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帰さない

 今度こそ、小夜の頭は疑問符でいっぱいになった。

 小夜の知るイデオフィーアは、王都で宮廷魔法士を務める魔法の天才のはずである。光魔法が得意で、自由自在に姿を現したり晦ましたりする。永遠の十四歳というのも、魔法で本当の外見を隠しているのだと思っていた。


(あれ? ってことは、今もずっと魔法を……?)


 しかし人前ならともかく、聖泉にいた時にその必要があるとは思えない。

 魔法は神々に祈ってそのお力を借りるものだが、その依り代として消費されているのは神々に唯一通ずるモノ――血であるとされる。使い過ぎれば貧血に似た症状が出るとは、セシリィに教えてもらっていた。

 そして気付いた。画期的な回答を。


「あ、お兄さんって双子?」


「十二歳上だったかな」


 全然違った。そもそも、あの覆面の襲撃者が兄だというのであれば、それくらいは年が離れていなければ説明がつかない。


(どういうこと? からくりが全然思いつかない……)


 相変わらず、全く名探偵にはなれそうもない。乙女ゲームの中の人物紹介でもイデオフィーアは謎多き存在とはあったが、攻略できていないのだから参考にもならない。

 だが色々と考えて、小夜は一つ無意識に無視していたことがあると思い出した。


「そう言えば、お名前って……」


「イディオって呼んで?」


 にっこりと可愛らしく言われた。思わず悶絶しそうになって、待て待てと堪える。


「……『イディオ』フィーアさん?」


「ぼくは、ただの『イディオ』」


 その迷いのない断言に、小夜は十分に考えてから、愕然とした。「なんということでしょう」という台詞が、長寿アニメの主役を務めるお方の声で勝手に再生される。


「すっ、すいませんでした! 別の方と勘違いしていたようで……」


 ということは、このイディオ少年とは初対面ということになる。勝手に思い込んで勝手に勘違いしていた事に気付かされて、小夜は顔から火が出る思いであった。座ったまま平謝りする。

 小夜としては声に関しては間違えない自信があったのだが、そもそもイデオフィーアの素顔は見たことさえなかった。顎の形が似ていると声も似るというし。


(自信なくす……)


 だが、今の問題はそこではない。


「その、失礼をしていた上に重ね重ね申し訳ないのですが、帰りますので」


 相手がイデオフィーアでも知り合いでもなくとも、小夜がここから逃げるには今しかない。最早許可を取ることさえもどかしく立ち上がる。

 するとイデオフィーア改めイディオもまたおもむろにその場に立ち上がった。丸テーブルの水差しに手を伸ばしながら、あどけない子供のように首を傾げる。


「何で? 君はぼくの聖女なのに」


「あれは不審者として逮捕されないための嘘ですよね? その節は大変助かりました。でも今はそういう話がしたいんじゃなくて」


 いつまでその話を引きずるのかとげんなりしながら話を元に戻す。服も靴も後で洗って返したいが、このまま履いてしまえば無理だろうなと思いながら足を入れる――その前に、声調を落とした冷ややかな声が先を遮った。


「これだけ言っても分からないの?」


 それまでの可愛らしい少年っぽさが消え、貫禄さえ感じるような艶のある声が囁く。

 ひやりとして顔を上げると、すぐ目の前に美しい緑の双眸があった。


「帰さないって言ってるんだ」


 まるで悪魔が誑かすような声だと、小夜は思った。

 その目の前で、華美な水差しが持ち上げられる。けれど真っ直ぐに小夜を射抜く瞳の強さに金縛りにあったように、目が動かせない。

 そして。


 ガシャン!


 固い物が割れる甲高い破砕音と水音が、室内に響き渡った。




       ◆




「イリニスティス殿下との接見は、やはり断られました」


 臨時議会が終わってやっと戻ってきた執務室で、待ち構えていたエフティーアが疲れた顔でそう報告した。

 ここ一ヶ月で何度も断られていたから、エヴィエニスはまたかと思う程度であった。


「俺に暗殺されては、全ての計画が水の泡だからな」


 神殿の大胆な行動には、王弟イリニスティスの存在が不可欠だ。徹底的に拒絶するのも当然ではある。


「引き続き、叔父上には接触を試みてくれ。出入りする神職者どもの顔と名前と経歴と、繋がりのある貴族を洗い出すのも忘れるな」


「御意に」


 エフティーアにも他に仕事があることは百も承知だが、今は寝る間を惜しんで働いてもらうしかない。


「死にそうな顔だなぁ」


 横からそう口を挟んだのは、自分も似たり寄ったりな顔をしたレヴァンである。彼もまたエヴィエニスの指示でエステス宮殿を不在にしていたのだが、こちらは進展があったと期待してよいものか。


「お前も大差ない」


「ここ一ヶ月くらいろくに女の子に触れてないから、ちょっと気が触れそう」


 へらりと笑っているが、本当はイリニスティスのもとに行けないことが何よりも気掛かりなのだろう。

 レヴァンがエヴィエニスの下についているのは、贖罪というよりもイリニスティスへの恩返しという意味合いが強い。親代わりの存在が嫌いな連中に利用されようとしていることもあり、いつもは隠している刺がちらほら見え隠れしていた。


