小夜のバカ
「小夜のバカ小夜のバカ小夜のバカ」
しまった、とは思った。
あ、と思ったのは、ルキアノスもまた驚いたように目と口をぽかんと開けているのを見たときだった。
「小夜のバカ小夜のバカ小夜のバカ」
それからずっと、この台詞と嘴は小夜の脳天をつつき続けていた。
「小夜のバカ小夜のバ」
「分かったごめん私が軽率だったから痛いってば」
止めないと延々と続きそうだったので、取り敢えず求められる全ての意見を組み込んだ。
声とつつき攻撃が止んだので、頭の上から持ち上げて、目線の高さに持ってくる。金の瞳としばし睨み合う。
「……小夜のバカ」
万感の思いが込められていた。
「……本当にごめん」
深々と謝る。
現在、迂闊な一人と怒れる一羽は、セシリィの自室に戻って反省会という名の土下座を繰り広げていた。
(ポンコツここに極まれり……)
我ながら、呆れてしまう。いつか戻るセシリィのためと言いながら、どれだけ簡単に引っ掛かるのかという話である。
ルキアノスがあの台詞をどう意図したかは知らないが、あの台詞もまたゲームに出てくるのである。
ゲーム中盤、エヴィエニスとルキアノスでヒロインを取り合う状況の中、酷く苦しげに言われる一言で、あそこにはヒロインを素直に大事に出来ないながらも自分の元に来てほしいという懇願が色濃く現れている。
そう、自分を取り合う二人の美声ーーもといイケメン。乙女の夢なのである。三十路だが。
「つまり不可抗力なわけよ、文字通り」
「ルキアノスの声でそこまでの失態を演じられる方が驚きよ」
「トリコ、つれない」
つーん、と顔を背けられた。
閑話休題。
「返事、なんて書けばいいと思う?」
「知らないわよ」
正座した膝の上に置いたトリコにすがるように聞くが、にべもなく突っぱねられた。それもまたごもっともであった。
ルキアノスからはあの後、
『オレの指示のもと、今日中に返事を書く。授業の用具を片付けたら戻ってこい』
と言われている。
今こうしているのは、ひとえにトリコからお説教を食らう時間ーーではなく、セシリィらしい文言をどうするか、という打ち合わせのためであった。
「でも、娘からの手紙が娘らしくなかったら無駄に疑われるでしょ? だからせめて始まりの季節の挨拶とか、結びの言葉くらい教えてよ」
ね、お願い。と羽を撫でながら媚びる。
平伏する時間は長かったが、効果はあった。
「……隣で見てるから、添削くらいはしてあげてもいいわよ」
ちらり、と照れ隠しのように小さく視線を向けられた。
盛大に抱きつく。
「トリコ大好き!」
「わ、わたくしのために決まっているでしょう!?」
人間のままだったら絶対赤面してるな、と思いながら、小夜は思う存分撫でくりまわすのであった。
結局、右にルキアノス、左にトリコという形で、小夜は簡単な手紙を書き上げた。
内容としては、父の意向に同意することと、関係者には自ら招待状を渡すつもりがあることも記した。トリコは勿論拒否した上でずっと文句を垂れていたが、小夜以外には聞こえないので軽くスルーした。
そうして、不穏な招待状は一週間と経たず小夜のもとへと届けられた。
まずルキアノスのものが開封され、夏の訪れを祝う祭りの前日に、ごくごく身内な晩餐会を開く旨が記されていた。
宛先は他にエヴィエニス、ファニ、エフティーア、レヴァンとある。招待状はないが、ルキアノスの護衛としてヨルゴスがついていくのは確定であろう。
(食べるだけなら、楽でいいかな?)
