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ここまで来た

こんな時に主人公不在回です。

構成がド下手で申し訳ありません……。

 決死の覚悟での告白に反し、講堂内の雰囲気は戸惑いが勝っているように見えた。ファニの言葉を導いてくれたラリアーでさえ、ぽかんとしている。


(……どうして……もっと非難されると思ったのに)


 困惑するファニは、分かっていなかった。二十年も前の謀反人の存在など、ほとんどの民衆が気にしないということを。

 しかも謀反人と言った対象は前国王の兄である父ハルパロス。貴族の一部では公然の秘密ではあっても、表向きには病死で処理されている。

 加えてこの場に集まったのは、ほとんどが十代半ばの淑女である。関心事の上位に、政治も歴史もお呼びではなかった。


「謀反人というと……どなたのことですの?」


「え?」


 我に返ったラリアーが、観客を代表するように疑問を投げ掛ける。そこでやっと、ファニは自分と周囲の認識の差に思い至った。


(そうだったわ……。お父様の反乱は、なかったことにされたのだったわ)


 それがテレイオスの配慮か、王家の体面を守るためかは不明だが、ともかくファニは自分の口で一から説明することになった。

 謀反人とは前国王の兄であるハルパロスと、その息子を指すこと。自分はその娘で、国王軍に追われる中、王室聖拝堂の中の聖泉へと飛び込んだこと。そこで気付けば十九年が経っていて、聖泉エレスフィから王太子エヴィエニスに助けてもらったこと。

 当時は記憶が混乱していて、聖泉の乙女デスピニスと言われても否定できなかったことも話した。


「……つまりファニ様は、二十年前に行方不明になったカティア王女殿下で?」


「聖泉に助けられて二十年の時を越えたと?」


 話を整理しようと纏めるラリアーに続き、誰かがそう声を上げる。次には歓声が講堂内に波及した。


「やはりそれは聖泉の乙女に違いないですわ!」

「聖泉の乙女は祖王ヴァシリオスと結婚したのですもの。その末裔が大精霊クレーネーについに選ばれるのは当然のことです!」

「これでエヴィエニス様の御代は益々安泰ですわね!」


 あまつさえ拍手まで聞こえてきて、ファニは何故そんな帰結になるのかと驚いた。皆が謀反という言葉を置き去りにして、好ましい単語だけを拾ってしまったように思う。

 ファニは慌てて、知っている限りの謀反の内容を叫んだ。


「ち、違います! 彼らは前王の王太子殿下を暗殺し、その玉座を奪おうと企んだのです。イリニスティス様の足の怪我もそうです! 陛下が間に合わなければ、きっと……」


 イリニスティスに当時のことを聞いても笑ってはぐらかされて、謝罪すら一度も受け入れてもらえていない。それでも色々と調べていけば、分かる。

 ヒュベル王国王城で戦っていたテレイオスがその日のうちに馬と空間魔法で王都に舞い戻ったのは、監禁されていたリアナ妃と、人質同然だったイリニスティスを助けるためだったと。

 もし彼が一つでも間違えば、イリニスティスは死に、リアナ妃は別の人間と結婚させられていたはずである。

 そして、更に重い罪がある。


「それに……二十年前の聖泉戦争もまた、彼らの我欲のために引き起こされたのです」


 ファニは、逃げ出したい気持ちを何度も磨り潰して、言った。後ろの方はまだ興奮にも似たざわめきが続いていたが、すぐ目の前に集まった者たちからは、少しずつ狼狽と困惑が滲み出していた。


