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突然一触即発

 恐らく言葉選びを間違えたせいだ、と気付いた時には、ルキアノスが一歩、階段を上っていた。

 イスヒスがフィオンを下がらせ、黒服二人とともに臨戦態勢を取る。

 その間に挟まれた一般人代表・小夜は、身の毛がよだつ思いであった。


(なっ、何で突然一触即発なの!?)


 言えって言ったじゃあん! と叫びたいのをどうにか捩じ伏せて、小夜は足らなかった言葉を補完する。


「ち、違いますっ。無理やりって言ったけど、本当はイスヒスさんじゃなくてっ」


「『イスヒス』、だな」


 ルキアノスが何かをインプットしてしまった。更に階段を一歩上がる。


「いやだから、この人じゃなくて、本当はイディオがっ」


「『イディオ』は、貴様か」


「ちがっ! それはフィ……!」


 フィオンだと言ったら今度は彼まで標的にされそうで、小夜は途中で無理やり口を噤んだ。

 こつり、とルキアノスが更に一段上がってくる。

 そういう恐怖ホラーは他所でやってくれと心底叫びたくなった、その直前。


「イディオはぼくだよ。頭に血が上ったおバカさん?」


 朗々とした中性的な声が、階段の間に響き渡った。

 全員がそちらを振り向く。軽い靴音とともに少年が現れたのは、裏階段に続く列柱の陰からであった。白地に赤と青の模様、更に金糸銀糸の刺繍が施された神服と、重そうな肩掛けの立派な衣装を引きずっている。


「イディオ様、何故……」

「神の子だ」

「神の子……あれが」

「おぉ、実に神々しい……」


 フィオンの呼びかけを端緒に、トリコに群がっていた人々が一斉に膝を折る。それは常にイディオの近くにいる者たちとは随分と違う反応で、小夜は内心驚いた。


(なんか、崇められてるみたい)


 そしてそれは、小夜の中ではいい意味ではない。

 だが今はそんなことを考えている場合でもなかった。


「……誰が、バカだと?」


 ゆうらりと、ルキアノスが今度は階下に足を向ける。室温とルキアノスの体温の差のせいだろうか、彼の背中が一瞬揺らいで見えた。


(怒気にしか見えない……っ)


 前門の虎がやっと離れていく安堵も遠く、小夜は慄いた。遠くのイディオに身振りだけで逃げろと示すが、イディオの緑眼は挑発するようにルキアノスを見ている。何故早速好戦的なのか全く分からない。


「あれ、自覚がなかった? ごめんね?」


「お前が、小夜に無理やり手を出した『イディオ』か」


「え!?」


 ルキアノスのおかしな確認に、小夜は思わず声を上げていた。

 小夜は無理やり「連れていかれた」と言いたかったのだ。「手を出した」では、まるで既成事実があるようではないか。と考えて、そう言えば誰かがそんな恐ろしい単語を最近口にしたなと思い出す。


(あぁっ、まさかのフィイア先生案!?)


 いやでもそれはもう破談が成立した後ではただの地雷、と否定したかったのに、イディオはあろうことか大変良い笑顔で肯定した。


「そう。小夜はぼくの聖泉の乙女デスピニスだからね」


「…………」


 ルキアノスの足取りが、ぴたりと止まった。ビキッとその額に青筋が浮く。どうやらそこから発する怒気はここにいる全員に目視可能になったらしく、誰も口を挟もうとはしなかった。


「……小夜は、オレのだ」


「振られたくせに?」


 にこにことイディオが蒸し返した。どうやら、ほとんどを隠れて見ていたらしい。

 イスヒスの話では、先日の取り乱した様子からも、当日は晩餐会まで監視付きで部屋に閉じ込めておくという話だったのだが。双子の従者がいないところを見ると、どうやら振り切ったらしい。南無三。


(なんて現実逃避してる場合でもない!)


