義務だ。余所者が口を挟むものではない」


「じゃあ、セシリィが鳥のままだったら、どうするんですか?」


「あり得ない。余計な世話だ」


「余計なお世話をしたくなるくらい、あなたがトリコの話を聞いてないって、何回言えば分かるんですか」


「それこそ余計だ」


「そんなだから、娘に逃げられるんですよ!」


 冷静に冷静に、という思考は、そこが限界であった。どちらも歩み寄らないから、何度繰り返しても平行線になる。怒りで体が震えていた。


「居場所がなくなって、別の何かになってでも逃げ出したいと思う娘の気持ちが、まだ分からないんですか? あれがダメならこれって、自分の知っているレールだけ用意しておけば問題ないとでも思ってるんですか? 悩んで苦しんで、自分の力で足掻こうとするのは愚かですか? 金があって地位があって、跡継ぎをぼちぼち育ててれば幸せだって、本当に思ってんですか?」


「当然だ。然るべき家に嫁ぎ、然るべき跡取りを育てる。何も知らぬ子供が、一人で迷って時間を浪費して何になる。結局辿り着く先が同じなら、養育者には最短の道を示してやる義務がある」


「…………」


 自分に自信のある奴が羨ましいと思う時は、よくある。何をするにも力強く、自己肯定感があり、自分の存在価値を疑ったりしない。そう生きれたら、馬鹿みたいに小さなことに悩んだり躓いたりしないのだろうと思う。


 クィントゥス侯爵は、その典型であろうか。四十歳という年齢や経験も、彼に自信や根拠を与えているのかもしれない。そんなものは、三十歳にもなろうかというのに、小夜にはまだ全然ない。浪費と言われれば、現在進行形で絶賛浪費中である。


(それでも)


 それでも、こんなにも他者を見ていない人間になら、なれなくて結構だ。


「過保護が正義だと思うなよ、クソジジイ」


 吐き捨てる。震えは消えていた。


「……その顔で汚い言葉を使うのは許さん」


 侯爵が額に青筋を浮き上がらせて右手を小夜の眼前にかざす。

 だから小夜も迷わず、鏡合わせのように右手をその髭面に向けていた。


「地上に留まりし慈悲深き神々が一柱、風の神アネモスよ」


 誰にも聞こえない程の声で、神に祈る最初の言葉を紡ぐ。


「その恩寵を賜りし眷属の精霊よ。恵みの一滴ひとしずくをこの手に分け与えたまえ」


 ここまでが枕詞で、先にそらんじておくことも、熟達すれば省略することもできる。

 問題は、この先だ。

 目の前の一回り大きくがさついた手も、威圧するように淡い光を集めだしている。


(もう引けない)


 どちらが先に放つか。そもそもこの体は小夜の言葉に反応するのか。


(んなもん知るか)


 ここで引いたら、セシリィの邪魔をしただけになってしまう。小夜が望むのは、親子関係の崩壊でも修復でもない。元に戻ったとき、セシリィが少しでも自分らしく生きられるためなのだから。


こいねがうは剣舞の嵐、全てを切り裂け、鎌鼬レンユウの――」


 詠唱が進むにつれ、台風の卵が二人の間で生まれる、と思ったまさにその時、


「はぁいそこまで」


「「!」」


 新たに上がった声と手が、唐突にそれを遮った。

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