相当の野暮
次こそは、と定期テスト前の一夜漬け並みに頑張って迎えた実技は、先生の都合で休講となった。
(……フィイア先生!)
掲示板を前に、ぶつけようのない悲しみにうち震える小夜であった。
「じゃあ、図書館行くか」
「え」
ルキアノスが、当然とばかりに踵を返す。理由がわからず困惑している間にも、周囲の生徒が次々と図書館へと流れ出している。
(もしかして、自習?)
やった、と喜ぶ小夜を、ルキアノスが爽やかな美声で打ちのめした。
「カポディストリアス先生の課題、まだ全然出来てないだろ?」
魔法の座学の先生である。長いので、小夜は心の中でカポじいちゃんと呼んでいる。
「……そろそろ、そのお声で言われても頑張れなくなってきた……」
「は? なんだ、また倒れそうなのか?」
項垂れる小夜の前に、ルキアノスがぐっと顔を寄せてくる。鼻が触れそうな勢いに、小夜は咄嗟に頭だけを後ろに引っ張った。そして。
ガン!
「ッ!」
掲示板に盛大に後頭部をぶつけた。頭を抱えて声もなく蹲る。
「……お前」
と、ルキアノスの呆れた声が降る。
「その奇行は、また……」
「頭突きと引き換えに伝える暗号って何ですか!?」
ほぼやけくそで顔をあげる。と、久しぶりに「っはは!」と軽やかな笑声で返された。
「冗談に決まってるだろ? ほら、立てよ」
無邪気に笑う顔がまた十七才というわりに幼く見え、小夜はどうしたものかと困ってしまう。
(アイドルって、程よく遠いからこそ愛せるのかもなぁ)
声が特上に良いのに顔まで良いのでは、三十路女でもときめかないのは嘘であろう。
さりげなく差し出された手を、見えないふりで立ち上がる。と、また破壊力のある可愛らしい声が追撃してきた。
「なんだよ、怒ったのか? 悪かった。課題手伝ってやるから」
「……そのちょっと拗ねた声、録音できるようになったらもう一回お願いします!」
簡単に屈服していた。
図書館の本は、写本以外は基本は貸出し禁止である。
印刷技術はあるようだが、装飾が凝っているものが多く、まだまだ貴重品のようだ。持ち帰りたければ代金を払って写本してもらうしかない。
小夜の目当てもまた同様である。
「しかし、動物は魔法が使えるか、とは」
隣で領地ごとの裁判記録を開きながら、ルキアノスがにやつく。
「面白いことを考えるよな」
「……発作的な発言ではないですよ」
最初の授業の苦し紛れの発言を掘り返されて、小夜はさすがに赤くなりながらセシリィの名誉のために言い訳する。
実際、小夜が魔法の授業に出るにあたっての利点などそれくらいしか思い付かない。もしあの時使えると言われていれば、その日のうちにトリコと試したことであろう。
しかし調べてみると、過去にはそういった研究もあったようだが、対象はほぼ魔獣に限られていた。
(魔獣っていっても、ドラゴンとかペガサスではないんだよなぁ)
この世界では、動植物とは創生の神々とともに自然に生まれた生き物を指す。それ以外では神々が作りたもうた神獣がいるが、彼らは神々が天上に昇る際の乗騎として、共に地上から消えてしまったとされる。
一方の魔獣とは、古い六種族の一つが興味本意で生み出した異形の生き物で、自然の生き物との掛け合わせや、摂理に反した姿を持ち、時に魔法のような力を持つ。
アニメのように高確率で狂暴だったり、主食が人肉ということはないようだが、熊や虎のように危険性が高いことには変わりない。
これもまた、夢を壊されたとまでは言わないが、総じて地味だなというのが、図鑑を見た小夜の感想であった。
「魔獣関係に進むのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
『魔獣の成り立ちと歴史』という表題の本を開きながら、小夜は曖昧に首を振る。脇にはさらに『淘汰された魔獣』『魔獣と動物の違い』『強人種はいかにして魔獣を生み出したか』などという表題が並び、そういった職業があることを教えているが、セシリィが好むかどうかは不明である。
「まだ、自分の将来をどうしたらいいのか、分からなくて」
「……それもそうか」
意味合いとしてはもう少し複雑なのだが、ルキアノスは勝手に察したように神妙な顔で頷いてくれた。
実際、セシリィは王太子の婚約者として、将来は王妃一択だった。それが現在は、流罪まがいの修練教会行きか、厄介払いの結婚である。将来という言葉は、今のセシリィには特に重い。
だが将来という点では、ルキアノスもまた小夜には想像がつかない。王弟とは何をする人なのであろうか。
「ルキアノス様は、エヴィエニス様が王位を継いだら、どうなさるおつもりですか?」
「……さぁな。前公爵の件もあるし……中央からはしばらく距離を置くだろうが……まだ考え中だ」
(前公爵?)