「戦争って……聖泉エレスフィを取り戻した、あの?」


「あれはヒュベル王国が侵略してきたからと」


 歴史を習っている真っ最中の少女たちが、信じられないという風に顔を見合わせる。この次に広がる反応が勝負だと、ファニは更に腹に力を込める。

 だが伏兵は意外なところにいた。


「……あの戦争で、お母様は右足を潰されたわ」


 ラリアーが、どんな顔をしていいか分からないというように茜色の瞳を揺らす。けれどその奥には、確信を得たような光があった。

 お前が、母を苦しめてきたのか、と。


「いつもドレスで隠しているけれど、残った左足も、酷い火傷の痕が残ってる。お父様がいなければ、きっと死んでいたわ」


 これだ、とファニは思った。

 これが怖かったのだ。大切な者を傷付け、失った悲しみは、薄れはしても消えはしない。謀反の張本人がいない今、全ての悲しみと憎しみは残ったファニに向けられる。


「私の叔父様も、従軍して利き腕を失ったわ。父の仕事を手伝っても、いつも引け目を感じてて」


「私のお祖父様も、あの戦争で亡くなったと。お祖母様が、後を追うように亡くなったって、母が……」


 あちこちから上がるその声は、無限に続くように思われた。

 実際には彼女たちは二十歳以下ばかりで、あの戦争への憎悪はそこまでではない。国内の疲弊も市民への影響も少なかったと、本でも読んだ。

 だがそんなことは、今のファニには関係ないのだ。


(この罪を、生涯をかけて償うと誓うって……)


 そう、言おうと決めていたのに。


(声が、出ない……)


 その言葉のあまりの重さに、ファニは押し潰されてしまいそうだった。




       ◆



 ハギオン大神殿の中は、白く輝いていた。

 歴代の国王たちの寄進により何度も増改築を繰り返してきたため、どこよりも華やかで明るく、現代的なのだ。

 だが今のセシリィには、そんなものは些事であった。曲面が美しい天井も、幻想的なステンドグラスも、精巧な彫刻の数々も、輝くばかりの化粧漆喰も。

 ただ目の前の書見台に置かれた、婚約書の羊皮紙だけが全てであった。


(ついに、ここまで来たわ)


 金泥と鈴蘭の白で縁取られた婚約書には、婚約者二人の名前、立会人の名前、見届けた司教の署名、そして二人が双聖神と大精霊と乙女の名において婚約を結ぶ旨と、七年前の日付がある。

 七年前には頬を染めて見詰めていたその文字たちを、今はやっとまみえた仇敵のように睨む。

 だが憎悪を放つ度合いで言えば、すぐ隣に立つ男の方が遥かに上ではあった。神殿内が武器持ち込み禁止でなければ、この場に来るまでに十人ぐらいは血を見たかもしれない。

 今日は、婚約を改めて確認するだけの簡素な式と聞いている。手順も、今日の日付を書き加えて二人で署名をし、指輪を交換すれば完了だ。

 もしどちらかが日付も署名も拒んでも、七年前の幼い字は既に書き込まれている。これは周囲とエヴィエニスに再確認させるためだけの、形だけの儀式に過ぎない。


(形だけなんて、わたくしが最も嫌うところよ)


