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天然が一人隠れていた

 着替えとして提示されたのは、白いドレスであった。


(マジか)


 ルキアノスの誕生会で華美な服を着させられた経験から、以前より抵抗感はないが、それでも、白いドレスである。

 純白の花嫁衣装が定番となったのは近世以降からだというし、小夜の持つこの抵抗感を、この場の誰にも理解してはもらえぬであろう。

 そうでなくとも、白いドレスである。


(年が……!)


 二十八歳の腐女子にはきつい一品であった。

 大変心苦しいならがも丁重に変更をお願いしてみたが、イデオフィーアのご指示のもと却下を頂いた。

 渋々着替えに移る。


「…………」


「…………」


「……あの」


 誰も動く気配のないことに、小夜は少々の不安を催して声を上げた。

 長椅子に寝転んだままアデルに着替えを用意されていたイデオフィーアが、佇立したままの小夜をお行儀悪く振り仰ぐ。


「あれ、着方分からない?」


「なに? そうなのか?」


「致し方ありません。イディオ様のお客様であれば」


「致し方ありません。お着替えのお手伝いをさせて頂きましょう」


「……全員真顔だから本気なのか冗談なのか全っ然判断がつかないんだけど取りあえず着替えは完全無欠の孤独な空間で執り行うことを希望します」


「……ああ!」


 声を震わせながらの切実な小夜の訴えに、イスヒスだけが遅れて顔を赤くした。

 天然が一人隠れていたことが判明した。




       ◆




 用意されたのは、扉で繋がっている隣の続き部屋となった。

 先程の部屋がイデオフィーアの私室兼寝室として機能しているのに対し、こちらの部屋は来客時の応接室という設えであった。

 部屋の中央にあるのは柾目が美しい楕円のローテーブルで、小さな銀の燭台が置かれてある。それを囲むのは三人掛けのソファーが一つと、一人掛けのソファーが三つ。臙脂色をした落ち着いた艶のある革製で、小夜は一目見て座らないと決めた。

 壁の装飾も、コヴェントーの森を表現しているのか、下から草木が伸びる絵が全面に描かれ、それが集結した二重天井には、見覚えのある泉がゴシック様式を思わせる豪華さで描かれていた。

 その水際みぎわには、朝日に照らされた神々しい金髪と、冬の海のような碧い瞳の美丈夫が立っている。逆立った髪と筋骨隆々の肉体を持ち、右手に大剣、左手に大楯を持つ姿は、ここに辿り着くまでにも何度か目にしている。

 祖王ヴァシリオスであろう。


(取りあえず、エヴィエニス様には少しだけ似ている気もするけど、ルキアノス様にはこれっぽちも似ていないな)


 一方泉の中の岩に座るのは、燃えるような赤毛と聖泉を思わせる緑の瞳の少女である。こちらは入口の乙女像や幾つかの絵画とはまた雰囲気が違う。名前も伝わっていないという少女は、髪や目の色以外の容姿も伝わっていないらしい。

 壁には他にも幾つもの肖像画が並んでいたが、そろそろ観光気分が寒さに負けたため、同じく部屋の中央に鎮座する立派な暖炉の前へと駆け寄った。イスヒスが隣から火を持ってきて、すぐに着火してくれたのだ。


(うーっ、暖まるぅ)


 小夜は暖炉の力を借りて、一思いに白いドレスへと着替えた。適当に体を拭き、なるべく手早く着込む。首元や手首に少しレースが入ってはいるが、膨らみは少なく、懸念したほどに乙女っぽい仕上がりにはならなかった。特に厚手の肩掛けが上半身をほとんど隠すので、見た目としてはマキシ丈のワンピースを着ているようだ。


「……さて」


 残るは靴だけという段になって、小夜は靴を片手に足音を殺して窓辺に駆け寄った。

 隣のイデオフィーアの私室では、現在主人の着替えに二人の従者が付き従っている。そのため、小夜の護衛兼監視は、イスヒスが隣室の控えの間にて行っている。あの様子では、こちらから声を掛けるまでは入ってくることもないであろう。

 ということで、窓の下を覗き込む。


(……突然跳躍力とか五十倍にならないかな)


 虚しい夢想であった。

 しかもよく見れば嵌め殺しである。どのみち逃亡は難しそうだ。がっくしと肩を落とす。


(ルキアノス様……本当に、無事かなぁ)


 この時ばかりは、ヒーローの危険をどこにいても察知できるヒロインの特殊能力が欲しいと、小夜は思った。


(ま、ヒロインじゃないんでね)


