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永遠の十四歳

「え?」


「え!?」


 ファニに遅れて驚きの声を上げた小夜は、改めてまじまじとフィイアを凝視していた。兄という単語に、昨日イディオから聞いた話が幾つも駆け抜ける。

 イディオの逃走癖に革手錠を提案し、ルキアノスを襲い、命令があれば命も奪う、十二歳年上の兄。


「え? 計算合わなくない?」


「何が?」


「だって、お兄さんって二十六歳じゃないの? 全然そう見えな……」


 言いかけて、ハッと口をつぐむ。大変老けて見えるなどとは、どんな言い方をしようとも失礼である。

 しかし覆水盆に返らず。誘導したイディオはにやにやと、当のフィイアは眉間に皺を寄せて重そうな溜め息を吐いていた。


「イディオ。余計なことを教えるな」


「だって十二歳年上なのは本当でしょ? それとも、実年齢を言った方が良かった? 四十四歳って」


「イディオ」


 口を尖らせる弟を、フィイアが眠たげな目を鋭くして遮る。

 だが聞こえてしまった数字は、否応もなく小夜の頭を掻き混ぜた。


(四十四歳なら……そんなに齟齬そごはなさそう?)


 そこまで渋みがあるかと言えばそうでもないのだが、二十六歳よりは納得できる。だが年の差十二歳も事実となると、今度はイディオが三十二歳になってしまう。


(んんー? さすがにそれは無理があるんじゃない?)


 そこまで考えて、突然閃いた。


「あ、永遠の十四歳だから?」


 誰に言うともなく、そう合点していた。

 二人が兄弟で、十二歳差でも、イディオだけ十四歳から年を取らないのであればこの状況にも納得がいく。と思ったのたが。


「…………」


 またもや、全員が小夜を見ていた。特に当の兄弟は驚いたように瞠目している。

 その反応を見て、小夜はあれ、と思った。


(そう言えば、『永遠の十四歳』は声に出したことなかったっけ?)


 心の中では何度も叫んでいた気がするが、周囲の反応ではそうでもないようだ。

 とそこまで考えて、小夜はそもそもイディオの年齢を確かめていないという初歩的な事実に思い当たった。乙女ゲームに影響されまくってそう思い込んでいるだけだが、彼が十四歳かどうかは思えば未確定である。


「えっとぉ……」


「知ってるの?」


「はい?」


 十四歳で良かったですか、と聞くのは少々間抜けだなと思っているところにそう問われ、小夜はぱちくりと目を瞬いた。何を、と問い返そうとして、いかんいかんと口を噤む。

 命の水然り、ややこしそうな情報は聞かないに限る。小夜の目的はあくまでもファニの奪還であって、イディオと親密になることではない。


(お声は一生聞いていたいんだけども!)


 事情が事情なだけに、なるべく関わり合いにならない方が良いであろう。

 そのことがなくとも、イディオが本当に年を取らない体質で、それを知ったのが乙女ゲームからだなどとは、無闇に言い触らさない方がいいに決まっている。

 ただでさえ、小夜は異世界からの闖入者として神殿に目を付けられているのだ。これ以上何かしたら、今度こそルキアノスに何をされるか分かったものではない。

 と、きちんと警戒したのに。


「やっぱり、君こそがぼくの本当の聖女だよ」


 イディオが、満面の笑みをきらきらと輝かせてそう言った。

 ずっと気怠そうに眺めていたフィイアが、はぁと大きく嘆息しながら天井を仰ぐ。


「……面倒くさぁ」


 その語調はどこか聞き覚えのある言い回しであったが、さすがの小夜も今は、今更ながらに理解したことで頭がいっぱいであった。


(まさか、ちょいちょい言ってた『ぼくの聖女』って……そういうこと!?)


