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天使が舞い降りた

 ディドーミ大神殿に届いた王室からの要求はこうだ。


『神殿は聖泉の乙女デスピニスを不当に拉致監禁している。あまつさえ一人目を偽物と非難し、二人目の乙女をも拉致監禁している。これは信仰で許される範囲を越えた、明らかな犯罪行為である。これ以上我が国の少女たちが被害を被るようであれば、こちらも実力行使に出る用意がある』


 この声明文を出したのが国王代理であるエヴィエニスだと聞いて、小夜は確信した。


(つまりとっととファニ返せってことか)


 分かりやすいなぁと小夜は苦笑が漏れた。

 意訳するなら、二人いるのだからどちらかは要らないだろうと。このまま二人とも拘束するのなら、交渉など糞食らえだといったところであろう。

 不思議なのは、そこで小夜ではなくファニで既に決定している点である。


「ぼくが推薦しておいたよ」


 本日も昼食後、イディオがにこやかな笑みとともに小夜の部屋に現れた。

 フィオンから簡単に事情をかいつまんで説明を受けたあとは、厳重に部屋での待機を命じられていた小夜である。この笑顔で、大体の経過が察せられた。


「私もおうちに帰りたいんですけど」


「自宅を構える? ぼくの隣にする?」


「誰が客間の名前を自宅に変えたいと言った!?」


 神の子の隣など、今と変わらないではないか。誘惑的に言われても耳だけしか嬉しくない。


「しっかし、よく許可が下りたね」


「天使が舞い降りたんだ。これ以上ない説得力でしょ?」


「トリコめトリコめっ」


 やり場のない悲しみを右膝に叩き込んだ。本鳥は椅子の背もたれで羽繕いに忙しそうである。


「それで、この後はどうするの?」


「どうって?」


「まだ国王様はどこかに囚われたままなんでしょ?」


 一通りの茶番を経て、小夜は本題に入った。

 今回の諍いの端緒は、国王が視察の帰りに身動きが取れなくなったことにある。具体的に何があったかは知らないが、ファニの処遇について国王が応じなかったために事態は縺れたと言えるであろう。

 結局神殿は正規の手順によらずファニを手に入れたが、小夜の出現でその身柄が不要になった。国王を拘束し続ける正当な理由はないように思われるのだが。


「確かに、聖泉の乙女デスピニスを正式に迎え入れることができた以上、要らないと言えば要らないんだけど」


 ルキアノスが森で言っていたことを思い出す。世俗的な冨に固執することはないと言ったからには、神殿の資産や対立司教の処遇についてまで食い下がって要求することは矛盾が生じる。

 信仰だけが大事なら、引き時ではある。

 しかしと、目線を向けられたフィオンが首を横に振った。


「それでは、今回協力した貴族たちが納得しません。王太子位をイリニスティス殿下に譲位するのが最低条件となるのではないでしょうか?」


「集まっちゃったしねぇ」


 他人事のようにイディオが相槌を打つ。小夜の脳裏にも、昨日の練武場での光景が思い出された。

 広場にいた兵士たちが全体のどのくらいかは不明だが、王家との戦争を想定するくらいには集められているはずであろう。彼らの目的は信仰ではなく、現国王から権力を奪いとることである。


「まぁ、そのくらいのことは偽物を返す時の付帯条件にでもすれば、案外すぐに聞き入れる気もするけどね」


「常軌を逸した執着ぶりらしいですからね」


「すごい言われよう」


 エヴィエニスとファニの純愛の素晴らしさと受け取るには、少々噂の内容が気になる発言ではあった。だがファニが欲しければ王太子位を捨てろと言われれば、エヴィエニスは躊躇わずに従うようにも思えるから否定も出来ない。


「となると、食えない狸爺はもう手を回してるかな」


「神殿長様のことをそんな風に仰ってはなりません」


「誰も神殿長サマのことだなんて言ってないよ、イスヒス?」


「ぐ……」


 最早口を出す箇所が護衛ではなくお目付け役という感じであった。丸め込まれるまでの流れが板についている。

 それはともかくとして、これで決着までの流れは見えたと言える。


「でもそれじゃあ、国王様が解放されたら、戦争は起きずに終わるってこと?」


「誰もが妥協という言葉を知っていればね」


 イディオが、そんなわけはないだろうとでも言うように笑う。だが実際、王室も神殿もこの結果を受け入れれば全ては元に収まるのではないか、と小夜は思った。

 エヴィエニスは王太子ではなくなればファニと結婚できる可能性が上がるはずだし、イリニスティスには人望がある。そして神殿は、と考えて、小夜は気付いた。

 神殿は何も得ていないのではないか。小夜以外。


(となると、私は……?)


