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進退が極まっている

(嵌められた! めっちゃ用意周到に嵌められた!)


 外見が幼いからと多少の油断があったことは否めない。しかしこれは酷すぎる。

 小夜は今すぐ異議申し立てをしたかったが、当のイディオはやってきた男の困惑を利用するように話を進めていた。


「気にしないで。彼女自身、知ったのはつい昨日なんだ」


「はぁ……、そう、なんですか?」


 その言葉には誰が聞いても「この女が?」という響きが感じられたが、イディオは意にも介さず勝手な理由を付加していく。


「先に聖泉の乙女デスピニスを名乗った娘は、大精霊クレーネーの慈悲を受けて助かっただけに過ぎない。真に恩寵を賜ったのは彼女だ。だがこのお方は、その娘を気の毒に思って、自らそう名乗ることを気兼ねしておられるんだ」


(えぇぇっ、なにその設定!?)


 思わず叫びそうになったが、小夜は先程の失態に学び、これ以上の失言はしまいと両手で口を塞いでいた。それが益々奇異の目を集めていたが、神聖視されるよりはましである。


「実に心優しい女性だと思わない? 容姿も神秘的だし……何より美しい」


「…………。誠に」


(忖度! 忖度が突き刺さった上に抉ってくる!)


 泣きたくなった。何なら半泣きだった気もする。

 本心を隠して作り笑いで同意するよりも、出来れば否定していただきたかった。


「君たちを鼓舞するのは勿論だけど、ぼくたちが今日ここに来たのは、何より彼女が今の状況を憂いているからに他ならないんだ。ね?」


「…………」


 純真無垢な顔で知略陰謀を働いたイディオのウインクに、小夜はこれでもかと目を見開いて固まった。

 完全に進退が窮まっている。ここで首を横に振るのは戦争肯定派となるし、縦に振ればイディオの思う壺である。

 ちらりとイディオを見れば、その笑顔のままつつつっと近寄ってきた。そっと耳打ちされる。


「今ここで君が聖女として振る舞えば、君の一言で戦争も回避できるかもしれないよ?」


「重い! 何もかもが平凡な事務職には重すぎる!」


 小夜もまた小声で叫び返した。イディオの囁き声は相変わらず悪魔の誘惑のように魅惑的であったが、こればかりは屈する気力すらない。


「あの……?」


 密談に痺れを切らした男が、おずおずと声を上げる。その怪訝そうな声と眼差しで、小夜は答えを求められていることが嫌でも分かった。

 とにかく、何でもいいから言葉を発しなければならない。だがその一言で、彼の――ひいては彼の部下たちの小夜への認識は決定されてしまう。

 困りきった小夜は、救いを求めるように背後のイスヒスを見上げていた。


(助けてください! 今こそこの前押し倒した借りを返してください!)


 口パクで訴える。イスヒスは三白眼を細め、苦り切った顔で首を振った。


(こうなったら、もう無理だ……)


(見捨てないでぇぇ!)


 必死の訴えはけれど、下ろされた薄い瞼に阻まれた。

 縋る思いで他の救世主を探すが、フィオンと双子の従者に至っては、明らかに我関せず――正確には、主の決定に異論は差し挟まないという態度であった。


(やばい……いや、冷静さを失っている自分が一番やばいのかも)


 落ち着け、今は一旦落ち着けと自分に言い聞かせる。その通り、今の小夜に沈着冷静という要素は皆無であった。

 ここは周囲に振り回されていることを自覚した上で、最も冷静で事務的で第三者目線を持つ態度で臨むことが最良であろう。つまり、仕事中の自分である。


(このおじさんは取引先のメーカー、イディオは新人営業、イスヒスさんは所長!)


 勝手に置き換えて、キリッと気持ちを切り替える。


「えー。この度は営……神の子が突然益体のないことを申し上げ、大変失礼いたしました」


「お?」


「は? はぁ」


 小夜は淡々と、あくまで事務的に頭を下げた。突然百面相をやめた小夜に、イディオが面白がるような声を上げ、向き直られた男が面食らう。

 だが小夜の頭の中にあるのは、新人営業が再三のミスでメーカーに散々ご迷惑をかけた挙句尻拭いをさせるという顛末に、所長が頭を下げ、小夜が事情を説明するという場面であった。

 今だけはここは中世ヨーロッパ風の世界ではなく、営業所の会議室である。早速胃が痛い。


「まず、『本物の』聖泉の乙女デスピニスという発言についての信憑性についてですが、これは現時点で神殿の誰にも証明することは出来かねます。ですので、私がとかファニがとかいう話を頭ごなしに信じることは危険であるとご忠告させて頂くとともに、誤解を招く表現があったことを謝罪申し上げます」


「……あ、あの?」


 真顔で平謝りする小夜に、男がついていけないとばかりに焦りを強める。だが謝罪のコツは重ね重ねの謝罪と、間にさりげなく差し込んだ「それでもこれだけは間違ってない!」アピールである。