ルールやマナーはさっぱりだが、舞踏会のようにダンスを強要されることはないはずだ。
侯爵が取っつきにくい人物でなければ、隣か前に陣取ることで食事中にでも目的を果たせるかもしれない。
問題は、配布である。
「図書館に行く前に済ませるぞ」
「お願いします」
小夜は現在、最初に出た魔法の授業で賜った課題を調べることに、午後を費やしていた。単独行動は許されていないので、基本はルキアノスの午後の授業がないときだけに限られる。ほぼ進んでいない。
「侯爵家からの招待については、事前にニコスから伝えてある。セシリィは形式的に渡せばいい」
ニコスとはいつも姿が見えない侍従のことだ。
(そうやって陰で色々やってるから、いつも死にそうなのか)
頷きながら、第一王子が使用する学寮の前に到着する。
応接室に通されて待つこと数分、まず現れたのはレヴァンであった。
「セシリィ! 久しぶりだねぇ。元気してた? この前見かけたのは神学の帰りだったよね? あの時は目が死んでたけど、そんな君も中々見られないから魅力的だったよー」
ばあん! と戸を開けてセシリィに飛び付いたかと思えば、両手を取っての流れるようなウィンクである。
「やはり内容がスカスカでも良いお声です……」
「うーん。褒められてるのか貶されてるのか分からないや。今日は僕に会いに来てくれたの?」
「えぇ、そのお声を聞きに、」
「違うだろ」
「は!」
いつの間にか「ささこっちへ」と促されていた小夜の背に、ルキアノスの呆れたような声で待ったをかける。小夜は慌てて椅子に腰を戻した。
「ルキアノス様、そこで止めるのは野暮って言うんですよ」
そんな小夜を名残惜しそうに見やって、レヴァンもまた入り口に戻る。どうやら、守るはずの主人を置き去りにして飛び込んできたらしい。
ルキアノスが呆れたように頬杖をつく。
「お前は女ならなんだっていいのか」
「まさか。でもセシリィ嬢が滅多に拝めないくらいの美人であることは、揺るぎようのない事実だと思いますけどね」
言いながら、またウィンクされた。
(そう言えばそうだった)
中身が中身なのでつい忘れがちだが、たまに鏡を見て「ぅおっふ」と驚くことは、いまだにある。
などとやり取りしていると、戸の向こうから新たな良い声が現れた。
「危険がないか先行すると言って出たと思ったのだが?」
エヴィエニスだ。こちらもまた似たような顔で呆れている。
「勿論。任務完了ですよ、我が主」
レヴァンがおどけたように頭を下げる。それに溜め息一つ、エヴィエニスは後ろを振り返ると「ファニ」と呼びかけた。
「お、お待たせしてごめんなさい」
エヴィエニスの長身から、可愛らしい姿が現れる。それをエスコートして、エヴィエニスは二人掛けのソファに腰を下ろした。最後に入室したエフティーアが、レヴァンとともに背後に立つ。
目的の面子が揃ったので、小夜は早速本題を切り出した。
「今日伺ったのは、事前にお伝えしました通り、我が家での個人的な晩餐会の招待状をお持ちしました」
セシリィに習った通りの文言を述べて、四通の招待状をエフティーアに渡す。最初に声をあげたのは、なぜかレヴァンだった。
「え、僕も招待客なの?」
「……の、ようだな」
エヴィエニスが重々しく応える。
何がいけないのかと小夜が目をぱちくりしていると、ファニも同じ疑問を抱いたようだ。気持ちを代弁してくれた。
「レヴァンも貴族でしょ? 普通じゃないの?」
「えーと、僕とお近づきになりたい奴ってのは、あんまりよろしくなくてですね」
困ったように答えるレヴァンに、ファニも小夜も首を傾げた。
そう言えば、トリコが最初の紹介で「信用しない方がいい」などと言っていたことを思い出す。
(なんか秘密でもあるのかな)
だがトリコも他の貴族も知っている様子では、秘密とも違うであろう。
(帰ったら聞くか)
小夜が聞くと面倒くさそうなので、ひとまず自己完結しておく。
「いや、お前も参加しろ」
一方、エヴィエニスは思案げな顔で断言した。レヴァンが一瞬驚き、すぐに「御意」と頷く。
「では僕は、一番離れたところにでも座ってようかな」
からりと笑うレヴァン。
これに安堵の声を上げたのはファニだった。
「良かったぁ。みんな一緒ならいいよね」
嬉しそうににこにこと頬を赤らめている。
ファニは今でこそ王太子の婚約者候補として貴族教育を受けているが、元々は記憶がないせいで、貴族というよりは平民寄りな女の子だったのだろう。
自分を苛めた女の実家に乗り込むなど、普通の神経の持ち主では怖いはずだ。
「断れなくてごめんね」
思わず、本音が口から出ていた。
ファニがラピスラズリの瞳を大きく見開く。
「え? あ、あの、そんなことは」
「それは、お前が裏で唆したのではないというアピールか」
あたふたと手を振るファニの言葉を遮ったのは、敵意が溢れ出し始めたエヴィエニスだった。
「はい?」
小夜は意味が分からず、首を傾げる。こんな時に突っ込んでくれるトリコはお留守番だ。多分今頃、ヨルゴスに撫でてもらっているであろう。
(裏で唆した、ってことは……あ、私が実家に手を回して、今回の会を仕組んだと思われてるってことかな?)
成る程、それなら余計に警戒するのも納得である。しかし「へぇ」と感心してばかりもいられない。
小夜は今だ、と決めて、立ち上がった。