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考えなしの悪女

「エレスフィを、埋める?」


 まず、フィイアが確認するようにそう繰り返した。


「あ、あり得ないだろ。あれは、信仰の基盤っていうか、依代よりしろっていうか……」


 次にイスヒスが、意外なほど神職者らしく狼狽した。


「埋める……エレスフィを……クレーネーを……」


 そしてイディオは、瞠目したままぶつぶつと一人そう呟いていた。


聖泉あれがなくなると、神職者わしらはどうなるかのぉ」


 クリストドゥル大神殿長は変わらず呑気に白髭を扱き、


くわで出来るかなっ?」


 クレオンは何故かわくわくし始めた。

 そして。


「まずは、その結論に至った思考経路を聞こうか」


 息を吐ききったルキアノスが、やはり代表してそう言った。


「は、はぁ」


 小夜は早速後悔した。

 埋めるというのは、神職者だからこそ誰も発想し得ない発想だということは理解していた。

 彼らにとって聖泉は崇める対象である。それを埋めるということは、信仰の終わりを意味する。仏教でいえばご本尊を捨てることにも等しく、つまり有り得ない。

 だがイディオにとっては、聖泉はそうではない。なくなっても、むしろなくなった方がいいのではないかと思ったのだ。


「その、精霊って自然に宿るって、よく言うじゃないですか」


「そうだな。大精霊クレーネーは聖泉エレスフィに宿っていると言われているな」


「だから、埋めちゃえばその精霊もいなくなるんじゃないかなぁと」


「却下だ」


「ですよねー」


 えへ、と誤魔化すしかない。結局却下なら聞くなよと思わないでもなかったが、致し方ない。

 無宗教者には大したことではなくても、ここは大神殿の司教館の、しかも神殿長の御前である。壁にも、よくも言ったなと言わんばかりに大精霊クレーネーの仄暗い絵画がある。

 肩身が狭すぎる。


「鍬なら隠れ家にあるぞ?」


「お前はちょっと黙ってろ」


「二本あるから一緒に」


「だ・ま・っ・て・ろ」


 却下の理由を(あるいは積極的に)取り違えたらしいクレオンを、ルキアノスが青筋を浮かべて黙らせる。その鍬でお前を埋めるぞと、鉄灰色の目が言っていた。

 あまりの空気の重さに、小夜はこのままクレオンがルキアノスの標的いけにえになってくれればいいのにと思った。

 しかしこの部屋にいるのは彼らだけではない。

 フィイアが、思慮深く小夜を見ている。イスヒスは神殿長の次の言動を待っているようだ。そして最後の一人は。


「……そうだよ。埋めればいいんだ」


 何故か勝手に小夜案を採択していた。


「凄いよ、小夜! さすがぼくの小夜だ!」


「いやっ、あのっ」


 目を大きく見開いて飛びつかれ、小夜は椅子の上で大いに動揺した。ぐりぐりと頬を寄せるイディオが思いのほか柔らかくて目と手のやり場がない。

 と慌てていると、


「っざけんなよ……!」


「イディオ」


 ルキアノスが目を血走らせて小夜の首根っこを引っ掴んだ。フィイアもまたイディオを引き剥がす。だがイディオは、フィイアに掴まれたまま恍惚とした笑みを浮かべ始めた。


「なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだ……。そうだよ、あんなもの無くしちゃえばいいんだ……!」


(……やばい)


 サーッと血の気が引いた。こんなに本気な反応をするとは、少々どころでなく予想外である。

 小夜としては、行き詰まったようだった兄弟ふたりの気を、少しでも紛らわせられればと思ったのだ。発想の転換の一助などと贅沢は言わない。箸休め程度のつもりであった。

 だがこんな目をされてしまえば、ほんの出来心です冗談なんですと言っても、最早耳に入りそうもない。もしここでイディオが鍬を持って走り出してしまえば、それは全面的に小夜のせいである。

 精霊が消え、信仰が消え、神殿が消えようものなら、歴史に名を残すことはほぼ確実である。史上最低最悪の、考えなしの悪女として。


(やばい!!)


