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前門の虎、後門の狼

 空気が凍ったと言っていいであろう。

 外は小雪がちらつく真冬で、階段の間は空間が広くて暖房が追い付かないとか、そんなことはこの際考えない。

 何故なら、二十八年の小夜の人生の中でこれ以上ないほど思考をフル回転させなけらばならない事案が、眼前に立ちはだかっているからである。

 ずばり、ルキアノスである。


(ま、間違えた……! いや間違えてはないんだけども……お顔が怖いぃっ)


 最後に見た時よりも深々と眉間に皺が刻まれ、鉄灰色の双眼は据わり、こめかみがひくひくと青筋を立てているように見える。

 もとの顔が端整な分、その迫力は二割増しであった。天候で表すなら、今にも遭難者が多発するレベルで吹雪そうな勢いである。

 後ろに黒服たちが構えていなければ、走って逃げるところである。しかし背を押してでも小夜をこの場に登場させたやり方といい、とても逃がすとは思えない。

 まさに前門の虎、後門の狼であった。


(あぁっ、なんかちょっと意味が違う気がする……!)


 反射的に出てしまった先程の返答といい、小夜は完全に混乱していた。足が勝手に後退り、とんっと止まる。

 振り返れば、いつの間にか背後に控えた護衛のイスヒスにぶつかっていた。今にも説教を始めそうな顔で小夜を見下ろしている。


(こわい。どっちもこっちも怖いぃっ)


 叫ぶにも叫べないこの状況に、小夜は最後の望みのようにトリコを胸に抱き締める。クェーと、トリコが鳥真似で文句を言った。

 そして閃いた。


「……その男は」


「ト、トリコが!」


 ぐっと生贄さながら、両手に掴まえた鳥を差し出す。


「トリコが言ったんです!」


 今の一言を、と言わなかったところは、多少の理性が残っていたと言えよう。もしそんなことを言っていれば、後戻りの出来ない悪手になっていたはずである。

 階下で椅子に座っているご老人方がざわつきだす中、ルキアノスの形のいい眉が、ぴくりと跳ね上がる。


「……ほう? あなたを見失った時は心臓が止まるかと思うくらい心配差し上げたのに、言いますね?」


 ルキアノスは、笑顔であった。こめかみがひくついていようとも、目が笑っていなくとも、表面上は笑顔であった。

 そのせいか、小夜の頭の中に存在しないはずの意訳が流れ込んできた。

 曰く。

 森で逃げろと言ったのに変な連中に捕まりやがって。この上言うにことかいてトリコに責任転嫁とは、いい度胸だな。


(や、やばい!)


「だっ、しゃっ、喋るんですよ、この子実は! それで気付けばこんな事態に!」


 一気に冷や汗が溢れた。何故そんなにも素晴らしい声色で脅しにかかるのか。嘘は言っていないはずなのに、疚しさで動悸息切れがしてくる。

 しかしルキアノスの存分に低められた美声は、とどまるところを知らなかった。


「それは初耳ですね。……他に言い訳があるなら聞きましょう?」


 意訳:よくもこの状況でそんな出まかせを言えたものだな。言えるものなら最後まで言ってみろ。


「喋ってトリコ! 私を助けるために何か喋って!」


 がっくがっくと揺さぶった。

 踊り場に、三者三様の沈黙が続く。


「…………」


「…………」


「…………」


「聞こえないが?」


「トリコォォー!?」


 冷や汗が滝に変わった。こんな大事な局面で故障かと、今度は縦に揺さぶる。

 それが功を奏したのか、やっとトリコがそのオレンジ色の嘴を押し開いた。


「……我々は発語することが可能だが、目的のない会話については要求に応じかね」


「ほらあ! これです! こいつが犯人です!」


 してやったとばかりに、更にトリコをぐいぐいと前に出す。その瞬間、どよめいたのはルキアノスではなく、周囲で怪訝な顔をしていた一同であった。


「天の御使い様だ! 本当にいらっしゃったとは!」

「なんと神々しいお姿……!」

「まさに天上が認めた真なる乙女!」


 あちこちから、状況がもたらす先入観に呆気なく引っ掛かった者たちの感嘆が上がる。小夜は忘れていた観衆の突然の参入にぎょっと目を剥いたが、目を逸らすことは出来なかった。

