ごめんなさい
「何を、」
エヴィエニスが、立ち上がった小夜に警戒心を強めてファニの前に上半身をずらす。それを無視して、小夜は驚いたままのファニに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……え?」
「今までファニには、睨んだり、脅したり、裏でこそこそ調べたり……とにかく、怖い思いばかりさせてごめんなさい」
「え、え? あの、」
「ずっと謝ろうとは思ってたんだけど、自覚が……じゃなくて、父が先に何かする前に、自分でちゃんと伝えたくて」
戸惑うファニの顔は見ないまま、小夜は続ける。
今日謝ることは、きちんとトリコと話し合っていた。
『別の世界に喚ばれて、トリコがもし私を突き放して、誰かに悪意まで向けられたら、それはすごく悲しいよ』
『わたくしは、自分のしたことにはちゃんと責任を持つわ』
『だったら、ファニの責任は誰が持つの?』
『!』
『記憶喪失は本人のせいだから、ファニが持つの?』
『それは……』
トリコが気まずげに言葉を濁す。
それは、仮説や先入観など他の要因も絡むことを無視した悪どい言い回しではあったが、トリコは言いたいことを察してくれたようだ。
そっと抱き寄せて、暖かい羽を撫でる。
『困ってる人がいて、でも助けてあげなくて、それは責められることではないと思うよ。でもさ、わざわざ傷付けなくたっていいでしょ?』
誰かを助けるのは簡単だと、言う人もいるだろう。
けれど独身で、社会人で、金銭的時間的余裕があっても、小夜は人を助けた回数なんて片手の内だ。
でもだからこそ、悪意を他人に向けるのは嫌なのだ。
『……知らないわ、そんなこと』
ふ、と顔を背けたトリコの顔は、泣きそうだった。
分かったと、素直に認めるには、まだ時間が足りないのかもしれない。けれど。
『「好きにすればいい」って、最初に言ったでしょ』
そっぽを向いたトリコを精一杯抱き締めた。
だから、小夜は謝る。でも、それは目的の半分だ。
「でも、許してほしいと思ってる訳じゃないんです。ただセシリィは、いつだって王太子のためを思って行動していただけなので。でもそれが結果的に誰かを傷付けるのはダメだって分かってて……」
セシリィはあんな性格だから、絶対に「貴方のためなの」と口にしたことはないだろう。だから折角のこの機会に、エヴィエニスにセシリィの思いが少しでも届いてほしいと思ったのだが。
「とにかく、すみませんでした!」
最後は体育会系ばりになってしまった。
久々に、上司に同行されて頭を下げていた新人営業の声を思い出す。
(そう言えばあやつも体育会系だとかで声だけはでかかったな)
少しスッキリとして頭を上げると、何故か全員がぽかんとしていた。
(あれ? おかしいな。奇行はしてないはずだけど)
なにせ自分とファニの声しか聞こえていないので。
と思ったあと、セシリィらしくないからだと思い当たる。
(ま、それもそうか)
セシリィの性格で、この謝罪はまずない。
だが後にも引けないので、適当に取り繕うことにした。
「えー……、ですので、今までの奇行は、その、謝らなきゃいけないけど謝る機会がっていう、自分の中の葛藤の現れでして」
以降はないのでご安心ください、と続けようとして、ちょっと難しいかなと思いとどまる。
その微妙な沈黙を破ったのは、エヴィエニスだった。
「つまり、謝罪はするが、反省はしていないということか」
その顔は怒りと言うよりも、複雑な困惑のように見えた。元婚約者の想定外の言動の、裏ばかり疑うのに疲れた風にも見える。
(逆効果だった、のかな)
内心でトリコに謝りながら、どうしたものかと考えあぐねる。
そんな小夜を助けてくれたのは、意外にもルキアノスだった。
「そこまで警戒しなくてもいい」
ちらりと小夜を一瞥したあと、すぐに兄に視線を戻す。
庇ってくれるのかと思って、ちょっとゲーム内の台詞のあれこれを期待したのだが、
「そもそも、セシリィはうちに来てから、手紙を外部に出してはいない。手紙はな」
ただの事実報告だった。
しかも奇行による暗号通信の件を匂わされて、小夜はさすがに赤面した。できればその仮説は誰にも言わないでいただきたい。
という祈りが通じたのかどうか。
「大丈夫だよ、エヴィ」
エヴィエニスの服の裾をちょん、と引っ張って、ファニが下からその険しい顔を覗き込んだ。安心させるように、にこりと笑う。
「それに、セシリィ様は私を殺そうとまではしなかったでしょ?」
「ファニ……」
それは、笑顔で振り返るにはあまりに物騒なものであった。
エヴィエニスが苦味のある顔に変わり、他の面々もにわかに表情を曇らせる。それは小夜の知らない所で、ファニが何度も色んな人間や組織から狙われてきたという証拠でもあった。
だが当の小夜といえば、
(そう言えば、ゲームでもそんな展開あったなぁ)
程度であった。深く考える前に、つい一言余計が発動する。
「えっと、誰に狙われて」
「それをお前に教えるわけがないだろう」
「ぅおっふ」
突然の明確な敵意に、思わず変な声が出てしまった。それもそうである。
小夜としては、誰に狙われるかでゲームの進捗具合に照らし合わせようと思っただけだったのだが、不用意な発言ではあった。
なので代わりに、全面的な親切心で提案する。
「もし良ければ、私の隣に座る?」
何を考えているか分からない人間のそばよりも、敵意のない人間の方がまだ安心だろうという意味だったのだが。
「……えっと、」
ファニは困ったように笑い、
「あり得ない」
エヴィエニスは一刀両断した。
「あ、はい」
小夜はさっさと引き下がる。
(そっか。私には私の敵意がないことは明白だけど、相手にとっては違うもんね)
致し方ない、と思いながらも、この三人の従者(違う)が同席するなら左右正面と完璧に囲める。余計なお世話だったようだ。
と一人納得していると、
「お前はオレの隣だ」
「っぐは!」
出し抜けに、隣の美声にゲームの台詞を一発食らった。
呆れているような語調ではあったが、それもまた良い。
クリティカルヒットを受けて手摺にすがりつく。
(そこに「永遠に」がついたら完璧だったのに!)
真剣に魔法で声を録音する方法を探そう、と決意を深くする小夜であった。




