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思考が停止しました

 王城に戻った国王から和議の申し入れがあったのは、五日後のことであった。

 その具体的な内容として、今までに成立した神殿に関する法案などの見直しや、司教の任命権の明確化などがあるらしいのだが、小夜にとってはそれらは全て些事であった。

 何故なら。


「婚約って……誰がですか?」


「だから、聖泉の乙女デスピニスである君が」


「誰と……?」


「だから、第二王子と」


 卒倒しそうであった。何度も聞き返したのは、ひとえに理解できなかったからに他ならない。

 そしてまだ理解できていない。


「え……え? 何で? 何でルキアノス様と婚約する話になるの?」


 訳が分からなかった。増えすぎた情報が全く繋がらなくなってきて、脳の処理が追い付いていない自覚がある。

 何より、何か恐ろしい符合のようなものを感じて、小夜は背筋が寒くなった。


『今度お前を喚ぶときは、婚約式だ。そのつもりで待っていろ』


(言われた……確かに言われたけど……!)


 来てみればそんな状況は欠片もなかったから、すっかり忘れていたのに。


「なんで突然真っ赤になってるの?」


「っ」


 頭も目もぐるぐる回っていた小夜は、突然イディオに顔を覗き込まれて、声もなく跳びすさった。


「べっ、別に……暖炉が! 暖かいので!」


 顔を手でぱたぱたと仰ぎながら、火を入れっぱなしの暖炉を指す。

 雪が降り始めてから、部屋は益々寒さを増していた。北部では冬は暖炉の火を絶やさないものだと教えられ、寒い時の薪の足し方もイスヒスに教わったほどである。

 余談だが、ソファとは別に一人掛けの椅子が複数あるのも、暖炉の前に動かして火に当たるためだとか。


「ふーん」


 イディオの窺うような視線が居心地悪い。

 小夜は事務的に事務的にと自分に言い聞かせる。


「そ、それで、何で婚約なんですか? ちょっと前まで喧嘩腰だったのに」


「和解には婚姻政策がもっとも手っ取り早いのは常套でしょ?」


 小夜の疑問に、イディオは常識のように教えてくれた。

 今回のような行き違いを今後無くしていくためにも、両者は互いを理解するため、より強くえにしを結ぶべきである。そのためにも互いの者を婚約させましょう、ということらしい。

 確かに、中世の欧州では国を跨いでの婚姻と継承戦争が常のようだった。しかしそれは、完全なる他人事である。決して自分事ではない。


「いやでも……そこでルキアノス様が出てくるのも、なんというか不自然過ぎるというか」


「そう?」


 この話題に大して興味がないのか、イディオが適当にフィオンに解説を求める。


「イリニスティス殿下が王太子となれば、エヴィエニス殿下は廃太子となり、婚姻政策にも利用価値がなくなるでしょう。そうなると、必然的に二番目の王子にお鉢が回ってくるのではないかと」


「廃太子って、それ、大丈夫なんですか?」


「大丈夫というと……」


「政略結婚が出来なくても、一生隠居する分には何の問題もないんじゃない?」


 誠実に答えようとしたフィオンに被せて、イディオが他人事よろしく切り捨てる。だが乙女ゲームのことが頭にある小夜には、何一つ答えになっていなかった。


(ゲームのメインヒーローが廃太子って)


 乙女ゲームのハッピーエンドは、エヴィエニスを選んだ場合には王太子妃になるはずである。廃太子となっても、ファニと結ばれさえすればハッピーエンドとなるのであろうか。


(いやいや、今は自分のことだって)


 この世界が乙女ゲームに酷似していても、その通りに進むわけではないことは今までの出来事が証明している。ゲームの第二章然り、知りもしないことに思い悩んでも意味はない。


「それに、これは今だけを見越した解決策じゃないしね」


「というと?」


「このまま王弟が即位して現在の諸問題が片付いたとしても、彼の継嗣が生まれる可能性は限りなく低い。そうなるとまた王太子問題が発生するわけだけど、その時に最も継承権が高い者って誰だと思う?」