また初登場の人物だ。
誰か聞きたい気持ちもあったが、それよりも小夜が気になったのは、最初の間の方であった。
「やっぱり……ルキアノス様も、ファニがお好きなんですね?」
「…………」
おずおずとした問いかけに、ルキアノスが本をめくる手をぴたりと止める。
それは興味本位で聞いてよいものではないと分かっていたが、小夜は聞かずにはおれなかった。
乙女ゲームでは、ヒロインが攻略対象を選び、一人だけと接近していく。だが選んでいない他の面々も、少なからずヒロインに好意があるように振る舞う。
ゲームではそれは当然と気にもしないが、現実にそれが起これば、それはとても苦しいことだ。結ばれるのはただ一人で、エンディングでは誰もが笑顔で祝福するが、それが現実でも可能かと言えば、懐疑的にならざるを得ない。
加えて、相手は聖泉から現れた神秘の乙女として神格化されそうな勢いのファニである。
ゲームの中では、彼女を得たものが次期国王と目されていた。また平民側や教会側の攻略対象を選んでも、それなりの立場と権力がついてくる形であったはずである。
その彼女を守るということは、王族にとっても重要な意味を持つであろう。その中でルキアノスが彼女を得たいと考えるのは、つまり兄から王位を奪うに等しかった。
(ルキアノス様は、三兄弟の中では突出した才能がなくて、劣等感があるって説明だったけど)
だからこそ、ゲームではヒロインが彼を認め、慰める。
ファニがルキアノスとどんな話をしたかは分からないが、その流れがもしあったなら、答えは明白であった。
ルキアノスは、再び本をめくりながら、一度小夜を見、それからまた手元に視線を落とす。
沈黙のあとに届いた答えは、
「さぁな」
であった。
小夜は、その横顔を静かに眺めた。微かに葛藤が滲んでいるくせに押し殺したような加減が絶妙で堪らんなどというけしからん感想はおくびにも出さない。
果たして、ルキアノスは少し目尻を赤くして、口を開いた。
「……不思議な奴だなとは、思う。貴族らしくなく、だが平民というにはどうにも品がある。無邪気でものを知らないかと思えば、時折ゾッとするほど深い目をする」
それは、恋しい女性を語るには幾分硬い物言いではあった。けれどその言葉の根底にあるのは、やはり小さくない諦念に思えて。
「彼女が何かを抱えているのか、結局オレには分からず終いだったが……真面目で堅物で努力を怠らないのに抱えているものが多過ぎる兄上には、丁度いい」
結びの言葉は、今までにも幾度となく自分に言い聞かせてきたと分かるものであった。
彼は既に、自分よりも好きな相手を、そして兄を優先することを決めているのだ。それが二人のためか、国のためかは分からないけれど。
そしてそこには、決して誰にも見せなくとも、簡単には飲み下せない苦しさがあったろう。
セシリィはその苦しさを、認めたくなくて、恐ろしくて悲しくて、逃げ出した。そして、同じように二人を見ていたルキアノスは。
(祝福するって、決めたんだ)
それを今さら掘り返すのは相当の野暮と言えたが、それでも小夜は知れてよかったと思った。
(結局、いつまでも『ゲームの中の人たち』として見るのは、無理があるもんな)
さてこれからどうしたものか、と小夜は変な悩みを抱えて本に向き直る。と、ルキアノスが思い出したように、ふっと笑った。
ぴくぴくっ、と耳が勝手に反応する。再び顔をあげると、ルキアノスが意地の悪そうな顔でにやついていた。
「まぁ、その点で言えば、今のセシリィも時々予想がつかなくて面白いんだがな」
「……今の流れなら絶対誉め言葉を頂けるものと思っていたのに……!」
期待して待っていた分、悔しいんだか嬉しいんだがさっぱりであった。