ゲーム終了? 開始?
流行りの悪役令嬢を書きたいなーと思ったので。
でもテキトーに難しいこと考えずに気楽に書きたいとも思ったので、
謎とか伏線とかまるで考えてません。
あなたは普通のOL。残業で疲れた体を引きずって家に帰り、お風呂に入っていたら、いつの間にか眠ってしまう。
《真実の愛を見付けて――》
誰かの声に目を覚ますと、あなたは光る泉の中で溺れていた。その息苦しさに、夢じゃないともがくが、どんどん水底に沈んでしまう。そんなあなたの手を取って助けてくれたのは、素敵な男性たち。
そこで目にしたのは、中世ヨーロッパ風のお城と剣と魔法の世界だった――。
この世界のことが何も分からないあなたは、記憶喪失と思われて彼らに保護される。彼らと共にもとの世界に戻る方法を探すが、それには真実の愛を見つけないといけないようで……。
あなは何故この世界に喚ばれたのか。夢の中で聞こえた声は誰か。真実の愛とは何か。
しかし彼らとともに通うことになった学園の中には、彼らを中心とした二大派閥があり、更には彼らとあなたを狙う怪しげな存在まであるようで――!?
◆
ゲームのイントロ画面を眺めながら、畑中小夜、二十八歳は滂沱の涙を流していた。
もう何度目とも分からないオープニングには、きらきらしい男性が何人も登場しては、素敵な笑顔と共に一撃必殺の口説き文句を決めて去っていく。
それは、プレイ開始して一年になる、スマートフォンにダウンロードされた唯一の乙女ゲームアプリだった。
もともと乙女ゲームにはそこまで興味はなかったのだが、偶然大好きな声優がキャラクターボイスとして参加していると知り、ゴ◯ブリほいほい並みに飛び付いたのだ。
そして今、
「尊い……」
大好きな声優が演じるキャラの全ルートとボイスをフルコンプリートした小夜は、今しがた終わったばかりのバッドエンドに年甲斐もなく泣いているところであった。
「あーっ、格好良かったー! 素敵だったー! やっぱり声がいいとトキメキ度が段違いだね! ドーパミンの蛇口が崩壊するわ」
声優本人でないとは十分承知しながら、掌サイズの通信機器を胸に抱いて歓声を上げる。ちなみに時間帯は深夜である。いい迷惑である自覚はある。
が、そんなことはこの平らな胸に迸る熱い感動を言語化してぶちまけたい衝動の前には、大した良識ではなかった。どうせ実家だしね。
「バッドエンドだからどうしようって思ってたけど、やっぱ聞いて良かったー! 苦しそうな声も涙声も完璧でした!」
聞くだけで、この荒んだ心に水饅頭がごとき潤いをもたらしてくれる美声。こんなものが、この世に他にあるだろうか。
「いや、ない(反語)」
片膝を床につき、両手を組み合わせて天(井)を仰ぐ。耳に残る声が神々しすぎて、光の粒子が祝福のように降り注いでいる気さえする。
「あぁー…これで明日も取り敢えず出社できるわ」
心は満たされた。次は睡眠だ。と細めていた目をかっぴらく。
と、何故か室内が真昼のように明るかった。
「あれ? 明度落としたと思ったんだけど」
違ったかな、と立ち上がり、電気のリモコンを探す。母親が怒り出す前にさっさと寝ようと電気を消し――たつもりが、視界を覆う眩しさは急激に強くなり、ついにはホワイトアウトし――
次に視力が回復してきた時、最初に見えたのは、
「……クェ」
微妙に目付きの悪い鳥だった。
鮮やかな青と緑のグラデーションに、美しいオレンジの嘴を持っている。瞳はビー玉のような金で、頭頂からは三本の長い冠羽が背中まで伸びている。
その南国チックな色合いはまず日本では見かけなさそうだが、どこかで見たような気もする。
「……え、いつの間に?」
窓開けっぱなしだったっけ、と背後を振り返る。
タペストリーがかかった石壁と本棚しかなかった。
「???」
混乱した。どうも自分の部屋には見えない。どうも目が腫れてるような気がするのだが、そのせいだろうか。
取り敢えず視線を前へと戻す。
「クェ」
仏頂面の鳥が、二度目の歓迎をした。
「してないわよ」
「!」
突然、聞いたことのない女の声がした。
しかもなぜか心の声に反論された気がする。
一体誰が、と今度は慌てて周りを見渡す。
しかし何度目を凝らしても、そこにあるのは六畳しかない狭い洋間にベッドとパソコンテーブルとタンスと本棚をぎゅうぎゅうに詰め込んだ実家の自室――ではない。
「……んんん??」