「えぇっと……ルキアノス様と、弟の……アフェリス様?」


「他にも王妃の従兄弟が国外にいるけどね。でもこの問題が今すぐ発生する可能性はそれほど高くないはずなんだ」


 イリニスティスの足は怪我の後遺症によるもので、それ以外の身体的問題はない。事故や暗殺でもない限り、すぐまた次期国王について悩むということは起きにくいと言える。


「つまり、時間があるんだ。数年から、十数年ほどには」


「それが、つまり何なの?」


 イディオが説明すればするほど、聞きたいことから逸れていくような気がすると思いながら、核心を促す。


「その時、家族構成って同じだと思う?」


「そりゃ、変わってるんじゃ……」


 そう答えかけて、誰が、という疑問がふと過った。

 その時、国王テレイオスは譲位して隠居している。イリニスティスには子供がいない。エヴィエニスは継承権を持たないから、どんな状況にいても関係ない。

 そしてルキアノスは……聖女と結婚している。このまま、小夜が本物として神殿に残り、今回の婚約を受け入れたら。


「…………………………え?」


 はい、思考が停止しました。

 あるいは、窓外の雪晴れに霹靂が走っている気分とでも言おうか。

 そんな小夜の戸惑いを知ってか知らずか、イディオはこれ以上の喜劇はないとでもいうように続ける。


「もし聖女との間に王家の子供が生まれれば、これは見事な混淆こんこうだよ。現段階での他の一切の要求を捨てても、君が王子を生めば全てが手に入るんだ。そうなれば、君も晴れて王母だ」


「おーぼ」


 この世界では初出の単語に、小夜は機械のように繰り返す。頭はいまだに働かない。


「その子供はきっと歴史に名を残すよ。長年いがみ合ってきた王家と神殿とを一つにし、シェフィリーダを益々発展させた中興の祖と言われるかもしれない」


「ちゅーこー」


「そしてその裏には、やはり聖泉の乙女デスピニスがいたと記されるだろう。史上二人目の、天使に選ばれ、王子に見初められた、美しい乙女だったと」


「や、美しくはない」


 再起動が完了した。


(やべーやべー死ぬかと思った)


 停止していた間、息も止まっていたのかと思うほど息苦しくて鼓動が早い。両手はぐっしょりと冷や汗に濡れていた。体も脳も、明らかに現実を拒否している。


(そりゃそーだわ)


 聖女として生きるのも、ルキアノスと結婚するのも、何もかも唐突で非現実的に過ぎる。どんなに説明と時間を貰っても受け入れることは出来ないであろう。


(ただでさえ、ルキアノス様とここ婚約……とか!)


 前回のことで、やっと互いに好意を持っているということを確認できたばかりである。それでも、年齢差や時間の流れが違うことについて、小夜は完全に解決できたとは思っていない。

 多分、この罪悪感なようなものはずっと消えることはないと思う。


(せめて……あと五歳くらい、年の差が縮まったら……)


 ルキアノスは二十四歳、仕事にも慣れて、少年らしさはすっかり消え、今よりもっと女性とも触れあい、落ち着きが出れば。


「さっきよりも顔が真っ赤なのは何でなの?」


「もうそれはそれでやばい……っじゃなくて!」


 余計なことを考えてしまった。これ以上ルキアノスの様々な厄介スキルが上がって困るのは小夜である。逃げ場がなさすぎる。

 小夜は大人の余裕を醸して追い詰めてくるルキアノスの虚像を必死で掻き消して、どうにか本題に戻った。


「で、でもまだ弟王子もいるし」


「そんなの、適当な時期に臣籍にさせるに決まってるでしょ?」


 確かに、イリニスティスを即位させた段階で、神殿の及ぶ力の範囲は今の比ではないはずだ。不可能とは言えない。

 聞けば聞くほど嫌な現実味だけが増して、小夜はついに抗う言葉を見付けられなくなった。

 先日楽観視したほどには、どうにもなりそうもないし、誰も助けてくれそうにない。頼みの綱であったルキアノスまでが婚約者として立ちはだかるなら、小夜に出来ることなどないに等しい。


(ルキアノス様と、結婚……)


 したくないわけでは、多分ない。

 けれど、今ではない。


「結婚したくない?」


 心の声を聞き咎めたように、イディオが尋ねる。小夜は困ったように顔を上げ、湖水のような緑眼を見詰め、途方に暮れた。


「したくないというか……全然、現実味がないというか……」


 嫌ではない。けれど決して今ではないのだと、一体どう説明すれば分かってもらえるのか。

 こんな曖昧で蒙昧なこと、ルキアノスに話したとて理解してもらえるはずもない。それどころか、きっと嫌われてしまう。


「泣かないで?」


「……泣いて、は……」


「でも、泣きそうだ」


 イディオの少年らしい指先が、優しく小夜の頬に触れる。その仕種も声色も、とても十四歳とは思えないほど大人びていた。

 柔らかな指先に促されるように、おもてを上げる。聖泉と同じ色の瞳が、小夜を真っ直ぐに見詰めていた。


「この話を無効にする方法が、一つだけあるよ」


 イディオが囁く。

 こんな会話を、以前にもした覚えがあると小夜は思った。あの時は声と笑顔に無駄に色気を振り撒いて、小夜を籠絡しようという意図がぷんぷんしていた。そしてその回答は、全くろくなものではなかった。

 けれど、今は少し違っていた。小夜を慰めるだけではない意図を感じはするが、それでも、小夜のことを労っている。

 そして、こんなことを言った。


「君が、兄の子供を生むことだ」


「…………」


 どのみち子供は生むんだ、と小夜は投げやりな気分で思った。


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