 焦った。世界的宗教だって消える時は消えるし、分派なら言わずもがなである。

 そうなったら、悪役令嬢どころの騒ぎではない。ただの悪役である。というか悪でしかない。

 小夜はこの事態を回避するために全ての考えをぶちまけた。


「っぃいやいや違う違うって! それは良くないよっていうかそもそも私も最初から埋めちゃえなんて思ってないよ!? それは最終案というか! まだ他に出来ることがあるっていうか!」


 涙目になってルキアノスを見る。睨まれた。


「いやもう最初はさ! やっぱり話し合いだよねって思ったのよ! でもイディオが何度話しかけても精霊さんは応えてくれないって言ってたし! 私なんかが精霊さんと話せるなんてちょっと非現実的かなっていうか!」


 涙目になってフィイアを見る。難しい顔をされた。


「いやでも何事もやってみなきゃ始まらないよね!? っていうことでまずは話し合いに行こうよ! 訂正に、訂正しに行こう! 『手前らが死ぬまで』死なないとか言ったけど、そこに精霊さんは入ってないのよーっていうか!」


「…………聞いたの?」


 そうだそうしようをずっと繰り返していたイディオが、不意に反応した。緑眼が、ぱちくりと小夜を見る。

 小夜はしめたとばかりにイディオに語りかけた。

 ここで思い留まらせなければ、小夜の末路は暗黒である。


「ほ、ほら。この前、イディオが言ったでしょ? 声を聞いたんじゃないかって。それで、そう言えば聞いたかなぁと思ったの。それで、夢を見たことも思い出したの」


「夢?」


「そう。女の子の夢。逃げて、男の子に出会って、泉に落ちて……恋をした女の子の夢」


「……違う」


「え、うそ!? 好きな男の子の夢に協力して、でも一緒にいられないから身を引いたっていうような、そんな話じゃなかったっけっ?」


「ぼくが知ってるのは、復讐に駆られて、目的を見失って、戻る場所も失って、子供を生贄にしたような、最低の女だ」


「なんか、全然違う……」


 終わった、と思った。

 思い出した時にはついに主人公補正きたと思ったのに、やっと掴んだと思った糸口がまさかの無関係な夢だったなどとは。体が真っ白になって風に散っていく気分である。

 だというのに、ここに傷口に塩を塗り込む者がいた。ルキアノスである。


「それで、何を『訂正』するんだ?」


 小夜の奇行は見慣れたものなのか、一切の動揺なく自分の気になる点だけを聞いてきた。


(ルキアノス様って、もしかしてただの知りたがり?)


 今までの態度はただの探究気質かもしれないという恐ろしい仮説が浮かびかけたが、今はこれ以上現実に打ちのめされると死んでしまうので、目の前のことだけに集中した。


「『手前ら』って、自分の前にいるひとのことを指しますよね?」


「手の前だからな」


「でも『手前ら』が死ぬまでは死にたくないって願った相手が、不死の存在だったとしたら、ほら、叶えるには不死になるしかないっていうか、矛盾が生じるっていうか」


 たとえば神社に参拝に訪れた時、誰しも「こんな世界滅んでしまえ」と一度や二度や三度や(割愛)は、願ったことがあるはずである。

 しかしその「世界」に神様自体を入れる人は、あまりいないのではないか。

 よしんば自分を救わない神など滅んでしまえ、と思ったとしても、それを神様に言いに行ったりはしない。信じていないから。

 だが聞き届ける相手は常に他人で、ゆえに解釈が完璧に一致することなどまず得ないと小夜は思っている。それが人外ともなれば尚更ではないか。


「人間なら、普通そこは願う相手――神様とか精霊さんのことは含めないじゃないですか。でも超常の存在って、常識が違うっていうか。ほら、たとえば……トリコとか」


 小夜の中では実例の一番手は新人営業であったが、ここでは誰にも通じないのでトリコに置き換えた。

 そしてそれは先程の階段の間でのやり取りのお陰か、随分説得力があったようだ。


「確かに、見えてる景色は確実に違うようだな」


「でしょう? だからその精霊さんにも、死にたくないって願った目的はもう果たしたから、もういいですって言いに行けたらいいんじゃないかなって、思った……んですけど」


 ふぅむと、ルキアノスが本格的に思案に入る。そのせいで生まれた空隙が、イディオやフィイアの訝しげな眼差しを直接的ダイレクトに小夜に届けてくる。


「その、応えてくれないなら、次善策として……ね?」


 埋めようかなーなんて、と言うとまた話をぶり返しかねないので濁したが、効果があったかは自信がない。

 何故なら、二対の緑眼が失望とも悲嘆とも言える色で小夜を凝視していたから。小夜の中の言い訳の在庫ストックは、呆気なく霧散してしまった。


「安直でしたすみません……」


 腰を135度曲げて頭を下げる。ルキアノスがまだ思案中のせいで、沈黙が痛々しかった。

 そして、やっと聞こえたのは、


「……下らない」


 イディオの、寒々しいほどの否定であった。



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