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そういう『怖い』

 小夜がすっかり錆び付いた頭をぎーこぎーこと動かしている授業中、トリコが何をして過ごしているかは、ずっと気になっていたが。


(ちょっと分かった気がする……)


 がっくりと項垂れながら、トリコを抱き上げる。


(でもまぁ、今まできっとこんなに時間を無為に過ごしたことなんてないだろうしね)


 大目に見てあげよう。と、小夜がたまの寛大さを発揮した頃、見計らったようにエヴィエニス一行の来訪が告げられた。

 侍女たちにお礼を言ってから、ヨルゴスを伴って階下に向かう。

 階段室を出れば、玄関ホールに入ってくるところのエヴィエニスたちとかち合った。


「殿下……」


 息を呑むように呼んだのは、勿論トリコである。

 その視線の先には、ルキアノスよりも華やかに着飾ったエヴィエニスがいる。そしてその横には、まさしく可憐な華とも言うべきファニが、ぴたりと寄り添っていた。艶やかな黒髪には飾られた白い小花が房になって垂れ、よく映える。

 頬紅が若干濃いような気がするのは、元々血色が良いせいか、はたまた青白い顔色を隠すためか。


(ごめんね、後者だよね)


 しかも家に入った瞬間、因縁の相手が階段から降りてくるのである。絵面に悪意があるといっても過言ではあるまい。

 小夜はなるべく警戒されないように、平身低頭した。


「エヴィエニス様、ファニ様。本日はおいでくださり、ありがとうございます」


 日本式ではなく、きちんとトリコに習った通り、スカートの前裾を両手で軽く持ち上げて斜め45度のお辞儀。足元を見せるためと、裾が汚れないための二つの意味がある理に適った作法なので、これはすぐに覚えられた。

 のだが。


「小夜、今はダメよ!」


 頭を下げきる寸前、脇に抱えていたトリコに待ったをかけられた。

 え、なんで、と固まり、つと顔を横に向け。


(……知らない人がいる)


 エヴィエニス、ファニ、エフティーア、レヴァンと続く一行の向こうに、初めて見る女性がいた。

 年の頃は四十代半ばの、これぞ貴婦人という雰囲気を醸し出している。栗色の髪と瞳を持ち、少しだけふくよかで、その分女性なのに貫禄がある。


「セシリィ」


 ぼそりと、女性が名を呼ぶ。それは全く張り上げていないのに、広い玄関ホールによく響いた。


「は、はい」


「お客様はまだ着いたばかりでお疲れです。あなたもまだ準備が途中でしょう」


「え? いや、でも」


「いらっしゃい。わたくしが仕上げて差し上げます」


 言うや否や、女性が身を翻す。

 有無を言わさずとは、まさにこのことであった。





 女性がエヴィエニスたちに一礼して反対の扉へと向かう。それに倣って小夜も一礼して玄関ホールを抜ける。

 その間トリコが放つ空気は、まさに通夜であった。


「最悪……。始まる前から伯母様に捕まるなんて」


 クェー……と、情けない鳴き声が漏れている。


(やっぱり、あの人が)


 怖いと噂のクィントゥス侯爵実姉メラニア、らしい。

 前国王の元王太子婚約者であり、王太子亡き後は別の男性と一度結婚し、すぐに離婚。今は王都から最も近い侯爵領の屋敷で過ごしている。


「セシリィ」


 パタンとドアを閉めて数十秒後、メラニアが静かに振り向いた。

 ちなみに、ヨルゴスは監視の名目でもあるのでメラニアの許可を得て同室しているが、視線が合ったのは最初だけで、以降存在しないもののように無視している。


(さすが貴婦人)


 と思っていると、胸の中のトリコがにわかに慌てだした。


「小夜、挨拶、挨拶よ!」


 慌てるトリコに促され、腹話術人形さながらに言われるがまま台詞を繰り返す。


「ご無沙汰しております、伯母様。伯母様におかれましては、ご機嫌麗しく――」


 ドガン!


