ライフポイントが尽きそう
応接室に入り、遅くなったことを詫びていると、見計らったように料理の準備が整ったと使用人が告げていった。
全員で隣室の食堂に移動し始める中、小夜は早速伯母メラニアに引き留められた。
「セシリィ」
「は、はい!」
「その珍妙な鳥を、まさか連れていくつもりではないでしょうね?」
「えっと……」
メラニアと会話するのに「是」と答えたら死にそうなのはデフォルトなのであろうか。
などと思いながら腕に抱えたトリコに助けを求めると、おもむろに飛び立った。
「あ!」
逃げられた!
と小夜は真っ先に思ったが、止まったのはヨルゴスの肩であった。一瞬、ヨルゴスがムズッとしたのを、小夜は見逃さなかった。
「晩餐会の間は、ヨルゴス……に預けます」
普段の癖でさん付けしそうになったのを、どうにかとどまる。ヨルゴスは同席こそしないが、ドアの前に控えることは許されている。
こうして、全員の白い目を受けながら、晩餐会はスタートした。
(帰りたい……)
主催者であるクィントゥス侯爵が招待客に改めて定型の挨拶をし、対面に座ったエヴィエニスも型通りの謝意を述べる。
その横で、小夜は早くもライフポイントが尽きそうであった。
(ゲームだったら、とっとと寝て明日に回すのに……)
遠くトリコの視線を後頭部に受けながら、ちらりと視線を空の皿から周囲に移す。席順としては、侯爵の左右にメラニアと小夜。反対側はエヴィエニスの左右にファニとルキアノス、外側にレヴァンとエフティーアという並びである。
救いと言えばメラニアの顔が見えないことだが、代わりに目の前のルキアノスの視線の圧が強いので、プラマイゼロである。
だがその欝々とした気分も、食事が運ばれ出したことで幾分改善した。
前菜はとろみのある黄金色のスープから始まり、パンで作ったキューブの中に白身魚を詰めたものや、綴れ織り風にしたサラダ、小さくカットされた牛肉や、羊肉のカツレツなどもあった。
(美味いっ)
学校の食堂とは食材も香辛料も手の込みようも段違いである。
現代日本の味付けとはやはり違うが、味覚は元々セシリィのものなので、違和感などはない。
だがその能天気もその辺りが限界であった。
隣ではクィントゥス侯爵がファニの情報を少しずつ聞き出し、その向こうではメラニアがレヴァンと談笑している。時折「最近のセシリィ嬢は」などと聞こえてくると、胃が縮んで仕方がない。
「そうですか。ファニ様は既に神学も国史も十分にお学びですか」
「いえ、そんな、十分とはとても言えませんが……」
「よく頑張っていますよ。歴史については、聖泉の乙女の伝承や隣国ヒュベルとの一年戦争について、特に真剣に取り組んでいますし」
ファニが侯爵の威厳に圧されると、エヴィエニスがすかさず横からフォローする。これが繰り返される毎にエヴィエニスの緊張は高まり、さすがの小夜でも空気の悪さに気付かないわけにもいかない。
「十九年前の第二次聖泉奪還戦争ですね。あれには私も従軍しました。陛下もいらっしゃいましたね」
「閣下におかれては獅子奮迅の戦いぶりだったと聞いています」
「滅相もない。ところで、当時まだ王女であったリアナ妃殿下がその時何をしていたか、ファニ様はご存知ですか?」
「え?」
ファニが、作り笑顔を強張らせて困惑する。
第二次聖泉奪還戦争という言葉は、小夜も授業で聞いたことはある。確かエヴィエニスが生まれる前年に勃発した一年戦争で、隣国と例の聖泉がある土地を奪い合ったものだと言われている。
聖泉のある広大な森は前回の第一次戦争のときに中立地帯ということで和平が成立したが、隣国ヒュベル王国が突然国境を侵犯したことにより再び開戦。結局森も聖泉も奪還する形で終結した。
だがその時に王妃でもなかった王女が何をしていたかなど、授業で習うわけもない。それを承知の上で、王妃になるつもりがあるのなら知っていて当然という挑発が含まれているのは明らかだった。
「そ、それは……」
顔を青くしてまごつくファニに、エヴィエニスの海色の瞳がどんどん険しくなる。それを見かねたルキアノスがついに、鴨肉を食べ続けていた小夜を物言いたげに睨んできた。いい加減役目を果たせと言いたいのであろう。
(こんなおっかない会話にどうやって加われと)
しかし嘆いてもエフティーアの眼光が加わるだけなので、仕方なく口を開く。
「そ、それは私も聞いたことがないので興味があります、わ」
もぐもぐごっくんと肉を咀嚼して、ファニに代わって父の視線を受け取る。と、伯母の視線までついてきた。
「……あなたには、王妃として必要な教養も情報も心構えも全て完璧に教えて差し上げたはずですが」
「そっ、」
そうでしたね、と頷きそうになって、すぐさま机の下で脛に蹴りを受けた。ルキアノスである。
「そ、そ、それが、ド忘れしてしまって……ホホホ」
初めてホホホと笑った。頬が痛い。視線も痛い。
またハンマーが降ってきたらどうしようと思っていると、別の声が降ってきた。
「セシリィ嬢は謹慎前から色々あって、記憶がちょっと所々飛んでるようなんですよね」
唯一食事を頬張る同士であるレヴァンである。
メラニアは発言内容というよりも、レヴァンに譲る形で説明してくれた。
「リアナ妃殿下は、当時騎士団に所属し前線にいらした陛下のご無事を祈って、聖泉の水で作ったといわれる王室聖拝堂内の清水で、三日三晩絶食し、身を清めていらっしゃったそうです。あの時は真冬、妃殿下の指も足も冷たく紫になっていたそうです」
「……その結果、陛下はヒュベル王国に勝利したのですね」
淡々と語ったメラニアに、ファニが声を震わせて応える。
そこにあったのはけれど、感動や感銘というには少し硬いと、小夜は思った。
そして……、と続けた声が、か細く消える。
(怯えてる?)