「片っ端から殺しちゃえば早いと思うんだけどなぁ」


「神職者に手を出したら終わりだ」


「そう? 蛆虫みたいに涌いてくるんだから、プリントスにいる奴らくらい、ばれないと思うんだけど」


「離宮だけで世界が完結していると思うんじゃない」


 部下二人が疲れた顔で生産性のない話をするのを聞くともなしに聞きながら、エヴィエニスもまた内心で深くレヴァンに同意したい気分であった。


(本当にな。世界が、俺とファニだけだったなら)


 もしそうであれば、どんなに簡単で明快で、幸福だったことであろうか。

 しかし現実には、誰もがファニはダメだといい、エヴィエニスから引き離そうとする。四六時中監視をつけられ、プリントス宮に軟禁され、神殿が邪魔をする。

 どいつもこいつも八つ裂きにして、ファニを奪って逃げられたなら。


(きっと、幸せになれる)


 しばらくはファニも塞ぎ込むかもしれないし、あまりに手段が乱暴だと怒るかもしれない。それでも、エヴィエニスは一日中抱き締めて宥めて、その涙を舐めとってやれる。言葉の通り、真実世界が二人きりになったと気付いたとき、ファニはきっと喜んでくれるだろう。

 そんな中で、もしシェフィリーダ王国の衰亡を聞いたら。


(涙が出る気がしない)


 笑ってさえ、しまう気がした。国など、どうでもいい。

 子供の頃は、もっと使命感があった。父のため、国のため、自分が頑張りさえすればきっと良くなると、愚かにも信じていた。

 だが最近では、王太子でさえなければと思うことが増えてきていた。ルキアノスの誕生会以来だ。反対されているのは同じはずだったのに、気付けば弟は御披露目に成功していた。

 自分の能力不足だと分かっている。それでも、王太子というしがらみさえなければ、と思った。

 だが反面で、王族でなければファニには会えなかったとも分かっている。もしそこに自分がいないせいで、ファニが他の誰かに恋をしてしまったら。考えるだけではらわたが焼け切れそうだった。


「殿下。お顔が凶悪になっていますよー」


「……お前もな、レヴァン」


 無意識に握り潰す寸前であった羽ペンをインク壺に戻し、エヴィエニスはどうにかそう返す。意識的にでも軽口を吐いていないと頭が怒りで煮えそうなのは、お互い様らしい。


「首尾はどうだ」


「あまりよろしくないですねぇ。南部はまだいいですが、北部は半数近くの貴族が神殿側につく可能性が出てきました」


「北はディドーミ大神殿の目が届くからな」


 王都も国土の中央よりは北に位置するが、最北部は王権よりも神殿の方が力が強いのはここ数百年変わらないことであった。特に前王兄ハルパロスの元領地であったスファギより北は、神殿と貴族の癒着が激しい。

 二十年前の戦争のおり、ハルパロスの謀叛は秘密裏に処理されたが、領地は王家の直轄となり、関係者も次々と処罰された。特に関わりの深かった神職者は、ほとんどが現国王テレイオスによって辞任に追い込まれたはずだ。その穴を埋めるために国王自ら司教を擁立するなどし、それを契機として神殿への弾圧政策は始まったようなものである。

 だがそれも、総大司教――シェフィリーダ王国内の全ての神殿を統括する国内最高位神職者で、ディドーミ大神殿の神殿長でもある――が交代したことで、一時は険悪なまでの対立も落ち着いてきていた。だがここ最近、再びその傾向は顕著になっている。主に父王のせいで。


「ハギオン大神殿の様子はどうだ?」


「あちらは既にいつでも制圧できますよ。後は向こうの出方次第ですね」


 王都のハギオン大神殿については、地理的にも内部勢力的にも制圧の用意は整っていると言えた。まるでこの時のために対立司教を何人も送り込んでおいたのかと思えるほどに。

 だがそもそもの起点を考えれば、それもまた原因の一つである。父王を持ち上げる気持ちは刹那に消えた。


「問題はルキアノス殿下でしょうね。ファニを拐った証拠を掴めればいいんですが」


「連絡はあったか?」


 カツカツと指で机を叩きながら問うと、エフティーアとレヴァンが顔を見合わせた。レヴァンが、正気かこいつ、という顔で答える。


「出立したの、四日前ですよ? 到着して行動を開始してても、さすがに報告はまだ届かないと思いますけど」


「増援を送るか。一……二個師団」


「要りません。というか数の前に単位に疑問を持ってください」


 エフティーアがこめかみをひくつかせて断言する。エヴィエニスは堪らず叫んでいた。


「ファニがいなくなってもう五日だぞ……!?」


 聖泉で出会ってから、こんなにも離れたことはなかった。エフティーアたちが平気そうにしていることが信じられない。しち面倒くさい書類や老獪な貴族どもと向かい合っていなければ、気が狂いそうだ。


「早く、早くしなければ……!」


「神殿が聖泉の乙女デスピニスを傷付けることはありません。今は一つでも多く、勝率を上げる手を打たなければ」


「そんなことは、いざとなればどうとでもなる!」


「なりませんって」


 自分の報告が終わったレヴァンが、呆れたような声を上げる。それを目で制して、エフティーアがエヴィエニスの頭を目の前の仕事に戻そうと話を続ける。


「それよりも、もう一度陛下のお身柄について、交渉の使者を立てるべきではないですか?」


「ファニが帰ってくるなら、父上なんかくれてやる」


 本気で答えた。

 エフティーアは沈黙でそれに応え、レヴァンは詰まらなそうな顔で、やはり沈黙を守った。但し顔には、正気じゃなさそうだな、とありありと書いてあった。


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