エフェクトでどうとでも出来る
小夜はこの世界に来るたびに、散々学んでいた。アニメや漫画のような格好良さや派手さを期待してはならないと。だから今回も地味だって平気なのである。
(私が地味だから世界もそれに合わせてきてるなんて、これっぽっちも思ってないやい)
白い羽根なんぞエフェクトでどうとでも出来るんだよ、と小夜は部屋でいじけながら思った。
(しかし……初めての不思議生命体との遭遇が実はもう済んでたとは)
道理で逃げないどころか動じないし物分かりが良いし花とか変なもの食べると思った。この際、何が不思議で何がそうでないかは深く考えない。
しかし掛け布団に潜り込んでも、目は冴えてしまって眠れない。小夜はそっと布団から顔を出した。
「……トリコ?」
パチパチと、暖炉の薪がはぜる音だけが満ちる暗い部屋に、そっと呼び掛ける。窓際に置きっぱなしの椅子の上に、うっすらと月明かりが射しかかっている。その背もたれを止まり木にして、青と緑のグラデーションは見えた。
「……クェー」
オレンジ色の嘴を振り返らせて、鳥が鳴く。質問をしていないからか、聞き慣れた返事をされると今日の出来事が夢だったような気がしてしまう。
「トリコは、おうちに……天上に帰りたいの?」
「我々に帰巣本能はない」
「でも今、空を見てたでしょ?」
綺麗なガラス窓に映る自分を、ひいてはその向こうの、眩しい程に輝く星空を。
小夜の知る限り、トリコは一年半前からセシリィやルキアノスの元にいる。鳥籠にいるか、室内の止まり木にいるかだと思うが、外には放っていないはずである。そんなにも家に帰っていないのは、寂しいのではないかと思ったのだが。
「我々と交信していた」
「心配して損した」
そんなにちょいちょい夢を打ち砕かなくてもいいんじゃないかと、全身で示す。トリコに元々人間的な性格が備わっていたと知って、少しだけ申し訳なくなった感傷を返してほしい。
「心配とは?」
「だから、その……セシリィや私がその体に入っていた時、トリコの魂はどこにいたのかなとか。実はすごく……嫌だったんじゃないかなと」
イディオが肉体と魂に齟齬があると言った通り、一つの肉体には一つの正しい魂が入るのが道理であろう。それを、セシリィと小夜は自分たちの都合のために、本人の了解なく勝手に行った。その間、もしかしたら苦しい思いや嫌な思いをしていたのではないかと思ったのだが。
「我々に魂と呼べるものは存在しない。我々にあるのは機能としての体であり、セシリィ・クィントゥスがこの体を支配していた期間、我々はその支配下において沈黙していただけに過ぎない」
淡々と、やはりトリコは機械的に説明する。
天上の秩序が具体的にどういうものか分からない小夜は、監視者と言われて、パソコンのOSかセキュリティソフトのようなものだろうかと思った。けれど思い返せば思い返すほど、トリコにはちゃんと感情があると思う。
(撫でられるの、好きなくせに)
セシリィがいなくなったあとも、ヨルゴスの撫でる手にトリコは自然と体を摺り寄せていた。魂がないと言われても、好悪があるのは明らかだ。
「おいで」
布団から少しだけ身を起こして、トリコを手招く。少しの間のあと、美しい翼を広げて枕元に飛来する。
「トリコは可愛いねぇ」
「この体には現在セシリィ・クィントゥスは存在していない。その呼びかけは適当ではない」
不貞腐れるでもなくそう答えるトリコに、やはり二人の会話は聞こえていたのだなと知る。それから、温かな羽毛を抱き寄せて共に布団の下に潜った。湯たんぽに丁度いい。
「トリコが、可愛いの」
「……我々は、目的を持たないヒトの主観において回答をしかねる」
しかつめらしい湯たんぽを、よしよしと撫でる。眠気は存外早く訪れそうだ。
気付けば、うとうととしていた。
体中の体温がふつふつと上がる。瞼が重い。意識が混濁する。熱を感じて下を見れば、両手の平に滲む羽毛の下の体温が、ふっと燃えた――気がした。
(……熱い)
違う、と思う。燃えたのではなく、斬り刻んだ体からしぶいたばかりの血潮が表皮よりも高温で、熱いと感じただけだ。今は、山も森も麓も全て真っ白に飲み込む白魔の季節だから。
(血だらけだな)
曲刀の柄に触れていた手の平の一部以外、全て鮮血に濡れそぼっていた。降りかかる雪が湯気を上げて溶けていく。毎年指先が腐り落ちるのではないかと思う程にかじかむ寒さも、今ばかりは和らいでいた。
「終わったか」
ぴちゃぴちゃと、雪解け水と血の混じった泥を踏みつけて、男が戻ってくる。お綺麗な顔も金髪も見事に血塗れなのに、青い瞳だけが馬鹿みたいに汚れていない。