 すぐ左隣で上がった破壊音に遮られた。

 クェェー……、とトリコが消えそうな声で怯えている。


 だが頭を下げていた小夜は、何が起きたのかさっぱり分からなかった。屈んだ姿勢のまま、ちらりと音の出所を見る。


 ビロード張りの高そうな椅子の座面に、穴が開いていた。


「…………はい?」


 訳が分からなかった。が、取り敢えず血の気は引いた。


「え、え? ちょ、どういう」


 事態なのこれは、と問い質すよりも前に、ガクガクと震えていたトリコがバサバサと逃げ出した。


「わ、わたくしは少し離れて見て、」


「え!? いやいや、何でよトリコ! 一人にしないで!」


 飛び立つ寸前の鳥を両手でがっちり掴む小夜。反対側の壁際にはヨルゴスが変わらず控えているが、少しも反応していないところを見ると助けは期待ではない。放すわけがなかった。


「お、お離しなさい! 危ないでしょうっ」


「聞いてない! そういう『怖い』だなんて聞いてないぃっ!」


 二人とも本気であった。青や緑の羽がバッサバッサと部屋に散る。その羽が、


 ボッ!


「「ッ!」」


 全部燃えた。

 たんぱく質が焦げる臭いとともに、黒ずみがハラハラと床に落ちる。その光景を黙ってみていた一人と一羽は、ギュッと互いを抱きしめていた。


 そこに、声は落ちた。


「ありませんね」


「へっ?」


 間抜けな声を上げたのは、無論小夜である。

 顔をあげた先では、こちらに指先を向けたメラニアが先程と変わらぬ厳しい表情で小夜を見ていた。


(こ、怖いぞ……)


「先程、わたくしの機嫌を窺ったでしょう。あなたがそのようでは、少しも麗しくありません」


「そ、それは……」


 申し訳ありませんと言えば良いのかさえ分からず、続く言葉が口の中でぱくぱくと泳ぐ。トリコもまた絶句していた。絶対蒼褪めていてる。


「謹慎を受けたと聞いて驚いて来てみれば、今度は次々と妄言奇行の振る舞いと聞き、まさかと思っていましたが……事実だったのですね」


 キラリン、と栗色の瞳が猛禽類並みに光った気がした。トリコが再び震え出す。

 と、ヒュン、と耳元を何かが掠めた。

 濃茶色の髪が数本、はらりと胸元に落ちる。


「……はい?」


「魔法で対抗するどころか避けもせず、挙げ句は鳥などにしがみついて逃避する始末。家中、あなたが気が触れたと騒ぐのも無理からぬ話です」


「あ、あの、それは」


 ヒュヒュン、と更に髪が数本、さよならした。


「大体、その変な鳥は何ですか。どこから手に入れたか知りませんが、こんな日にまでそんな珍妙な鳥を連れ歩くなど、深窓の令嬢にあるまじき行為ですよ」


「ち、珍妙!?」


 トリコの声がひっくり返った。

 ヒュン、とまた数本の髪が生け贄に捧げられる。

 どうやら風の魔法らしいが、いつ詠唱しているのかさっぱりである。


「そもそも、その姿で既に支度が整っているとは、一体何の冗談ですか? 生花も飾らず、まるで華やかさがないではありませんか。わたくしが用意させた首飾りはどうしたのですか」


「首飾りって、あれはただの重量物」


「まるでなっていません」


 ばっさり切られた。会話も、髪も。

 まるで口を挟む余地がなかった。

 足元に散らばった無惨な髪の圧力が凄い。


(末路……これが私の末路なの!?)


