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存在価値

「どうして使ってみなかったの?」


 部屋に戻って本日の報告をすると、予想通りトリコに呆れられた。

 気まずかったが、仕方なくその日に感じたことを話した。

 トリコは、黙って体を擦り寄せるだけに留めてくれた。


 それでも、侯爵家に行く日までに魔法が使えるかどうかは知っておいた方が安全だという話には変わりがない。


「とにかく、晩餐会までの十日の間に、そらで詠唱できるようになった方がいいわ。それで魔法が発動するかどうかはともかく、詠唱が相手に聞こえれば、身構えることは確実だから」


 実際、セシリィは風魔法と良相性で、その威力は軽く相手を吹き飛ばせる程だという。相手が勘違する僅かな時間でも、逃げるために使えるはずだ。だが。


「実家に帰るだけなのにねぇ」


 どこの出陣前の新兵かと思う打合せではある。


「仕方ないわ。晩餐会で、しかも王族まで出向くとなれば、父だけでなく伯母様もいらっしゃるはずだもの。最悪を想定して動かなければ」


「伯母さん? 怖い人?」


 初めての登場人物に、小夜は軽い気持ちで問い返す。だがトリコはこれに、金の瞳が半分になるほどに顔をしかめた。


「え、そんなに?」


 自分で聞いたくせに、聞きたくないと耳を塞ぐ小夜。その気持ちは斟酌されず、トリコは溜息と共に「実はね」と切り出した。


「伯母様は、実は前国王王太子の婚約者だったの」


「……ん?」


 簡単な単語しかなかったはずだが、小夜の思考は飲み込めずに立ち止まった。


 前国王の王太子なら、現国王であろう。

 なぜそんな言い回しをするのか、という疑問が小夜の顔にありありと出ていたのだろう。トリコは淡々と説明を続ける。


「前国王の王太子は当時の第一王子だったけれど、お若い頃に亡くなられているの」


 現在の国王は実は王家の血筋ではなく、王女と結婚して王位を継いだのだという。前国王には王子二人と王女がいたが、第一王子は病死し、相次いで第二王子も事故に遭った。死こそ免れたが後遺症が残り、王位は難しくなった。

 前国王には公爵である兄とその息子もいたのだが、同時期にやはり病死している。


(病死多いなぁ)


 乙女ゲームにはそんな背景は描かれていなかったので、小夜の理解力は早くも限界を迎えようとしていた。

 病死と事故死。日本の現代医療ほどに発達していないのであれば、そんなこともあるであろう。乳幼児死亡率はまだ聞いていないが、そういうことに勝手にしておく。


「じゃあ、その王太子様が死んでなかったら、未来の王妃になるはずだったってこと?」


「そう。得られるはずだった栄光の幻想に、いつまでもしがみついているのよ」


 それは、吐き捨てる、と言っていい声調であった。


 そしてその様子から、一つの推測もできる。


「もしかして、トリコがエヴィエニス様の婚約者だったのも……」


「そうよ。今はもう亡くなられているけれど、当時の当主であった祖父と、伯母様の強い意思があったと聞いているわ」


 実はセシリィには兄が二人いるらしいのだが、すぐ上の兄は、王妃が妊娠したと分かった途端、祖父に命じられて作られた子供だったとも言う。

 そのまま女児が生まれなければ、次兄は今のエフティーアの場所に押し込まれてしたはずだと、セシリィは言った。だが翌年に念願の妹が生まれたことで、兄は家に縛られることなく自由の道を突き進むと決めたそうだ。


「つまり、わたくしは生まれる前から、あの家での存在価値はそれしかなかったということよ」


 自嘲気味に、トリコがそう結ぶ。その言葉はあまりに重くて、辛そうで。


「え、そんなわけないでしょ?」


 それ以上に腹立たしくて、小夜は声を上げていた。


「生まれた家や育てたくれた親に恩返しするのは大事だけど、それと価値は同じイコールじゃないでしょ?」


 それはもしかしたら、政略結婚も血筋や貧窮のための結婚も知らない現代日本に生まれたからこその、傲慢や無知かもしれない。

 それでも、他人に決められた価値を諦念とともに受け入れるトリコの姿は、小夜には嫌だった。


 エヴィエニスを好きだというセシリィは、何よりも純粋なはずなのに。


「自分の価値は自分で作るとか、トリコならきっと出来るとか、そんな無責任な綺麗事は言えないけど。でも最初に与えられたものだけが全てってことは、やっぱりないよ」


 セシリィは侯爵家のご令嬢で、王太子の元婚約者で、学校でも成績優秀で、人一人を世界の垣根を越えて呼び寄せてしまえるくらいの魔法が使えて。


 けれどまだたったの十六歳なのだ。日本で言えばほとんどが親の庇護下にある学生で、進路に悩むのさえ遠い者も多いだろう。


 けれどセシリィは親の言葉で一生を決め、逃げたくて逃げられないから奇想天外な方法に出た。


(そんなことはしなくていいって言ったら、でも、トリコは悲しむのかな)


 誰かの価値観を変えることは、簡単ではない。

 それはもし目に見えるとしたら、繊細で危ういガラスの積み木のようかもしれないと、小夜は思う。無理に差し替えようとすれば、良くなるどころか全て崩れかねない。


 そしてトリコは、一瞬瞠目したあと、すぐに冷たく視線をふせてしまった。


「……それでも、生まれを覆すことはできないし、子供はどこまでも家の道具よ。それは、王族であろうと貧民であろうと、変わらない」


 それは小夜にというよりも、自分に言い聞かせるようで、小夜まで悲しくなってしまった。


「でも、道具だって大事に愛して使えば神様になるのに」


「……なに、それ」


 未練がましく言いすがると、怪訝な顔をされてしまった。

 日本人なら八百万と付喪神は常識と思ったが、そもそも世界が違ったのだと思い出す。

 だが言いたいことはそんなことではない。


「うーん、私の国ではそうだったんだ。だから、道具だからっていうのが、大事にされないとか、愛されないという理由にはならない」


 勿論、人間を道具と並列に語ることは根本からして無意味であるし、そもそもこの議論がトリコの中の価値観を向上させるとも思えない。


 実際、トリコは丸い金の瞳を更に真ん丸に見開いて、黙ってしまった。


(傷付けちゃったかな……)


 反対の見方をすれば、自分を道具と思い込んでいるトリコは、それだけの愛情を受けていないということになってしまう。

 けれどそれは圧倒的に違うのだ。


「だから、つまり私が言いたいのは、」


 と、小夜が話の道筋を見失いかけた時、


「お母様も、政略結婚であの家に来たのよね」


 ぽそりと、トリコが独白した。


「小夜には、お母様と話してみてほしかったわ」


 その声には懐かしむような寂しさが滲んでいて、あぁ、と小夜は気付いてしまう。


(そう言えば、お父さんの話ばっかりで、お母さんの話って聞いたことなかったな)


 きっと亡くなられているのだろう。

 小夜はトリコを膝の上に抱き上げると、いつもよりうんと優しく撫でた。


「そうだね」


 と頷く。

 あとには、穏やかな静寂が部屋に満ちた。


「小夜は、変ね」


「いやいや、私じゃなくて、お国柄だからね?」


 沈黙を破った失礼な発言に、小夜は丁重に訂正しておいた。

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