 ルキアノスは助けてくれようと動くかもしれないが、エヴィエニスやテレイオスは絶対に「どうぞ」と差し出すだろう。自信がある。

 小夜が神殿に残されれば、いずれは神の子のような奇跡を求められるのは必定。その時に、何も起きなかったら。


(いやいや起きるかーい)


 小夜が出来ることなど、トリコと話すくらいである。

 昨日振りに、血の気が引いた。

 そして小夜は、今のうちにイディオたちと認識を擦り合わせ、その良心に縋れる準備をしておかなければならないという結論に達した。

 何せ小夜は、ルキアノスに見放されれば帰る場所どころか居場所すらないのだ。

 しかも小夜の召喚には、偶発的条件も時間制限もない。魔法を使える誰かにきちんと送りだしてもらわなければ、元の世界には帰れないのだ。


(異世界でホームレスデビューは死ぬほど怖い)


 漫画や小説ならすぐに運命的な出会いやチート能力を発現するであろうが、小夜なら一日で死ねる。自信がある。


「一つ、聞きたいんだけど」


「なぁに?」


「イディオは、私のことを聖女だなんて本気で思ってたり、しない……よね?」


 間延びした声が怖い、と思いながら、恐る恐る尋ねる。どうか、そんなわけないじゃん、と笑い飛ばしてくれと願いながら。

 そしてイディオは、魅惑的な笑みを深めてこう言った。


「勿論……思っているとも」


 最後にして最大の望みが、悪魔の美声によって絶たれた瞬間であった。




       ◆




 コヴェントーの森を北上してまず現れるクレーロス城は、聖泉エレスフィの守護と、国境警備の二つの役割を交互に担ってきた。そのために比較的新しい領主城のような優美さはなく、どっしりと重々しい典型的な城砦の様相を呈していた。

 両国の会談が行われたことも、一度や二度ではない。そのため賓客をもてなす準備は十全で、多少軟禁されていようとも大した不都合は発生しないとも言えた。


「……見飽きたな」


 革張りのソファに沈みこんで、窓から同じ敷地内に建つアルゴス神殿を眺めていたテレイオスは、詰まらなそうに呟いた。

 アルゴス神殿内には国王を幽閉するのに都合のいい場所がなかったため、その日の内にテレイオスはクレーロス城に移送された。逃げることは難しくなかったが、テレイオスはそれをしなかった。

 お陰で、終日ひねもすやることがない。


「国内では最も歴史が古く、質素で敬虔な信仰を旨とする神殿の一つですけど」


「建築費と維持費と人件費の塊にしか見えん」


 突然背後から聞こえた声に、テレイオスは振り返りもせず答えた。ドアの開閉音も立てず、姿も見せず近寄れる者となると、国内でも数人しかいない。


「無職は暇でいいな」


「俺にだって、臨時教員って肩書きくらいあります」


 反論しながらも少しも覇気がない声を上げるのは、くたびれた赤髪に緑の瞳をした四十歳近い男――フィイアである。ここ二、三日見掛けなかったが、戻ってきたということは神殿で進展があったということであろう。


「だが神殿むこうでも王城こちらでも、お前は何者でもない」


「別に、それで構いませんよ」


「学校に戻りたいか?」


「……戻るのは、俺じゃありません」


 言外に約束を匂わせて、フィイアが瞳を細める。どうやら、悪い話ではなさそうだ。


「俺も、そろそろ暇に飽いたんだがな」


「陛下が一言是と言えば、すぐに死ぬほど忙しくなれますよ」


 親切な提案に、テレイオスは髪を掻き上げながらソファにふんぞり返った。久方ぶりの休暇となったが、長期と付けるにはいささか短かったようだ。


「狸爺の言を聞くのは憤死するほど癪だが、言ってみろ」


「イリニスティス殿下を王太子に据えることを内密に了承するように、と」


「ふん。内密に、な」


 予定調和のような伝言に、テレイオスは大いに詰まらないと吐き捨てる。詰まらないことはよろしくない。詰まらないものは、面白くしなければ。


(イルには、また文句を言われそうだがな)


「さて、やってやるか」


 にやりと笑う。暇に飽かせて次々と嫌いな領主の城を潰して回っていた妄想が、少しは役に立ちそうだ。


「……そんな凶悪な顔をするから、変な渾名ばっかりつけられるんですよ」


 フィイアが、面倒臭いと言いたげに呟く。文句を言ってやろうと思ったが、姿を消される方が早かった。



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