芝居って難しい
ルキアノスは、今すぐこの鳥もどきを丸焦げにして土葬してやりたい、と思った。
(ここが神殿でさえなければ……!)
一方で、冷静なルキアノスは思った。
トリコの端的な回答に我が意を得たりとばかりに便乗してくるかと思った小夜が、意外にも呆然と自失している。濃茶色の瞳を泳がせ、両手に持ったトリコを信じられないという風に凝視し、時折ルキアノスが何か言い出すのを期待するように視線を泳がせている。
まるで、第三者にそんなことを言われて、自分でも意外なほどショックを受けているというような。
(…………ふん)
その反応の意味を追及する楽しみが出来たので、少しだけ溜飲を下げてやることにする。
今は、ここで立ち止まっている場合でもない。
ルキアノスは、無駄に振られるために来たわけではないのだ。
「理由をお聞かせ願いたい」
ルキアノスは、青筋をどうにか引っ込めて先を求めた。
「我々は、人の営みに関与することはない。だが我々は天上の秩序を守るため、小夜を監視する必要があると考える。その上での両者の血の繁殖は、この世界において妥当ではないと判断す、るっ」
「ははは繁殖!?」
最後の促音は、小夜がついにトリコを放り投げたためである。バサバサッと羽音が階段の間に広がり、座っていた神職者たちが慌てて抜け落ちた羽根を拾おうと奔走する。
しかしそんな滑稽さも、今の小夜の目には入っていなかったようだ。
「なんっ、な、ななっ、何を……は、はん……何で!?」
顔と言わず耳も首も真っ赤に染めて、盛大に目を泳がせている。単語の意味は理解しても繰り返すのが恥ずかしいのか、発語はほぼ意味を成していなかった。
「トッ、トリコ! ちょっ、」
まさに今日一番の動揺っぷりである。声が裏返っている。
だがルキアノスが真っ先に思ったのは、まるで関係のないことであった。
(あの首筋……噛みつきたい)
「こら! 帰ってき……何であんな変なこと……!」
慌てるせいでまとめた髪が数本ほどけ、後れ毛が鎖骨に流れている。頬も目尻も上気したせいで益々赤みを帯び、瞳などは大いに潤んでいる。
泣くのだろうか。思えば、小夜の泣き顔はまだ見たことがない。
(……泣かせたい)
「トリコ! いいから撤回し――ぞわっ!?」
小夜の忙しない視線が、トリコからルキアノスに向けられた。
「……今、何か考えました?」
「……聞きたいか?」
「…………」
「…………」
「け、結構です」
「……チッ」
小夜が英断を下した。聞きたいと言うなら、実践付きで教えてやるのもやぶさかでなかったのに。
などと本能に任せていたら、羽根を拾い終わった神職者の一人が欄干に落ち着いたトリコに向かっていった。
「て、天の御使い様! 何故この二人の婚約をお認めにならないのですか? 天上の秩序とは!?」
「世界が違うものの種の交換は適切ではない」
動物みたいに言うな、とルキアノスは思ったが、これはルキアノスや小夜がごねるよりも余程効果的である。
他の神職者たちも、手に手に羽根を持ちながら、欄干に留まったトリコに群がり始める。
「聖泉の乙女はやはり私たちとは住む世界が違うとおっしゃるのですか!?」
「より正確には、生まれた世界が違う」
「おお神よ! やはり地上に生まれた私たちは決して天上へと招かれることはないということか!」
「神よ! やっと私たちの前に再臨下さった聖女を、どうか奪わないでください!」
「ヒトの言う聖女とは、我々の管轄では――」
「やはり帰ってしまわれるのですね!」
ルキアノスは、大声を張り上げた。
事情はまだ完璧には把握できないが、神職者たちとの間に齟齬があることと、トリコに融通が利かないことだけは分かった。トリコには、都合のいいことだけを喋ってもらえば十分だ。
あとはこの一年、腹は立つがこっそり父を見習って意識してきた発声を使うだけだ。
「聖女も精霊も争いを望まないとは、遥か昔から言われていたこと。聖女と天の御使い様、どちらにもこの話をお認めいただけないのでしたら、俺たちは諦めるしかありませんね!」