「イ、イスヒスさん! 止めて……」


 ください、と後門の狼に助けを求める、それよりも遥かに速くイスヒスは二人の間に飛び込んでいた。イディオを背に隠すようにして、ルキアノスの進路に立ちふさがる。


「それ以上近付けば抜剣する」


「…………」


 腰の剣帯に手を伸ばすイスヒスを、しかしルキアノスは見えないもののように無視した。ついに階段を降りきり、イスヒスもしゅらんと剣を抜き放つ。

 その鋼の無機質な響きに、小夜はぞっと背筋が冷えた。

 ルキアノスは土魔法を得意とするが、ここは室内で、相手は剣だ。しかもルキアノスは武器を取り上げられている。

 二人の実力など皆目見当もつかないが、血を見ることだけは確実な気がして、考えるよりも先に足と声が出ていた。


「あ、あのっ」


 その腕をぐっと掴まれる。フィオンだ。黒服も両側で壁を作っている。話が終わるまで逃がすなとでも言われているのであろう。


「あなたは下がっていてください」


「でも……!」


「イスヒス殿はラコン司祭の教えを受けています。平気ですよ」


「イスヒスさんの心配なんかしてませんよ!」


 イラッとして叫んでいた。イスヒスは常識人で苦労人でいい人だが、どうでもいい。ルキアノスの前では、どうでもいいのだ。

 だがその叫び声にルキアノスが反応する前に、イディオがフッと吐息をこぼした。


「あぁ、第二王子殿下って、もしかして弱いの?」


 瞬間、ルキアノスが床を蹴った。

 体勢を低くしてイスヒスの剣の間合いの外を駆ける。回り込める、と思ったところにイスヒスが大きく踏み込んだ。長身を活かした一歩が、ルキアノスの左足を狙う。


「ルキアノス様!」


 小夜が悲鳴を上げる。それが終わるよりも速くルキアノスは後ろに跳んでいた。剣が光の筋になって追う――その先に火の玉が出現した。

 ルキアノスの魔法だと小夜が理解する間もなく、イスヒスがそれを両断する。炎が尾を引いて呆気なく霧散する、そこにルキアノスはいなかった。

 イスヒスの後ろだ。後頭部を狙って蹴りを繰り出す――その寸前。


「ちなみに、二番目に小夜を押し倒したのはその男だよ」


 イディオの声にルキアノスの体幹が僅かにぶれた。


「は!?」


 振り返りざまだったイスヒスが素っ頓狂な声を上げてルキアノスの蹴りを避け、


「殺す」


「はぁあ!?」


 ルキアノスが殺人鬼のような形相で連続蹴りをイスヒスの顔面にぶち込んだ。すんでのところで避けたが、バシュッと恐ろしい風切り音が鳴って短い髪が数本散る。

 助け船だったのかどうかさっぱり分からない。

 小夜はよく分からない涙が出そうになりながら別の方面に助けを求めた。


「フィオナさん、シェーファさんも! 止めてくださいよ!」


 ルキアノスに随従してきた二人である。打ち合わせでもしていたのか立場のせいか、ずっと無言なのだが、今ばかりはでしゃばってでも二人を止めてほしい。のだが。


「「…………」」


 無言で首を振られた。気持ちは分かる。誰だって低俗な痴話喧嘩で命を捨てたいとは思うまい。

 しかしである。原因は低俗でも危険度は最大マックスにしか見えない。

 誰か、と滲む視界を目一杯広げて探す。誰か、ルキアノスを助けてくれる人を。


「おー、やってるやってる!」


 どかどかとぞんざいな足音と、何とも間延びした声がした。

 この場の状況にも小夜の心境にもそぐわない明るさに、自然と目が引かれる。

 果たして、階段の間の前室である玄関ホールから、一人の男が歩いてくるところであった。日に焼けた顔が何故かとても楽しそうに見える。


「ク、クレオンさん? 何で、ここに……」


 それは、前回の召喚時にルキアノスの不興を買い、腹いせに辺境調査ばかりを命じられて帰ってこなくなった自由人、クレオン・クィントゥスその人であった。



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