窓がないのか薄暗い室内を照らすのは、テレビかお化け屋敷でしか見ないようなアンティーク調の燭台。その仄かな光源が照らすのはやはり、本気の石壁だった。
どこにも、木目調のシートで済ませた安っぽいドアや壁紙は見当たらない。
どこだここは。
「……そして人影も見当たらない」
取り敢えず、もっとも恐ろしい事実を口に出してみる。見覚えのない場所も怖いが、誰もいないのにする声の方が何倍も怖い。
「いるでしょ、ここに」
「ぎょぇ!」
今度は明らかに反論された。鼓膜が震えすぎて、幻聴と思い込むこともできない。
果たして女の声で空気を震わせたのは、最早認めないわけにはいかない。
目の前にいるこの無愛想な鳥のようだった。
「この鳥、喋るの?」
思わず話しかけてから、
「そう言えば九官鳥も文鳥も日本語しゃべるじゃーん」
はっははー、と自分に突っ込んだ。夢だな、と解釈する。
「夢などではなくてよ」
「…………」
三度上がった反論に、そろそろ現実逃避は難しいらしいと思考を切り替える。
睨むようにじーっと見ていると、鳩よりは小さく、しかし小鳥というほどには可愛くないその鳥は、嘴を開くこともなくこう言った。
「先程から、随分と理解の遅い小娘ね」
「……三十路手前って、小娘ですかね?」
この瞬間、鳥って自由意思で喋るのとか、鳥ってそんな長生きする種あったっけとか、夢じゃないならここってどこよとか、さまざまな疑問が湧いたが、口をついて出たのはそれだった。
すると鳥は、それまでやる気なさげだった目を見開いて信じられないと言いたげに凝視してきた。
「三十? わたくしに似た背格好と声と運動能力で選んだ人間が、行き遅れの三十?」
「二回も繰り返された……」
地味に傷付く。
確かに、営業事務で一日パソコンと電話とヒューマンエラーな新人営業に向き合っていたうちに、気付けば28歳になっていたことは事実だ。
恋人ができても一年ともたず、独り暮らしをしてみたものの結局実家に戻り、最近の楽しみと言えば好きな声優の出演如何で新作アニメのチェックリストを決めるという喪女ぶり。
「あ、悲しくなってきた……」
そっと右手で視界を覆う。こんなときこそ、ザ・現実逃避。大好きな声優の慰めボイスを聞こう。と手を伸ばして、
「――ない!!」
今日一番の大声が出た。手にもパジャマのポケットにもスマホがなかったのだ。どころか、パジャマですらない。
「どどどどういうこと!?」
手に触れるのは、安売りで買ったボアの生地とはまるで違う、シルクのようにツルツルした肌触り。
頼りない燭台の明かりで自分の体を見下ろせば、そこにあるのはどこの魔女かゴスロリかと思うような、フリルとひだが何重にも重なった、いかにも手の込んだ漆黒のドレスだった。
「……趣味わる」
いつ着替えたんだっけ、と記憶を辿りながら、つい本音が漏れる。
日常でも非日常でも絶対に選ばないタイプの服装への衝撃に、思わず瞬間的な混乱がしゅうう、引いていく。
と、怒鳴られた。
「複雑で高度な魔法を行使するには、余計な情報は極力削ぎ落とした方がいいのよ!」
あんたはいちいち一言多い、とは母からの苦言だが、全くその通りだなとは思う。分かっちゃいるが、勝手にこぼれるので致し方ない。
「……なるほど」
それはつまり色味的な話だろうか。装飾とか生地の無駄遣いについては、余計な情報ではないのだろうか。とは、今度は口をつぐむくらいには冷静になれつつあった。
代わりに、鳥が発した不可解な言葉について思考を巡らせる。
「魔法って……」
(あれだよね、漫画とか小説とかに出てくる攻撃力の高いやつ。もしくは中世ヨーロッパで異端審問されて狩られたやつ)
改めて自分の周囲を見渡せば、確かに今にも悪魔でも出てきそうな複雑な図柄の円陣が、自分の周囲ぐるりを取り囲んでいる。ここで何かしらの儀式を行うつもりなのは明らかだ。が。
「えっと……本気?」
どこから突っ込んでいいのか分からず、苦笑いで返す。と、今度は蔑むような目を向けられた。
「本気か、ですって?」
鳥が、嘴を動かさない代わりに鼻で笑った気がした。
「わたくしはどんなことにもいつだって本気で、全力で取り組んできたわ。そんな質問をする輩の方が、出来ないからと言って努力もせずにすぐ諦めて、成功した者を羨んで蔑むのよ」
クェ! と、今度は吐き捨てるように嘴が開いた。
