撒き餌で釣り上げた
神殿長の呼び掛けに、半数が部屋を移ることになった。
残る半数とはまず、
「俺はもう寝る。移動しすぎて疲れた」
首をコキコキと鳴らして踵を返すラコン司祭である。
(移動って、この部屋でも十歩も出てきてないんじゃ……?)
と小夜は思った。実際、彼は暗がりから出てきて以降、全く動いてはいない。
実のところラコンが言うのは、街道からディドーミ大神殿までテレイオスとクレオンを空間魔法で運んできたことを指すのだが、誰も説明はしてくれないので小夜は知らないままである。
「イスヒス、砂糖と蜂蜜を持ってこい」
「いや、俺は今から……」
「あ? 死にたいのか?」
「…………」
イスヒスの異論は、さらっとした恫喝に霧消した。イスヒスが珍しく蒼白になっていたが、ラコンは構わず歩き出した。
「あー。全く、腰に来るぜ」
ポンポンと、今度は腰を叩く。小夜の中に少しだけ、白髪のかつらと皺の仮面を被った若者かもしれないという仮説があったのだが、今ので大体消滅した。
そして他の半数と言うのが、
「クェー」
いまだトリコに未練たらたらの神職者たちである。珍しく、トリコが助けを求めるような鳴き真似をしている。
(回収しないと羽根とか全部むしられそう)
まだ手に手に羽根を持っている神職者に、丸裸になったトリコが簡単に想像できてしまった。
おいで、と言うつもりだったのだが、口をついたのは真逆のものであった。
「お貸しします」
「聖泉の乙女よ! 感謝します!」
わあっと歓声が上がる。途端に質問攻めが再開された。
乱暴に捕まえようとする者こそいなかったが、その圧は十二分に鬱陶しい。
思えば小夜が本物と祭り上げられることになったのは、トリコが原因とも言えるのだ。少しくらいの腹いせは許されるであろう。
「クェー……」
◆
場所は、白の広間へと移された。以前ファニとの面会にも使われた部屋である。
暖かな暖炉の前、大精霊クレーネーの大きな一枚画を背負うようにして神殿長が座り、その前に残る面々――小夜とルキアノスとクレオン、そしてイディオがいる。フィイアは相変わらず神殿長の横だ。
従者たち――フィオンと、フィオナとシェーファは前室で控え、イスヒスはラコンの御用を済ませるために遅れてくる。その時に、アデルとルフィアの様子も見てくると言っていた。
(大丈夫かな……あの三人だけで)
実際には数名の黒服も配置されていたから、三人きりではないかもしれない。どちらにせよ、彼らが結論を急がず、互いにとって次に続く何かが得られれば良いのだが。
しかしこの部屋にいる小夜に、室外のことを気にする時間はあまりなかった。
「『さて、何からお知りになりたいか』と仰っている」
神殿長に耳を傾けていたフィイアが、おもむろにそう言った。
一拍の間を置いて、ルキアノスが静かに挙手した。神殿長がうむと頷く。
「先程の陛下と聖下の対面ですが、随分あっさりと終わりましたね。まるで、打合せでもしていたように」
「えっ?」
第一声の随分な不穏さに、小夜は思わず声を上げていた。
国王と神殿長は対立していた首長同士のはずである。軟禁までしたというのに、裏では密かに接触があったとでもいうのだろうか。
しかし驚いたのは小夜だけだったようで、クレオンは笑顔のまま、イディオは無表情に達観した様子で黙していた。
「単刀直入にお聞きします。……仕組んだのですか」
「それには、俺がお答えしましょう」
ルキアノスの鋭い眼差しに、フィイアが神殿長に伺うまでもなく返事をした。
「王弟殿下がいらっしゃる限り、不穏な企みをする貴族はいなくならないでしょう。正当な名分もなく継承権を取り上げれば、そこでもまた反感を買う。そしてこの危険と可能性は、王太子が即位した時に最大に達する」
「そうなる前に、可能性の高い連中を片端から撒き餌で釣り上げたというわけですか。オレたちに何の説明もなく、オレたち全員を巻き込んで」
続きを引き取ったルキアノスの声には、強い確信があった。もしかしたらテレイオスが登場した時点か、もしくはそれ以前のどこかで、既に勘付いていたのかもしれない。
「大神殿長様はご高齢です。お一人で神殿全体に蔓延る汚職や腐敗を一掃することは難しかった」
「さすが、神殿と国王の両方に仕えていただけはありますね、フィイア先生。ご高説、痛み入りますよ。その理念は確かに必要だし、崇高かもしれませんね」
フィイアの加えての説明に、ルキアノスが嫌味を交えて苦笑する。痛烈な皮肉ではあるが、ルキアノスも公務に携わって半年が経っている。正道の手段だけでは成し遂げられないこともあると理解しているのかもしれない。
と思っていたら、鉄灰色の双眸に殺意が灯った。
「ですが、小夜を利用したことは、赦し難い」
「利用?」