階段の途中から階下で騒ぐ連中に語りかけるというのは、舞台装置のようで真剣味に欠けたが、今はどうでもいい。
心底残念だという風に眉根を寄せ、展開についていけずぽかんとする小夜に情熱的に腕を広げ、大袈裟なほどに力説する。
「俺たちは真なる神々と精霊の下僕! 天上のご意志に逆らうなどあってはならないのですから!」
らぁらぁらぁ……と、列柱の間にルキアノスの語尾が反響する。それくらい、騒いでいた神職者たちは静まり返っていた。
そして、誰かが言った。
「……そ、その通りだ。私たちは常に神々のお声を聞き、御心にかなうように祈りを捧げてきた。それを」
「自分たちの我欲のために異を唱えるなど……!」
「信仰を見失っていたのだ……!」
(見失ってんのは自分だろ)
とは思ったが、ルキアノスは作った顔は崩さなかった。
あとは貴族連中がどう出るかだが、とちらりと視線を動かして、ぎょっとした。
「……ぉ、おうじ……私の永遠の王子が2.5次元に降臨した……!」
小夜が、潤んだ目を皿のようにしてルキアノスを見ていた。
どうやら、何か悪い蓋でも開けてしまったらしい。
◆
小夜はアニメをもとにしたミュージカルというものは食わず嫌いで、まだ一度もしっかりと見たことがない。自分の余暇の時間の割り振りにおいて、新たな分野に割く程の余剰がまだないというのもある。
だから、煌びやかな衣装を着て、階段上で大袈裟な台詞を決め顔で叫ぶルキアノスを見て思った。
(最早歌いだすんじゃね?)
もしくは突然階段落ちをするのではないか、と。
だから待った。両手を組み合わせ、目を極限まで見開き、一音たりとも聞き逃さないように呼吸さえも最低限にして待った。
しかし不意にルキアノスが振り向いて、小夜は我慢していた心の声がついに零れてしまった。
「……ぉ、おうじ……私の永遠の王子が2.5次元に降臨した……!」
「…………」
ルキアノスが一瞬怪訝な顔をして、それからよし放っておこう、と目を逸らした。英断だと思う。
そこにやっと、各方面から置いてきぼりを喰らっていた神服でない者たちが声を上げ始めた。
「ま、待て! 何故そんな話になる!?」
「必ず婚約させるという話ではなかったのか!?」
「今ここで退いたら第二王子の無力化が……!」
慌てる者、怒る者、冷静に状況を見極めようとする者……反応はそれぞれであったが、ルキアノスが作った流れが歓迎できるものでないことは明らかであった。
(ナルシストに目覚めたわけじゃなかったんだ?)
どうせそんなところであろうとは思いつつ、小夜は肩透かしを喰らったように落ち着きを取り戻す。
さて次は彼らをこてんぱんに追い詰めるのだろうかと気を抜いて見ていると、何故かルキアノスは決め顔を崩さずに更に続けた。
「しかしどんなに懇願しようとも、聖女は天上に属す御方。早晩帰ってしまわれることは、覆しようがありません――よね?」
「へ?」
突然同意を求められた。鉄灰色の双眸が、頷けと無言で脅しにかかってくる。
そしてそれはルキアノスだけに限らず、階下からも熱視線が集まっていた。再びの沈黙に、小夜の脳がいつにない速さで回転する。
そして気付いた。
「……あ、か、帰ります! 帰りますとも! もうずっと引き留められてて困ってて……っ」
「なっ、お前……!」
芝居って難しいと思いながら、小夜はよよっとドレスの裾で顔を隠す。それまでずっと沈黙を守っていたイスヒスがたまらず声を上げたが、小夜は喋らせてなるものかと被せにかかった。
「この人です! この目付きの悪い人に、聖泉で無理やり――」
まるで通勤電車の痴漢冤罪の捏造人みたいだなと思いながら、指をさす。しかし全てを言い切る前に、永久凍土から発掘されたような冷え冷えとした声に遮られた。
「……名を聞こう」
ルキアノスが、血走った目を皿のようにしてイスヒスを見ていた。
どうやら、何か悪いスイッチでも押してしまったらしい。
帰ってきました。
阿呆たちが。