「わたくし、努力を惜しむ人間が最も嫌いだわ。特に持たざるものに限って、周りを羨むばかりで向上するための努力を怠り、文句ばかりを言う。文句を言って満足しているのなら、羨むべきではないのよ!」
それは、人間の声真似をするだけの鳥にはできない、生々しい感情の吐露だった。
そして暴論ではあるが間違ってはいない。
結婚も仕事も生活も中途半端な自覚がある小夜には、その主張はなかなか堪えるものがあった。
だが思考としてよぎったのは、
(なーんか、こんな感じの人を最近見た気がするんだけど)
誰だっけ、であった。
それを言えば、このドレスにも既視感があるようなないような。
(でもそんなわけないもんなぁ)
いまだに夢だと思っているので、いまいち危機感が湧かない。
「あなた、聞いてるの!?」
怒られた。思わず、鳥相手に居ずまいを正す。
と、今度は呆れたように盛大なため息をつかれた。器用な鳥である。
「まったく、世界を越えたというのに少しも恐慌を来さず、心配するのは低俗な自分の持ち物と服装だけ。あなた、ご自分の置かれた立場をわかってらして?」
「いや、分かるも何も、一言も説明受けてないし」
思わず、新人営業がよく口にするワースト3 「あれ、言ってませんでしたっけ?」から始まる怒濤の言い訳と注文ラッシュと謝罪を思いだし、ついいつもの切り返しが出てしまった。悲しき習性である。
いやいやそれよりも。
(今、世界を越えたって言った?)
それって日付変更線のこと? とか、あ、分かった夢と現実のってことね? という突っ込みは、先手を打たれた一言で行き場を失った。
「あなた、馬鹿なの?」
「面と向かって初めて言われた! しかも鳥に!」
初対面の相手に向かって、失礼な鳥である。しかも皮肉ではなく純粋な驚きのように聞こえたものだから、怒りよりも何だか悲しい。
だがそんな感情など鼻息に飛んでくパン粉並みになるくらい、続けられた発言は衝撃的だった。
「わたくしの体に入ってしかもこれだけ長く会話しているのに、まだ分からないの? いくら魔法との相性が悪くても、それは鈍すぎるわよ」
「…………」
「ちょっと? 何か言いなさいよ」
「…………寝てもいい?」
「会話を拒否するんじゃありません!」
おっと、察しは良かった。
しかし現実逃避第二弾も出来ないとなると、さすがに頭が混乱してくる。
「いやだって、『わたくしの体』とか『魔法適正』って、何のこと? 夢にしたって設定飲み込むのにこんなに時間かかるっておかしいでしょ。ていうかそんなに会社行くの嫌なのかな? まぁ嫌だけど。でもあんの空気読めない新人がいきなり異動になったり担当変わったりするわけないし、また明日出社したら、注文回すの忘れてましたとかって二枚も三枚も書類が机の上に出てるかと思うと今から苛立ちが!」
うがーっと爪を石床に立てていた。冷たくて痛かった。
「ちょっと突然どうしたのよ!?」
鳥が慌てたように羽をバタバタと動かす。弾みで抜けた青い羽が、石床をつかむ手の甲に落ちてきた。まだほんのりと温かかい。
「夢……じゃ、ないの?」
自分の癇癪で現実を知るというのは、ちょっとどころでなく痛々しかったが、床の冷たさも爪に響く感触も温もりも、どれもリアリティーがありすぎる。
「夢? もしかしてあなた、自分の世界ではまだ寝ていたの?」
「いや、起きてた、けど」
今度は心配されてしまった。だがそこでやっと、こんな意味不明な状況に陥る前のことを思い出す。
(そういえば、ゲームしてたら、突然電灯が故障して)
そこまで考えて、違う、と気付く。あれは電灯の明かりではなかった。視界が潰れるほどの光量など、民家にあるはずがない。
それに、『わたくしの体に入って』と鳥は言った。恐る恐る左手を見てみれば、つい昨日キャベツの千切りを手伝わされて出来た指の傷がない。
器用貧乏なくせに大雑把だからダメなのよ。と絶対誉めてはいない忠言を覚えているから、記憶違いではない。
それどころか、両手には乾燥もシミもシワも何一つなく、美しく照り輝いている。
(これ誰の手よ!?)
間違いなく自分のものではなかった。ということを、老化具合で知るのはそこはかとなく悲しくはあったが。
「え、え、え? 事情全く分かんない誰か説明ヘルプミー!」
新人営業が大型機器を二重注文してキャンセルも出来ないかもしれないと言われた時くらい、気が動転した。