無知無関心に甘んじた罰
引き続き、主人公不在回です。
本当は一回で納めたかったのですが……。
長くなってしまって申し訳ありません。
よろしければお付き合い下さいませ。
(……不味い)
自室に籠っていたイリニスティスは、誰が淹れたとも分からないお茶を一口飲んで、元に戻した。
執事のセルジオが淹れたお茶に長年親しんできたせいか、彼以外の給仕はどれも味気なく、美味しいと感じなかった。
(ファニは、怪我をしていないだろうか)
離宮を追い出された執事も気になるが、今は今朝送り出した親愛なる従姉妹の方が心配だ。
全て話してくると言っていたが、容易なことではない。言葉選びを一つ間違えただけでも、暴動のような事態になる可能性がある。そうなった場合、学校には錬法場以外での魔法使用が出来ないようになっている分、小柄なファニには身を守る術すらない。それも承知で学校を選んだことも知ってはいるが。
「殿下。お客様がお見えです」
叩扉のあと、神殿から来た使用人の声がかかる。鬱陶しいと思いながらも応接室に向かえば、同席するつもりらしい神職者とも顔を合わせる羽目になった。
「早速、鼻の利く人間がいらっしゃったようですね」
そら見たことかと、のっぺりとした顔が笑う。いい加減食傷気味だなと、おざなりな愛想笑いで椅子に座る。そこに、使用人に案内されて客人がやってきた。
「こんにちは。お会い頂きありがとうございます」
現れたのは、もうこれ以上見たくないと思っていた神服を着た男であった。長めの金髪に、青と茶の混じった不思議な色合いの瞳。確か、もうすぐ二十八歳になるのだったか。
「ツァニス司祭」
「ご無沙汰しております」
安堵と共に呼びかければ、のほほんとした雰囲気の優男は優しく目尻を和らげた。それだけで、この男が約束通り学校でのファニを助けてくれたのだと知れる。
しかしそこに、割り込む声があった。てっきり貴族がくると思っていた神職者だ。
「ツァニス司祭? 何故貴職がこんな所に」
「お疲れ様です、ペイトン司教。そして」
怪訝な顔をする神職者に、ツァニスが丁寧にお辞儀をする。それだけで、神職者はふらりとよろめいた。
「ん……?」
「おやすみなさい」
ツァニスがにこりと顔を上げた時には、まるで三日の徹夜明けのように、神職者は床に伏して眠りこけた。
「凄い。いつ見ても不思議だ」
「いえいえ。魔法士の方には嫌われるだけです」
感心するイリニスティスに、ツァニスが苦笑しながら謙遜する。魔法を使えないイリニスティスからすればどちらも凄いのだが、ツァニスはツァニスなりに苦労してきたようだ。
「ここに来るまでも、全員眠らせてきたのかい?」
「それもありますが、先導に……」
と、ツァニスが後ろを振り向く。そこに、靴音が響いた。それだけで、イリニスティスは全てを理解した。
「……やっと帰ったね」
靴音の主が姿を見せるよりも前に、そう頬を緩めていた。
「長らくお側を離れてしまい、大変申し訳ございませんでした」
腰を直角に曲げて現れたのは、案の通り、執事のセルジオであった。半月も離れていないのに、酷く懐かしく感じる。
叱責してやろうかとも思ったが、一向に上げられない顔に、すぐにそんな気も失せてしまった。
「おいで、セルジオ」
許しを与えれば、やっといつも通り、老執事が車椅子の前に片膝をつく。数秒視線を合わせたあと、その筋張った手がそっとイリニスティスの手を取った。
「少し、お痩せになられましたか」
「あぁ。お前の茶菓子が恋しくてね」
「……では、すぐにとびきり甘いものをご用意致しましょう」
相変わらずの心配性だと、イリニスティスは嬉しく苦笑する。離宮を追い出された彼が今までどんなことをしていたかは知らないが、無茶をしなくて良かった。
屋敷内にはまだ他の神職者などもいるのたが、セルジオなら菓子を作る片手間に昏倒させるくらいは容易だし、イリニスティスの傍にはツァニスがいてくれる。問題はあるまい。
「ツァニス司祭も、ご一緒にいかがですか?」
イリニスティスは全ての問題はもう片付いた気になって、ほくほくと席を勧めた。
けれど何故かツァニスは恥ずかしそうに目を逸らして、
「えぇっと……なんだか気が引けるので、私は他の方たちを眠らせて来ます」
そそくさと部屋を後にした。
◆
かつて、小夜は言ってくれた。
ファニは何も知らなかったと。無関係どころか被害者だと。
それは驚くほどファニの心を軽くしてくれたが、部外者だからこそ言えた言葉であることもまた、十分に承知していた。
小夜はあの戦争に関わっていないどころか、この国の――この世界の人間ですらない。恨みも悲しみもない。だからあんなにもあっさり言えるのだ。
けれどここには、あの戦争に少なからず影響を受けている者がいる。それが一人でもいれば、とてもそんなことは言えないのだ。
(言わなきゃ……言うのよ……!)
