そこはかとなく不本意
すすり上げる声が落ち着き始めた頃、小夜がまずしたのは、メラニアに声をかけることであった。
「伯母さ、ま。着替えを一着頂いてもいいですか?」
いつでも小夜に手を伸ばせる距離で背後に立っていたメラニアに、控えめに頼む。が、案の定、眉間に皺が刻まれた。
「そんなものはありません」
「では私のと交換することにします」
小夜には寮から着てきた服があるし、なんの問題もない。とっとと背中のリボンに手を伸ばすと、方々から色んな声が上がった。
「さ、小夜!?」
「せ、セシリィ様!?」
「あ、僕手伝うよー。得意だから」
トリコがクェッと飛び上がり、すっかりお役目を奪われていたエフティーアが目を剥き、レヴァンが怪我も忘れたような爽やかな笑顔で立候補した。部屋の両隅に下がった王子二人は口をポカンと開けて、一歩も二歩も出遅れている。
「じゃあ、お願いします」
普段の服ならもう慣れたものだが、今日のドレスはごてごてし過ぎて一人では難しい。レヴァンの言葉に遠慮なく甘えようとした小夜であったが、
「ならん!」
「!」
突然の大喝に飛び上がった。びっくりして背後を振り返る。
ずもももっと、クィントゥス侯爵がそそり立つ岩壁のような顔で見下ろしていた。
(おっと、やり過ぎたかな)
嫁入り前の娘が人前で脱ぎ出すと言えば、普通の父親ならこうなるであろう。ばくばく言う心臓を押さえながら、予定通り媚びを売ってみる。
「でも、お父様……」
うるうるっ、とは出来なかったが、下から見つめるのは効果があったようだ。
「……姉上。用意を」
「……相変わらず、呆れたものね」
絞り出すような声に、メラニアが大きな溜め息をついて退室する。すると今度は、残った男性陣を一瞥し。
「一時、別室にお移り頂きたく」
従わない場合は容赦しない、と目で語りながら、扉を指差す。今日一番の殺気立った眼光であった。
そうして、部屋には小夜とトリコ、そしてファニだけが残される。
メラニアが服を用意するのにそう時間がかかることもないであろうし、小夜は単刀直入に質問した。
「エヴィエニス様って、格好良い?」
「ええ、もちろん!」
「当たり前でしょう」
二つの声に同時に答えられた。見ればファニは目も顔も真っ赤にしている。トリコもきっと似たようなものであろう。
(恋する乙女とはなんと良きものであろうか)
しみじみと余韻を味わう。
「恋敵って、腹が立つし邪魔だけど、好きなものを分かっているという点では貴重な同志だよねぇ」
「そんなわけないでしょ」
つんつくと嘴でつつかれた。漫画みたいな流れには行かないらしい。のだが、もう一人はどうやら違ったようで。
「……私、セシリィ様のこと、嫌いじゃありません。最初に優しくしてくださったのは、エヴィとセシリィ様だけでしたし」
「え、そうなの?」
「…………」
思わずトリコを見る。つん、とそっぽを向かれた。
(なーんだ。優しさ発揮してるじゃん)
嬉しくなってわしゃわしゃと頭を撫でまくる。クェ! と怒られた。
仕方ないので、もう一つ気になったことを聞く。
「ファニは、どうして祭事の時に出てきたの?」
エヴィエニスたちも居ないので大丈夫かなと思ったのだが、ファニはこれにもじもじとたじろいだ。顔がますます赤くなる。
(ほんに可愛い女子やなぁ)
その様子をほのぼのと眺めていると、またトリコにつつかれた。
(トリコも可愛いよ)
「そんな文句は言っていないわよ!」
結局怒られた。和む。
などとやっているうちに、ファニがやっと答えていた。
「その……声が、聞こえたから」
「分かる!」
「違う!」
前のめりで両の拳を握り締めたら、激しく突っ込まれた。
「やっぱり、セシリィ様なら分かっていただけると思いました」
「勿論」
嬉しそうにはにかむファニに、小夜は全力で頷く。
「……そこはかとなく不本意だわ」
トリコがげっそりと呟いた。
「長く眠っていた自覚はなくて、いつの間にか息苦しさが消えていて……そうしたら、声が聞こえたんです。すごく優しくて、真摯な声で、ひたむきに平和を願っていました。とても強くて真っ直ぐな声で誰もの幸せを願うから、夢現にどんな人なのかと思って……それで次に目が覚めたら、すぐ目の前から同じ声がして」
「それが、エヴィエニス様だったの?」
「はい」
そう頷くファニは、今までで一番自信があって、幸せに溢れているように見えた。
(こんな顔になっちゃうなら、そりゃあんな場面では言えないわな)
納得である。
「……それでも、わたくしはエヴィエニス様を殺そうとしたこと、決して許さないから」
トリコが、まるで見当違いの方向を睨みながらそう吐き捨てる。
確かに、その問題がどうなるのかは、小夜も気になる。どんなにエヴィエニスとファニが想い合っていても、どうにもならない問題のようにも思える。だからと言って、ファニが望んだように再びセシリィとの婚約が復活することもまた難しいであろう。
「みんなの願いが、少しずつでも叶うといいのにね」
トリコを膝の上に抱き上げながら、そっと呟く。薄っぺらい希望だとは分かっていたけれど、願わずにはいられなかった。
メラニアが戻ってきたのは、会話が途切れてすぐであった。
聞かれてまずいことでもないので気にしないのだが、メラニアは何も言わなかった。
ファニが首の詰まった簡素なドレスに着替え終わると、やはり黙って扉に向かい、控えていた使用人に声を掛ける。厄介払いされた男性陣を呼びに行かせたのであろう。
「ファニ。ドレス片付けるよ」
彼らが戻ってくる前に、ボロボロになったドレスを片付けようかと声を掛ける。だが何故かファニは挙動不審に戸惑った後、胸に抱きしめてしまった。
「……あの、これはその、大丈夫です」
「ん?」
「その……エヴィに、貰ったものだから……」
「そっかそっか」
顔を真っ赤にして言われては、引き下がるにやぶさかでない。
「終わりましたか」
最初にクィントゥス侯爵が入室し、続いて入ってきたエフティーアがそう聞いた。小夜はファニから距離を取って、素直に頭を下げる。
「ご協力ありがとうございました」
その言葉にいくらか安堵したように、エフティーアのあとにエヴィエニス、ルキアノス、ヨルゴスと続く。最後に入室したレヴァンだけが、当たり前の顔をして椅子に座った。しかし他は誰も着席することはなく、エフティーアがしかつめらしい顔をして言葉を続けた。
「こちらでも話し合いました結果、これからすぐに馬車で寮に戻り、早急に陛下に面会願うことになりました」
縛ったままでは辛いだろうが、こればかりは致し方ない。侯爵家からも、魔法を封印する道具を貸すことになったらしい。
「大きな貸を作ったわね」
トリコが呟く。それはほぼ侯爵の思惑通りの気がして、小夜は早速先行きが不安になった。
(また、セシリィをエヴィエニス様の婚約者に戻すつもりなのかな)
トリコにとっては、一難去ってまた一難である。しかし悠長に悩んでいる時間はなかった。
「ですので、その前に一つ確認しておきたいのですが……あなたは一体何者なのですか」
それはファニに向けるには今更な質問では、とエフティーアを見やる。がっつり視線がぶつかった。
「…………はい?」