予想外の単語が出てきて、小夜はつい声を上げてしまった。瞬間、冷えた怒気を全身から漲らせていたルキアノスにギンッと睨まれた。
しかし覆水盆に返らず。小夜は大いにびくつきながら私見を述べた。
「あ、あの、私を本物の聖泉の乙女だと言い出したのは、イディオ、ですけど……」
とりあえず、フィイアに何かされた記憶はない。が、ルキアノスの目はそもそも余計なことを言うなと言っていた。
(こっ、こわいっ)
しかしそれで少しだけ理性を取り戻したのか、ルキアノスは語調を落として推量を続けた。
「トリコは、普段から王宮のオレの部屋にいる。不在の時は鳥籠にも入れていた。そこから解放でき、移動と召喚の魔法を行使でき、かつ神殿に誘導できる人物となると限られる」
「えっ、じゃあ、フィイア先生が私を召喚したの?」
そう言えば、小夜が召喚されたのは罠ではないかという話から始まったのだった。色々あって失念していた。
ルキアノスが、返答次第では実力行使も問わないという眼差しでフィイアを睨む。
「陛下の命令ですか」
「……その命令は受けていません」
「別の命令は受けたということですね」
「…………」
フィイアが、眠たげな目を面倒臭そうに泳がせて言葉を探す。どう答えれば一番面倒が少なく済むかと考えているのではと小夜が邪推した時、
「わしが頼んだのじゃ。実物を見てみたいとのう」
初めて聞く声がそう答えた。
「…………誰?」
ぱちくりと、発言者を探す。しかしこの部屋の中に、小夜が聞いたことのない声の主はいない。眼前の、代弁が必要な人物を除いては。
「改めてお初にお目にかかる。ここの長を任されているクリストドゥル大司教じゃ。異世界からの来訪者殿」
流暢な渋い声に合わせて、豊かな白髭が動いている。やはり間違いないらしい。
「……喋れる、んですか?」
小夜は信じられないと思いながら、そんな間抜けなことを確認していた。だが隣を盗み見れば、ルキアノスも、あのクレオンでさえ瞠目している。小夜と同じ疑問を抱いていることは間違いない。
「可不可で言えば、可じゃ」
ふおっふおっと、白髭の中でくぐもった笑い声が外に漏れる。その瞬間、このご老人もまた一筋縄ではいかないのでは、と顔が引きつった。そんな小夜に代わり、ルキアノスが更に踏み込んだ。
「では、何故フィイア先生に代弁を?」
「そうすると、わしを喋らせようとする者が減ってのぉ。何かと便利じゃて」
「もしかして、ゆっくり歩くのもわざと……?」
「陛下ともなると、呼びつけては面倒じゃろう? 性急な者にはあれが一番じゃ」
そう言えば、歩き始めた神殿長に対し、テレイオスは舌打ちして歩み寄っていた。あれはそれを知っていたからなのだろう。そしてもう一つの舌打ちも思い出した。
神殿長が現れた時、フィイアが代弁の第一声を発した時である。そしてもう一人、ラコンと呼ばれた司祭もまた悪態をついていた。
あの時に形成された三角形に、小夜はそこはかとない恐怖を感じたものだが。
(……こっわ! やっぱこわ!)
小夜は刹那に鳥肌が立って、思わず両手で擦っていた。表面上は大した会話もやり取りもしていないように見えたのに、水面下ではそれぞれに様々な思惑と駆け引きが飛び交っていたらしい。
「わしは仕事はあまりしたくないでの。他言は無用じゃ」
「…………は」
い、とルキアノスが苦り切った顔で言い切る前に、隣から大爆笑が湧き起こった。
「はーっはっはっ! なんてこった! あの陛下を手玉に取るとはおみそれしました!」
クレオンが大変愉快そうに膝をバシバシと叩いていた。実に嬉しそうで、どこがツボだったのかさっぱり分からない。
そしてその大音声の陰で、反対側に座ったイディオがぼそりと呟いた。
「いっそ言い触らして多忙と過重労働でくたばれ」
「ブラックイディオ……」
呪詛のような低音でさえ耳が喜ぶ美声だったので、小夜は思わず口の中で讃えていた。
そう言えば、イディオもいつだったか神殿長のことを狸爺と呼んでいた気がする。どうやら、彼も知っている側だったらしい。
「で、第二王子サマの不平不満は終わったの?」
「何だと?」
肘掛けに頬杖をつき、イディオが苛々と促す。ルキアノスが消化不良の怒りの矛先を遠慮なく向ける。
しかし間に挟まれた小夜はそれどころではなかった。
(ここは楽園か……!)
右から左から永遠の王子たちが美声口撃を繰り出し続けている事実に、今更ながら打ち震えていた。
(何てこと……残った椅子に座っただけだったのにイケボに挟まれていたことに今まで気付かなかったなんて! いやいや、喧嘩は良くないよ? 分かっているとも。でも喧嘩する時の低く凄んだ声ってやっぱり背筋が痺れるほど格好いいからつまりご馳走さまか!」
「面白い女子じゃのぉ」
ガバッと顔を上げたら、目の前に神殿長のご尊顔があった。
死にたくなった。