爪が手の平に食い込む程に拳を握る。
ファニは確かに知らなかった。けれど知る機会は確実にあったのだ。無知無関心に甘んじた罰は、受けなければならない。
「……わ、私は、父と兄が何かをしていることにすら気付かず、止めることが出来ませんでした。それがどれ程の悲しみや憎しみを生んだのか、想像もつきません」
ラリアーが、声を上げた他の生徒たちが、ファニを食い入るように見る。憎むように、あるいは辛そうに、あるいは好奇を隠して。
「そして私は、聖泉から助けられたことで聖泉の乙女と言われ、本来受けるべき謗りや罰から、ずっと逃れてきました。けれどそれでは、私はずっと皆さんを騙すことになる。ともすれば、国中の全てを。そんなことは許されることではありません」
「許されないって、それって結局ご自分のためですか? これ以上余計な罪は背負いたくないって」
それは、ラリアーのものではなかった。軽蔑を含んだ、冷ややかな声。そして、それはあちらこちらで続いた。
「知ってて騙してたなら、もう罪ではなくて?」
「投獄されたくないからそう言っているだけかもしれませんわ」
「自己満足で謝って、自分のケジメだけをつけるために素性を明かしたということかしら?」
「もしかしたら、エヴィエニス様がそうなるように仕向けたのでは? ご結婚なさるのに、謀反人の娘では……ねぇ?」
「違う!」
くすくすと嘲笑が続く声に、ファニはたまらず反駁していた。自分はどんな風に言われようとも我慢できる。だがエヴィエニスのことは、彼の名誉に誓って正さなければならない。
「エヴィエニス様は何もご存じなかったわ! 私が本当は誰かも、聖女かどうかさえ……」
言い知れぬ悲しみが、胸に滲んでいく。彼に迷惑はかけたくなかったのに、結局こうなってしまう。折角、セシリィも頑張ってくれているというのに。
「私だって……父や兄が傷付けた全ての人に……そう言いたいわ。でも私にはそれが誰かを知る術がない。だから、私を責めたい人たちに私の前に列を作ってもらうしかないの」
「あなたの頬を打つために?」
「その通りよ。私には、一生そうしていくべき責任がある」
ラリアーの問いかけに、ファニはしっかりと顔を上げて講堂内を見る。
そこに、光が射した。
(なに……?)