 思わず、笑みが漏れていた。それに目敏く気付いたエヴィエニスが、憎々しげにセシリィを睨み据えた。


「……満足か」


「えぇ。ご足労頂けて幸いでしたわ」


 既に始まっている式の中、小声で返す。勿論、完璧な笑みも添えてやった。

 こんな凍えたような碧眼を、素晴らしい南海の青と讃えていた自分の視野の狭さに、今更ながらがっかりしてしまう。


「……こんな悪女に、十年も騙されていたとはな」


「ふふ。何とでもお言いになって?」


 吐き捨てる王太子の言葉に莞爾と笑って、セシリィは再び前を向く。書見台の向こうには祭壇があり、新しい副神殿長が神識典ヴィヴロスの一節を読み終えるところであった。

 ここ数日見慣れた神服が振り向けば、次は署名だ。銀の装飾がされた羽根ペンが、セシリィに差し出される。


「では、署名を」


 それを受け取って、セシリィは笑顔のまま嘯いた。


「なにせ、お出まし頂けないと……」


 そして、羽根ペンを婚約書の自分の名前に突き立てた。

 ガッと金泥が割れ、羊皮紙を突き抜けて書見台にまで亀裂が入る。


「!」


「なっ、なにを……!?」


 突然の凶行に動揺する副神殿長は無視して、瞠目するエヴィエニスに羽根ペンを手渡す。


「またわたくしだけが、分からず屋の悪者にされてしまいかねませんもの」


「セシリィ……?」


 状況が飲み込めないエヴィエニスに、セシリィはほほっと恭しく頬に手をあてる。


「本当はもう少し悪罵を頂いて、後々のために恩と罪を売り付けておくつもりでしたが」


「……まさか」


 やっとエヴィエニスが気付いたように目を細める。その通り、セシリィは二度目の恋のため、利用できるものは全て利用するのだ。そのためならば誤解されようと罵られようと、痛くも痒くもない。


「生憎、殿下に名前を呼ばれても、もう塵芥ゴミほどもトキメキませんの」


 きっぱりと、神殿内のアーチ全てに響くように告げる。少ない列席者からも刹那の間動揺が消え、セシリィのその微笑に魅入っていた。

 そして、盛大に振られたエヴィエニスはというと。


「……見事だ!」


 弾けるように大笑した。広げた手に持った羽根ペンを、ガンッと叩き折る勢いで書見台に突き立てる。

 豪華な婚約書はざっくりと破られ、誓いも署名も何もかも読めない。

 それで終われば、単純で楽だったのだが。


「こ、これは神聖な婚約式と神殿に対する冒涜ですぞ!」


 呆然としていた副神殿長が、やっと正気に戻って職務を全うしにかかった。周囲にいた他の神職者たちもにわかに色めき立ち、セシリィたちを押さえようと動き出す。

 神殿内は武器の他魔法も禁止だが、学校のように法術があるわけではない。神殿内には幾つもの複雑な法術や法具があるためだ。

 だから、何も怖くはない。


「あら、司教様。神識典で先程仰っていたではありませんか。心にしっかりと信念を持ち、無理に思いを押さえ付けてはならないと」


「それはっ、神々が夫婦円満のために用いたお言葉で」


「成る程、円満だな。――俺とファニの夫婦と」


「わたくしとヨルゴスの夫婦にとって」


 互いに悪い顔を見合わせて、詭弁に頷く。だてに十年も幼馴染みはしていない。

 ついていけない副神殿長だけが、二の句を継げずに口をぱくぱくと動かす。

 そこに、高らかな拍手が飛び込んできた。

 

「二人の正式な婚約破棄、確かに見届けました」


「メラニア伯母様……」


 それは、急遽列席を決めたメラニアであった。ここ数日は、レオニダスと違ってセシリィに何かを言うこともなく、屋敷を不在にすることの方が多かったくらいだ。

 いつもと変わらぬ無表情だったから、何を考えているのか一向に読めなかった。それは昔も今も変わらないのだが、もしかしたらメラニアは、待っていたのかもしれない。

 セシリィが何を選ぶかを。そのために、どちらに転んでもいいように手回しをしていたのではないか。

 その証拠に、神職者以外の列席者は動き出すこともなく、苦笑ともに見守っていた。「確かに」「確かに」と口々に言いながら、ざっくばらんな拍手までくれる。

 唯一父のレオニダスだけが、不服そうに腕組みをして明確な拍手の拒否をしているようだが。


(さすが、伯母様だわ)


 やはり最初にして最強の師にはまだまだ敵わないと、セシリィは苦笑した。心の中だけで感謝を述べて、改めて隣に向き直る。


「さぁ。お行きになって」


 どこへとは言わない。今日のことは伝えてあると、アグノスから聞いている。

 エヴィエニスは、やっと碧眼に力を取り戻して頷いた。


「恩に着る」


「えぇ。盛大にお願いしますわね」



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