 嘆息一つ、濡れた服を抱え、控えの間で待つイスヒスに声をかける。

 待ちかねていたのか、イスヒスはすぐに顔を出した。


「では、火を弱めるので少しお待ちを……靴は、履かないのですか?」


 室内に変化がないことを確認した上で暖炉に向かおうとしていたイスヒスだったが、小夜が靴を手に持ったままだったことに目を留めた。あぁと、気にしていたことを告げる。


「実は足の裏を少し怪我していて、まだ血が完全に渇いていないので、出来れば当て布用に余った布切れでもあればお貸しいただけないかと……」


「なに?」


 三白眼でじろりと睨まれ、小夜は蛙のごとく縮み上がった。口から勝手に言い訳が転がり出る。


「す、すいませんっ。その前に絨毯に血が付いちゃってるって話ですよね、ごめんなさい! なるべく爪先で歩いてみたんですけど、やっぱりちょっと無理があったみたいで」


「何故早く言わなかった!」


「すいませんんーっ」


 くわりと怒られて、小夜はひぃぃっと言いながら頭を下げた。

 ずっと、気にはなっていたのだ。しかし森からここまでの道中はほぼ護送中の囚人という気分で、とても靴下代わりの物を要求するという勇気はなかった。高そうな絨毯が現れてからは爪先立ちで歩くという努力も試みたが、そろそろ限界であった。


「そ、掃除が必要であれば、あの、やりますので……道具をお貸し頂けれ――ば!?」


 平身低頭、していたはずが、突然視界が回っていた。気付けば目の前に、絨毯ではなく天井画がある。

 そしてすぐ右側には、激怒していたはずの三白眼の男。小夜の肩と膝裏に硬い筋肉のついた腕を回し、軽々と横抱きにしている。


「な、なにごと?」


 濡れた服と靴を抱えたままだった小夜は、声をひっくり返して首を巡らせた。あの剣幕からのこの事態が理解できない。

 真っ先に恐れたのはこのまま窓の外に放られることだが、そもそもここは嵌め殺しである。そんなことはされないと信じたい。


(でもこのまま牢屋に直行とかはあるかも……)


 実際、眉間に皺の寄っているイスヒスの顔を見れば、その可能性は皆無とは言えない。そうなれば脱走は絶望的といえる。


「あ、あのっ、ごめんなさい! 掃除! しますので!」


 少しでも心証を良くしようと必死で言い募る。だが返されたのは全く予想していない一言であった。


「怪我人に掃除なんかさせるか!」


「……。……えっとぉ?」


 またもや怒られた。言われてみればその通りなのだが、立場が立場だけに返す言葉に困る。


「それにそんなに出血するほどだったなら、そもそも歩かせたりしなかった」


「はぁ」


「大体、いかにも怪しくて胡散臭くて胡乱で不審な女でも」


「面目ない……」


「主人を助けてくれた礼も言わず怪しむばかりで、義理がなっていなかった。申し訳ない」


「え? あぁ、いえいえ……」


 横抱きにされたまま、丁寧に頭を下げられた。突然の手のひら返し、というよりも常識人ぶりに、小夜は困惑するしかない。

 そもそもイデオフィーアを助けたというのも怪しいものだ。彼が自殺なのか事故なのかも判然としないし、従者たちの口振りからするといつもイスヒスは間に合っているようであるし。


(つまり私は、話を引っ掻き回しただけってやつ?)


 嫌な事実に気付いてしまった。余計にイスヒスの常識人ぶりが居たたまれなくなる。


「こちらこそ、事態をややこしくしただけのようで大変申し訳ありません……」


「いや……」


 ずーんと気落ちする小夜に、イスヒスもつられるように声を小さくする。どうやら、面倒見が良い上に共感力も高いらしい。


「そもそも、この真冬にあんな状況で飛び込んで何の見返りも要求しない時点で、遠謀深慮の大悪党か無思慮なお人好しかのどっちかだしな」


「うぐっ」


 少しもオブラートに包んでいない物言いが悲しいかな正鵠を射ていて、小夜は言葉もなかった。

 しかしその重傷をおしてでも、小夜はこれを好機と見た。


「で、でもそれじゃあ、私への疑いは晴れたってことで、釈放を……」


「いや。イディオ様あいつがどうも気に入ったようだしな。まだ帰せない」


 小夜のささやかな期待をばっさりと切り捨てて、イスヒスが護衛の顔に戻る。


「なにゆえ……?」


 やることなすこと裏目に出るとはまさにこのこと。

 努力は絶賛迷走中であった。



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