否、それは高窓からの光を反射して煌めく金の髪だった。少女たちのドレスの波を掻き分け、真っ直ぐにファニが立つ舞台に向かってくる。
「その列の前に、俺も共に立つ」
「……エヴィ?」
それは、今は神殿にて婚約式に臨んでいるはずの王太子エヴィエニスであった。戸惑うファニや周囲はお構いなしに舞台に上がり、すぐ目の前からファニを見下ろす。
その頬は冬だというのにうっすら上気し、いつもは綺麗に櫛を入れている髪もぼさぼさだ。それだけで、彼がどんなに急いでここに――ファニのもとに駆け付けたのかが分かる。
「…………ッ」
分かって、堪らず泣いてしまった。
セシリィからは絶対に破談にしてやると聞いていたし、心配はしていなかったけど、間に合うとも思っていなかった。
独りで戦うのだと。彼に再び会うまでに、自分の手で決着をつけるのだと思っていたから。
「どう、して……っ」
いつも、あなたの名前を呼びたい時に現れるの。
いつも、孤独で震えている時に手を差しのべてくれるの。
いつも、光をくれるのはあなたなの。
「期待、したくないのに……!」
いつも、いつまでも、あなたの傍にいられるなんて。
「すればいい。俺が裏切るはずがない」
エヴィエニスが、自信過剰なほどに笑う。
何も分かっていないくせに。
ファニがどれ程、その言葉に力をもらうかを。
その硬い指先に刹那に触れるだけで、どれ程泣きたくなって、生きていけると思えるかを。
「……ばか……」
一歩、前に出る。縋りついてはいけない。
けれど、せめてと、服の裾に指先を伸ばす。その指を、力強く掴まれた。
「!」
「それに、つい先程、夫婦についての信念を神に誓ってきたところだ」
「え? それじゃ……」
婚約破棄できなかったのかと、ファニの涙が止まる。けれどエヴィエニスは笑顔のままで歯を光らせた。初めて会った時よりも、何倍も意地悪そうで、強かで、晴れ晴れとした笑みだった。
「勿論、俺と、お前のだ」
◆
「これで終いか?」
馬首を巡らせて、テレイオスが尋ねる。クレオンはいい加減頭に叩き込んだ名簿を精査しながら、首を横に振った。
「いえ、まだあと二家ほど」
「……チッ。多いな」
雲上人とも思えぬ舌打ちをして、テレイオスが前に向き直る。しかしクレオンも、弱味を握れるだけ握った結果、説得対象が北部のかなり広範囲に及んだことには同意するしかない。
ルキアノスたちは、既に神殿に着いている頃だろう。とっとと勝負を仕掛けると言っていたから、面白い場面は見逃してしまうかもしれない。
(残念だなあ。実に残念だ)
ここ半年で最も面白い瞬間になるだろうと期待していたのに。
「次は――」
と、テレイオスがやる気を絞り出して声を出す。その時、気配が変わった。
「……来るぞ。構えろ!」
テレイオスが得意の大音声を張り上げて注意を促す。その対象は、忽然と街道のど真ん中に現れた。
「……やはり、貴様が来たか。ラコン」
テレイオスが、かすかにひきつるような笑みを浮かべる。しかしクレオンには、そこまで警戒するほどの人物には見えなかった。
随分小柄な、しかも老人である。目付きが悪く、どう見ても不機嫌そうで、白の神服を着ていなければ年季の入った追い剥ぎと思ったかもしれない。
「永遠に無沙汰をしていたかったんですがね。爺に死出の願いだとか言われたんで、仕方ねぇ。俺が来ましたよ」
それは一応敬語の体を取っていたが、微塵も敬意を感じなかった。国王の御前だというのに、愛想笑いもなければ膝をつく気配すらない。
「一人か?」
「それで済むのに、他に余人が要ると?」
それは、傲慢というにはあまりに泰然としていた。まるで後方に伸びる騎士団を、本気で一人で相手できるとでも思っているような。
(いや……ラコン……ラコン司祭か?)
クレオンの記憶の一つに、ラコンという神職者が引っ掛かった。
その男は元々神武官で、戦で何度も戦績を上げ、国王からも直接報奨を賜るほどだったが、高い地位を嫌って決して司教への叙階を受けなかったという。
その小柄な体格からは想像もできない戦闘力を持っていたことから、当時の二つ名は小さき獣、跳ね回る破壊者、黒き特攻隊長などなど。
(むぅ。これは意外と窮地か?)
欲を出さず、とっととディドーミ大神殿に向かっておくべきだったか。しかし今しがた街道に現れたように、ラコン相手に場所はさほど意味を持たないだろう。
(俺はあんなに死にそうだったのになあ)
ラコンは全くぴんしゃんしている。不公平である。という不満は、すぐに消えた。
「では、とっとと行くぞ」
ゆうらりと、ラコンが足を踏み出す。テレイオスもまた、無言で剣を抜き放った。
次から、主人公戻ってきます。多分。