嫌いだな、と思う。
「あぁ。ヒュベルの糞共も、糞に手を貸した糞も殺した」
「相変わらず、戦いとなると益々言葉遣いが悪いな」
「うるさい」
山の民は、男女に面倒な差をつけたりしない。男のその文句は煩わしいだけだった。
死体の中でも汚れの少ない服で刃の血を拭って、腰に戻す。そうして顔を上げて見回せば、辺りは正しく惨状であった。
森を背にした立派な館の中庭は、踏まれて灰色になった雪の上に血が飛び散っていた。すぐ足元には武装した幾つもの死体が転がっている。ヒュベル王国特有の、内側に凍傷を防ぐ毛皮をつけた鎧だ。どれも関節を一薙ぎにしている。
シェフィリーダ王国がヒュベル王国を牽制するために、山岳民族アラシュ・イクサと同盟を結ぼうとしていると知り、山に踏み込んできた連中と同じだ。実際は族長はまだ返答を保留にしていたから、一族にとっては突然の奇襲だった。
あの晩のことは、夜毎夢に見る。
シェフィリーダにヒュベルを手引きしたのはシェルトナム王国の思惑があったと男から聞いた時は、かの大国も滅ぼしてやりたいと心底思ったが、さすがにそこまでは不可能だと分かっている。
だから、これで終いだ。
「これで、お前の戻る道を阻む者は、全て殺したか」
男が奪われた玉座に戻るために、ヒュベルと、裏切った貴族どもを殺すと。
「あぁ。お前の里を焼いた者も、全て殺したな」
一族の恨みを晴らし、復讐を果たすと。
「ならば約定通り、これで終いだな」
あの泉の前で取り交わした二人の言葉は、ここで終わる。
出会い頭に殺されかけたことも、精霊の慈悲か呪いか分からないような導きも、二人で怨敵を滅すると誓ったことも。
疑い続けながら背を預けたことも、ともに死にかけて抱き合って寝たことも、奈落の底のような夜闇の中、互いの事情を打ち明けあったことも、全部。
「……帰るのか? 帰るべき家もないというのに」
男が問う。
虚しいと感じるのは、復讐を遂げても得るものがないからだ。帰る場所をやっと取り戻した男の声が、どこか晴れがましく聞こえるからではない。
「山の民に、家の心配など笑い種だ。山があり、森があれば……それでいい」
「俺と共に来い」
「そしてお前の隣で、冷たく硬いだけの椅子の上で死に絶えろと? 冗談じゃない」
「……帰さない、と言ってもか」
血に濡れた手で、男が引き寄せる。自分はこんなに汚れて荒んだのに、少しも濁らない青い瞳を睨みつける。
ハッと、吐き捨てるように笑っていた。
「……まさか、それで求婚しているつもりか? 格別の冗談だな」
取られた腕を強引に取り戻す。もうすぐ、男の仲間たちも戻ってくる。戻れば、全員で王都とやらに向かうだろう。立派なだけの椅子に座れば、それで完成だ。この身に居場所などない。
それに、あの精霊に救われた代償のこともある。
「お前も、この身に受けた呪いは知っているだろう。おれは、ここでしか――あの泉のそばでしか生きられない」
「だったら!」
「それに」
男の言葉を遮って、雄々しく笑う。無意識に、腹に手を当てていた。
「餞別は、もう貰っている」
◇
目が覚めると、どうにも部屋がちかちかしているような気がした。
明かりもついていないのに何故、と思って窓の外を見て、理解した。
外の世界が、一面白かった。空はもとより、いつも見えていた森にも、窓枠にまで、きらきらと輝く純白の雪が積もっている。それが朝日を反射して、室内の明度を僅かに上げているのだ。
「白魔……」
ぽつりと呟いていた。その後で、なんだそれと首を捻る。
何故か気になって、腹に手を当てていた。
「……お腹空いた」
「起きて第一声がそれですか」
「わっ」
独り言に反応があって、小夜は慌ててそちらを振り返った。朝食を運んできたフィオンが、冷たい眼差しで寝台の上の小夜を見ている。
「あ、あれ? 今朝は早いんですね」
昨日までは起床を確認後、朝食を持ってきていいかの許可を求められたのに。
「軟禁されているというのに呑気なものです」
「面目ない……」
フィオンが手際よく準備するのを横目に、そそくさと寝台を降りる。今日こそは白いドレスはやめて自分の服に着替えるぞと決意していると、フィオンが疲れたように嘆息した。
「それに、今朝の件はあなたも無関係ではないのですよ」
「今朝? 何かあったんですか?」
「……聖泉の乙女様――ファニ様が、ご帰還なさいます」
「…………」
だから、起き抜けは太陽光浴びないと頭が働かないんだって、と小夜はげんなりと思った。