だがそれは、十五歳の少女が抱くものとしては無理からぬことと言えた。王妃になるということは、いつかは自分もそのような試練に立ち向かうということだ。一歩間違えば壊死してしまうかもしれない程の覚悟を今から持てと言うのは、少々酷であろう。
しかし完全なる他人事の感想しかない小夜にとっては、
(祈るにしたって、もうちょっと精神的な話で行こうよ王妃様)
この程度であった。が、ここは自室ではない。
「この話を聞いた時、セシリィは目を輝かせて『わたくしもそうする!』と言ったものでした」
(マジか!)
侯爵越しにジトリ、と寄越された視線に、笑顔を固めて心で叫ぶ。
(何歳で聞いたらそんな感想が出るのよトリコ)
三十歳になっても小夜にそんな感想は無理である。
が、やらねばハンマーである。
「そ、そうでした、わ! 思い出したような出さないような! すす素敵ですよねぇぇ」
「…………」
視線がずっと痛い。冷や汗が止まらなかった。
この三文芝居を救ってくれたのは、まだ僅かに顔の青いファニであった。
「えぇ、とっても素敵なお話ですわ!」
いつもの柔らかな笑顔を取り戻し、胸の前で両手を合わせる。
「王妃様の陛下への強い愛を感じます。お二人が大恋愛の末にご結婚なさったというのは本当でしたのね」
「え、そうなんだ?」
「えぇ。確か、王妃様の当初の婚約者は陛下ではなかったのですよね?」
素で聞き返してしまった小夜に、ファニが何の違和感もなくにこにことエヴィエニスに同意を求める。戸惑ったのは当の本人であった。
「あ、あぁ。確か、アラヴァニ公爵家御嫡男がお相手だったと聞いてるが」
「開戦後、その方が開戦派だったことが分かって、婚約を解消なさったのよね」
「あ、奪ったんじゃないんだ?」
別の婚約者がいたと聞いて、勝手に映画の卒業を頭に描いてしまった。さすがに王家で略奪婚は無理があるか。
「でも実際には、お二人は子供の頃からお知り合いだったとか」
「それときめくやつだ!」
図らずもファニと二人きゃっきゃとはしゃぐ。見ず知らずの国王夫妻ではあったが、まさかの恋愛結婚とはテンションが上がるのも致し方ない。
「じゃあ、エヴィエニス様もファニと結婚したら、二代続けての恋愛結婚? それって」
とても素敵、と言おうとして、目の前の皿がカタッと揺れた。
「セシリィ」
「は、はい!」
メラニアが視界の端で目を吊り上げていた。カタカタッと皿が更に揺れる。
「あなた、まさか祝福するつもりなのですか」
「あ、いや、祝福っていうか……」
否定しながらも、最前の会話がすでにそれを肯定していた。とても、久しぶりの恋バナに浮かれていただけとは言えない。
「あなたは、ファニ様こそが未来の王妃に相応しいと、既に受け入れているのですか」
カタカタカタカタッ。まるで皿が何かの力に堪えるかのように暴れ続ける。ちらりと見ると、ルキアノスが無言の圧で契約履行を求めていた。
(ど、どどどどうしたらいい状況これ!?)
パニックになってぐいんっとドア前のトリコを見る。死にそうな顔で羽をバタバタさせていたが、首を振ることはなかった。ので、肚を決めた。
「う、受け入れるかどうかは、今はまだ決められません」
「…………」
「だって私もそうですけど、ファニだってまだまだこれからです。認めるとか受け入れるとか、そういう話はもう少し色んなことがしっかり固まって、全体がはっきりしてから答えを出すのでは、いけませんか?」
ファニもそうだが、セシリィもまだ十六歳である。まだまだ自分の居場所にも存在にも迷い、不安に囚われ、自分を見定める方法も分からない年だ。それを今この場で、人生の全てに寸分も狂いのない正解を出せと言っても、不可能な要求としか言えない。
だからエヴィエニスに求めたように、メラニアにもまた、考える猶予を与えるように思い直してほしいと思ったのだが。
「それはただの逃げだ」
それまで沈黙を守っていたクィントゥス侯爵が、重々しげに口を開いた。