「そしてこれを、絶対的な! 前提として」


「すごい強調の仕方」


 イディオの冷静な指摘は当然無視した。


「そもそも戦争というものは聖泉の乙女の伝説からも分かるように、無益で無情で、虚しいだけの行為だということの再認識です。このことに関しては、聖女であろうとなかろうと誰もが心に留めおくべきことでしょう」


「……な、なんと」


「今回はこちらの失態からご無理をお願いすることとなり大変申し訳ございませんが、皆様にはこの事情をなにとぞご理解頂いた上で、武力による争いなどという愚かしい行為を即刻改めて頂きますよう、切にお願い申し上げます」


 更にダメ押しのように頭を下げる。礼節と低姿勢は守ったぞ、と思ってちらりと男を見れば、どこか驚いたように小夜を見ていた。

 元々軍属なのか戦うのが仕事なのかは知らないが、それを止めろという女が信じられないのかもしれない。

 流石にこちらの世界の一般常識を知らずに強く出すぎたかなと、後悔がよぎる。


(でも、信仰のために戦いましょうなんて、死んでも言えないし)


 などと間を空けたのが良くなかった。

 そこに、声が割って入った。


「こんなことを言われるお方は初めてで、驚いたよね。ぼくも最初は驚いたんだ。でもこれも全て、慈悲心溢れる聖女が皆さんを心配するがゆえなんだ」


「もち……ハッ!」


 ぐっと拳を握って同意しようとして、小夜は愕然とした。折角張った予防線を、イディオがたった一言ですっかり引っくり返してしまったからである。


(ヲタク特有の長口舌に謝罪慣れが上乗せされて……!)


 やり過ぎたと悔やんでももう遅い。最後にもう一度「でもまぁ私は見た目通り、全然聖女とかじゃないですけどね!」と付け加えれば、このまま流されずに済んだかもしれないのに。


「感激しました! 聖女の乙女デスピニス様の大精霊様と信仰にかける熱い思いと、それを上回って我々一人一人の命を案じてくださるその心優しい眼差し! 是非部下の前でもお言葉を!」


「…………」


 おかしい。目は死んでいたはずである。

 魂が抜けかかっている小夜の横に、再びイディオがつつつと寄ってくる。


「雰囲気とか先入観って、すごいよね」


 にっこりと囁かれて、小夜は確信した。結局何を言おうとも、イディオにいいように印象操作されてしまうだけなのだと。


(イスヒスさんの気持ちがすごい分かる……!)


 完全に挫けて背後を振り返ると、これにはさすがに全員から四者四様の溜め息を頂いた。意外にも主を止められるかもと期待されていたのが分かると同時に、無駄な足掻きと言われた気分であった。

 その間にも、男はさぁこちらへと意気揚々と小夜たちを訓練の場に案内する。これにイディオが軽い足取りで進み、そうなるとイスヒスは嫌がる小夜の背を押すしかない。

 恨みがましく体を直立させ、踵で地面に筋を残しながら進む。その時、イディオが不意に声を上げた。


「あれは……?」


「ぎゃっ」


 フィオンとイスヒスが同時に警戒し、手を離された小夜は必然的に尻餅をつく。

 その耳に、羽音が聞こえた。


「ん?」


 小夜は顔を上げた。真冬であるこの時分は、晴れていても空の色は重たげに灰色がかっている。稜線のそばでは雪雲らしい乱層雲も見える。天気が崩れれば、この一帯も積雪があるだろう。

 その空の中に、鳥がいた。冬鳥によく見られるような白色、では全くない。


「トリコ?」


 青と緑のグラデーションにオレンジも見えて、小夜はよいしょっと立ち上がった。最初の森で声を聞いて、それきりだった。

 シェーファは王都にいるはずだと言ったが、今回の召喚でも小夜はトリコを見た気がしていたのだ。もしかしたら、こっそりついてきて迷子になったのかもしれない。


「おーい。トリコやーい」


 気付くかなとか、もう野生に還っちゃったかなと思いながら、空に向かって呼び掛ける。実際、トリコがセシリィのもとにいたのは色々と思惑があって故である。鳥籠にいるのが幸せだったとは限らない。

 しかし、クェー……と声を響かせてあと、その鳥影はゆっくりと下降してきた。ばさりと大きな羽を広げて、小夜が出した左腕に留まる。


「本当にトリコだ。どこに行ってたの?」


 わりと重量に腕をぷるぷるさせながら、冠羽が美しい頭を撫でる。気持ち良さそうに金の目を細める姿は、相変わらず愛くるしい。


「小夜、その鳥は……」


 イディオの声に、小夜は状況を思い出した。トリコを胸に抱いて振り返れば、全員が信じられないという風に小夜を見ていた。野鳥を突然飼い慣らしたように見えたのかもしれない。


「あの、この子は」


 と、小夜が説明しようとした矢先であった。


聖泉の乙女デスピニスを導きし大精霊クレーネーよりの御使みつかい様。ようこそおいででくださいました」


 イディオが、一度も見せたことのない真剣な表情で跪いた。



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