 ひょぇぇっと、小夜はトリコと二人震え上がった。全て紙一重の辺り、必中を匂わせて余計に恐ろしい。

 必死にヨルゴスにちらちらと視線を送るが、彼はメラニアの手元を監視するのに忙しいようだ。


 一方恐怖の元凶は、一切表情を変えることなく話をまとめにかかった。


「今日はこれからが本番ですから、これ以上はしませんが」


「もう既に十分している気が」


「クェ!」


 思わず心の声が半分漏れたところで、久々にトリコの蹴りを食らった。一言余計ということであろう。顎を擦りながら渋々黙る。

 と、観察するようなメラニアの目にかち合った。


「……その鳥、親友だというのは本気ですか」


 何と答えれば正解なのか分からなかったが、小夜は仕方なく頷いた。


「はい。その……謹慎になって、自分がいかに人との関係を疎かにしていたか気付いたもので」


「なんか失礼な言い方ね」


 トリコの茶々は無視した。


「それでですね、思ったのですが、今日の主役は殿下とファニですし、それよりも私が目立ってしまってもいかがなものなので」


 花も首飾りも生理的にご遠慮願いたい、と続けようとして、再び猛禽の瞳が光った。


「あなたは、本日の主旨をまるで理解していないようですね」


「え、謝るんですよね?」


 溜め息をつかれそうなその言葉に、反射的に返した瞬間であった。


「小夜!」


 しまったとばかりにトリコが止めるが、勿論間に合わない。発言はメラニアの耳に届き、再び年の割に皺の少ない指が小夜を射抜く。


「……誰が」


「ッ」


「謝るですって?」


 その言葉とともに、ガンッと小夜の体の真横に何かが生えた。

 ぶわり、とドレスの裾が翻って、一拍。


「――は?」


 小夜はギョッと右を見た。巨大な木製ハンマーが床に食い込んでいた。柄を含めれば、セシリィの身長とほぼ同じである。ヨルゴスはいつの間にか遠ざかっていた。


「え、何で!?」


 どこかに掃除屋の助手でもいたのかと辺りを見回す。勿論そんな女性はどこにもいなかった。

 いるのは、相変わらず部屋の中央から一歩も動いていないメラニアだけである。


(よ、四次元ポケット?)


 そんなものがこの世界にあったら、ほぼ無敵な気がする。と思ったら、トリコが解説をくれた。


「伯母様は空間の神コーロスとの相性が最もいいのよ」


「その説明だけで何を理解しろと!?」


 最早半泣きであった。


 天上に昇った神々の中に時間の女神と空間の男神がいたという一節は覚えているが、そのどこにこの現状の解を求めろというのか。


 だがこの泣き言に応えてくれたのは、眉間に深く皺を刻んだメラニアであった。


「説明? あなたには、この時期でのこの面子に、言葉での説明が必要だと?」


 今にもゴゴゴ……ッと効果音を発しそうな勢いで、メラニアが問いかける。

 どうやら手紙に何も書いてなかったことを言っていると取られたようだが、あなたには言っていませんとは、とても言える雰囲気ではない。

 そしてこれに「是」と答えれば終わるジ・エンドの地雷であることは、さすがの小夜にも分かった。


「い、要りませんよねぇ」


 長い物に巻かれることにした。

 あとでトリコに説明してもらおうと心に決める。

 その意味を込めて腕の中の鳥をぎゅぅっと握り潰すと、


「わ、分かった、分かったから!」


 快諾を頂いた。


 そんな一人と一羽を、メラニアは睨むように見つめたあと、押し出すような溜息をついた。


「……あなたのように気位が高く、劣る者を見下し、妥協の出来ない性格で」


(凄い。真顔で扱き下ろされてる)


「魔法の力も程々に強いとなれば、嫁ぎ先など限られるでしょう。だというのに、どこの者とも分からない者に婚約者の座を奪われて、今のあなたに未来があると本気で思っているの?」


「で、でもそれは、」


「あなたがあなたとして生き残るためには、選べる未来など一つしかないのよ」


 ぴしゃりと言い捨てて、メラニアが踵を返す。

 トリコがそれを沈痛な面持ちで見送る。


 小夜の言葉は、結局一つも届かなかった。

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