 ずっと、小夜の存在を誤魔化すための方便だと思っていた。聖泉の乙女デスピニスだと言えば、誰も迂闊に手を出せないからと。

 だが違ったのだ。

 ファニを本物と認めないイディオが言う、本当の聖女。

 小夜こそが、ファニに代わる真実の乙女なのだと。

 そしてその正否がどうであろうと、神の子として実績のあるイディオの言葉には、ある種の強制力が働く。

 つまり、三度みたび全員の視線が小夜に注がれていた。しかも、今までで最も強い圧力をもって。


「…………え、ええ!? いやっ、嫌だ! 違う違う違いますよ! これは誤解――」


 必死で両手を振って否定する。だがそれを最後まで言い切ることは出来なかった。

 イディオが、ごほっと咳き込んだのだ。途端、イスヒスたちがその膝下しっかに駆け寄る。


「イディオ様!」


「……ッ」


 椅子にもたれるのも辛いように、イディオがイスヒスの腕の中に倒れ込む。そこまでの間に見えた色に、小夜もハッと息を呑んだ。


「えっ、血!? なんっ、大丈夫!?」


 咳き込んだ時に喀血したのか、イディオの口元には真っ赤な鮮血が見えた。それが服に付着するのも構わず、イスヒスが横抱きに抱き留める。

 前を向けば、ファニも突然の事態に困惑していた。

 小夜も全く状況が読めないながらも、本能的に腰を浮かしていた。何ができるわけでもないのに、無意識に手が伸びる。それを、残る黒服たちに引き留められた。


「あ、あの……」


 そんな小夜を、イスヒスがまるで小夜のせいだと言わんばかりにギッと睨む。理由は皆目分からない。

 だが、小夜の脱出計画がまた一段と困難になったことだけは確かであった。




       ◆




 これでは軟禁と変わらない、とセシリィは思った。

 ファニが行方不明となり、ルキアノスが国王代理であるエヴィエニスの命令で秘密裏に捜索に向かうと聞いて、以前から感じていた嫌な予感は確信に変わった。

 だがクィントゥス侯爵である父レオニダスは、何よりも陛下の帰還こそが重要だと言って聞かなかった。あるいはそれは、この事態を見越しての父の打算だったのかもしれない。


(信じられない。まだ諦めていなかったなんて)


 見えもしないのに、扉の向こうにいるであろう父と、神服を纏った来訪者を睨む。


『幸いにして、王太子殿下との婚約は正式にはまだ破棄されておりません。お二人とも成人を迎えられましたことに伴い、改めてご結婚の手続きを進められることを推奨します』


 ファニが消えた翌日、そう言って現れた神職者に、レオニダスは何の疑問も差し挟まずに邸内に迎え入れた。それからは連日、神服がクィントゥス侯爵邸内をうろついている。

 その間、連中は当然の顔をして、ファニが消えたことや、昨年の誘拐事件のことを持ち出して、セシリィが外出することを制限してきた。この間に接触できたのは家族のみで、エヴィエニスとの面会すら拒絶されている。手紙に至っては明らかに検閲されたていた。


(冗談ではないわ)


 ルキアノスがファニを探しに行くと聞いた時、真っ先に確認したのはヨルゴスのことであった。ついていくのかと聞いたところ、戦力はシェーファとフィオナだけを連れていき、ヨルゴスは王都でニコスたちを守ると聞いた。

 それで安心してしまったせいで、セシリィは最後の逃亡の好機を逃した。

 エヴィエニスを慰めるためにもと言われた瞬間、魔法をぶっ放してやれば良かったと今更思う。未練があったのではない。あぁついに、と思ったのだ。


(いつか、こんな日が来ると思っていたわよ)


 ずっと、それこそファニが聖泉の乙女デスピニスだと騒がれ始めた頃から、ずっと懸念していた。きっと神殿が動いて、ファニは奪われて、エヴィエニスは悲しい思いをすると。

 だから余計に、あの女が嫌いだったのに。

 彼の恋が叶っても叶わなくても、辿り着く末路は似たり寄ったりだから。


「今更ながら、あの女ファニが憎く思えるわ」


 腹立ちまぎれにずっと人払いをしている自室に、思いのほか低い声がじんと響く。

 ファニが現れなければ、セシリィはこの結婚の話を頬を染めて受け入れていただろう。素直に純粋に、大好きなエヴィエニスの隣に立つ自分を自然と思い浮かべることが出来たはずだ。

 もしくは。


(小夜が、現れなければ……)


 セシリィはきっと、ファニを最後まで追い落としていただろう。どんな手段を使っても彼女の正体を暴き、それが出来なければあらゆる伝手を用いて罠にかけ、彼女がエヴィエニスの隣にいられなくなるようにしたはずだ。

 その後にどんな断罪と処罰が待ち受け、聞くに堪えない悪名を囁かれようとも。


(でも、そうはならなかった)


 そのはず、だったのに。


「セシリィ。準備はできたか」


 短い叩扉のあと、レオニダスの太い声がかかる。今最も聞きたくない声だとは思ったが、応えなくとも話は進む。セシリィは子供のような癇癪はせず、返答の代わりに椅子から立ち上がった。


「では出かけるぞ」


 ここ数日の通りまた無言を通すと思ったのか、レオニダスも返答を待たずきびすを返す。その背に、セシリィは数日ぶりに呼びかけた。


「お父様」


「……何だ」


 ぴたりと足が止まる。返る声には、ここ最近ではあまり感じられなくなった緊張が見え隠れしていた。

 小夜のお陰で少しだけ親子の距離が縮まったかと思ったが、それも一時の幻と終わるかもしれない。


「もしも事が成ったら、一生恨みます」


「好きにしろ」


 簡潔に伝えた用件に、父もまた簡潔に返す。よくもこんな性格の親子ふたりが、十六歳までとはいえ同じ目的のために足並みを揃えてこれたものだと不思議に思う。

 だがそれも、過去のことだ。たとえ再び同じ状況になろうとも、今のセシリィの目的は、少女の頃とは真逆になってしまった。


「ではお言葉に甘えて、シェフィリーダ王国史上最低最悪の王妃として名を残してみせますわ」


 にっこりと、伯母のメラニアに泣く程叩き込まれた完璧な淑女の笑顔で告げる。

 あの頃には黙って見ていた父は、やはりあの頃のように眉間に皺を寄せて、静かに目を背けた。


「……好きにしろ」


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