 目の前のお方の面相が、更に悪化したようなので。


「……ほう。トリコが……?」


「ト、トリコの語彙力がちょっとアレでして。ちょっとばかし行き違いというか勘違いが発生しただけ……なんですよ」


 怒っているのと思案しているのと半々かという雰囲気に、小夜はどこまで説明したものかと頭を捻る。

 トリコが諸事情により小夜を選んだという下りは、他の方々がいることもあり、伏せておくべき事項であろう。となるとトリコは御使いではないという説明が効果的だが、保身のために喋らせてしまったので、少々手遅れ気味でもある。

 イディオたちが本当の末裔という話も、本人たちの了承を得る前に話すのは個人情報保護の観点からもしたくない。神の子として自由のないイディオが、今以上に食い物にされるのは目に見えている。

 となると。


(あ、あれ? 話せることが、意外とない?)


 小夜は自分が意外と窮地に立っていると、遅ればせながら理解した。

 一方、思考がまとまったのか、ルキアノスが標的をトリコに移した。小夜にした衝動的なものとは違う、恭しい動作でこうべを垂れる。


「ご無沙汰しております。天の御使い様……何とお呼びすれば?」


「固有名詞は、ある一定の範囲において統一して呼ばれることに意義がある。故に我々は小夜の呼称を適用する」


「……では、トリコ。今まで喋らなかった理由をお聞かせ願いたいのですが?」


 ルキアノスが、良い笑顔でそう聞いた。しかし小夜の背筋は薄ら寒くなった。

 今まで喋れない振りをしてこちらを騙していたとはよくやってくれたな。事と次第によっちゃ、その羽毛剥いでやるぞ。

 という悪意たっぷりの意訳が聞こえたのは小夜だけらしく、トリコが淡々といつもの調子で回答する。


「我々は地上での事象に干渉しないことを基本としている。その上で干渉した場合であっても、明確な呼び掛けがない限り発言する必要はないと考える」


「それはつまり、こちらから明確な意思を持って返答を要求しなかったために喋らなかったと言うのですね?」


おおむね正しい」


 ルキアノスの要約に、トリコがしかつめらしく頷く。次には、沈黙が場を支配した。

 他方、階下ではざわつきがより一層大きく広がっていた。


「何故第二王子は天の御使い様と対等に会話をしているんだ……?」

「ルキアノス殿下は天の御使い様と接点があったのか?」

「天の御使い様は、呼びかければお返事くださると……?」

「しかし我々はもう何百年も真摯に敬虔に呼び続けていたぞ……!?」


 トリコを両手に持ったままの小夜は、ルキアノスの沈黙に言い知れぬ圧を感じながらも、今が言うべき時ではないかと焦った。

 トリコは天の御使い様ではないと。よしんばそうであっても、聖泉の乙女デスピニスとは何の関わりもない存在なのだと。


「あっ、あの! ち、違うんです。本当は、トリコはそんな立派な存在じゃないんです!」


 小夜はやっとルキアノスから目を離し、階下の老人たちへと呼びかけた。


「トリコは偶然近くを飛んでいただけで、聖泉にも関係なくて、だから私も聖女なんかじゃなくて……!」


 今ここで誰か一人でも常識的な感覚を持つ者がいれば。その者が疑念を抱き、声を上げれば、ひとまずもう一度冷静に見極め直そうという話になるのではないかと、期待して。

 しかしその言葉は、すぐ目の前の男に遮られた。


「では改めて、トリコに尋ねます」


 ルキアノスが、他は全て雑音だとでもいうように力強く問いかける。


「オレは小夜との婚姻を望む。それは許されることかと」


「え……えっ?」


 まさかの再挑戦に、小夜の理解が一拍も二拍も遅れた。しかし一度ルキアノスに視線を戻してしまえば、小夜はもう目を奪われたように他のことを考えることが出来なくなった。

 誕生会の時にも負けない煌めく服装など、関係ない。勢いと焦燥で強ばっていた一度目とは明らかに違う、熱く訴える鉄灰色の瞳。本能を容赦なく揺さぶるような、強く情熱的な声。

 その声と眼差しが向けられているのは自分ではないと分かっているのに、小夜は震えていた。

 知らず固唾をのみ、ルキアノスのようにトリコの声を待つ。

 果たして、トリコは答えた。


「それは容認しかねる」



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