檻には半裸が似合う
神殿前広場の中心にある乙女像の噴水を越えた場所から、ディドーミ大神殿の神聖な空間は始まる。
参拝者はまず、列柱が三層になった豪華な正面を首が痛くなるほど見上げたあと、右の乙女の鐘楼と、左の英雄の鐘楼を首が凝るほど見上げる。
そのあとはすぐ目の前の列柱内の、何重にも声が反響する大きな表中庭を通って神殿内に入るのだが、参拝以外の目的の者は現在、許可を得た者しか進むことを許されていなかった。
紹介状のある者、医師の証明のある者、巡礼者、貴族、一定以上の献金を行った者など。
何人もの神職者が、日の出から日の入りまで忙しなく対応に当たっている。
この中でも特に長い列を成すのが、神の子に会うためにやってきた、あまり裕福でない者たちだ。彼らはどうにか医師の証明を握り締めて列に並ぶが、それすらもままならない者もいる。そんな者たちが必死に訴える列もまた、同じほどに石段に列を成していた。
それを植木の隙間から眺めながら、小夜はジグザグに折れる東の細い石段を登り、大神殿――の脇につづく道を通って、更に奥に建つ建物へと入っていった。
(通用口?)
飴色の木にアイアンレースのような装飾のされた扉を、アデルが引き開けてイデオフィーアを通す。細く短い通路を過ぎると、赤い天鵞絨の絨毯が敷かれた幅広の廊下に出た。右側には均一なガラス窓が、左側には一枚一枚がしっかりと装飾された高そうな扉が並んでいる。
どうやら、大通りから見て正面の建物が参拝のための空間で、小夜が連れてこられたのは聖職者たちの居住空間に当たるようである。司教邸宅のような類いと考えれば近いだろうか。
(成る程、こうやって人目を忍ぶわけねぇ)
確かに、対応する以外の人間があの列の前を通れば、何度も掴まって、辿り着くまでに倍以上の時間がかかってしまうことであろう。関係者以外立入禁止区域は、いつの時代もあるものである。
それは納得できる。
問題は、小夜は一体どういう待遇になるのかである。
(行列に並びたいと思う日が来ようとは……)
お約束は、欲しくないところでばかり発動するのがお約束だと、こんな時に噛み締めてしまう小夜である。
人の気配を感知して自動点灯していく魔法の明かりを追うように、廊下を進む。並びは従者のアデル、イデオフィーア、小夜、従者のルフィア、護衛のイスヒスである。
応接室や待合室などは地上階に近いのが一般的でないのかと思う小夜の心配をよそに、彼らは黙々と階段を上り、更に階段を上って行く。
「……えっと、どちらまで?」
あまりにも階段を上るので、高度が上がるにつれ心拍数まで上がってきて、小夜はついにそう聞いた。
「ん? もう着くよ」
前を行くイデオフィーアが、にこやかに振り返ってそう答える。小夜は辿り着いた扉を見て、それから反対側の窓も見た。
(最上階じゃね?)
小夜たちが歩いてきたと思われる木々の頭が、窓ガラスの下に黒々と広がっている。市門から眺めた白と黒の可愛らしい民家も、黒や灰色の屋根裏ばかりが見える。
視線を扉に戻しても、それは今まで通り過ぎたどの扉よりも重厚そうに見えた。表面は正方形が連続するだけの格子模様かと思いきや、近付くにつれその四角の中に一人ずつ顔が浮き彫りにされていることが分かる。
皆重々しい顔付きで祈りを捧げたり何かの場面のようだったりと様々だが、周りを覆う幾何学模様と合わせて、その資産的価値は説明なしに素通りするものではない気がする。
(そこはかとない執念を感じる)
しかし日常的に目にしているお方からの感想はまったく違っていた。
「不気味だよね。聖人の顔なんて、監視されてるみたいでさ」
つい足を止めて扉を見てしまった小夜の胸中を見透かしたように、イデオフィーアが目をすがめる。と、すかさず背後から物言いたげな反論が上がった。
「されてるんですよ」
「え、されてるんですか?」
「…………」
イスヒスの断言に、まさかその目には超小型監視カメラ的な魔法でも組み込まれているのかと思ったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。何だこいつとでも言うような視線が痛い。
(中二……中二病ではないのよ、一応)
二十八歳である。発言をなかったことにした。
「さて、まずは着替えかな?」
控えの間を通り、私室の長椅子に腰を下ろしてすぐ、イデオフィーアがそう言った。濡れた服でよくもその刺繍針が何千回と往復したであろう生地の上に腰を下ろせたなと、つい庶民根性が首をもたげたが、無難にも黙っておく。
実際、髪と肌を軽く拭いただけの状態では、震えが止まらなかった。ここまで来る間も、歯がガチガチと音を立てないように必死であった。
室内は主役のように置かれた暖炉から放たれる暖気で十分暖かかったが、着替えをお貸しいただけるか、乾かす時間を頂けるのであればそれに越したことはない。
「アデル、ルフィア。例の彼女と同じものを」
「いけません」
イデオフィーアの指示を、何故かイスヒスが却下した。しかしイデオフィーアはそれを見越していたように、笑顔で説き伏せにかかる。
「でも、あれ以外に女性服なんてないでしょ? 神服着せる?」
「それは……俺が町から買ってきます」
「そう? じゃあぼくはもう一回……」
「分かりましたよ! お好きにどうぞ!」
何がもう一回なのかは不明だが、どうやらイスヒスには破滅の呪文と同等の攻撃力があるらしい。
「またイスヒス様はやり込められましたね」
「またイスヒス様が走るのを見れなくて残念です」
「お前らはとっとと服を調達してこい。あと替えの浴布と……靴も」
真顔で面白がる双子に、イスヒスがこめかみをひきつらせて命令する。その言葉に驚いたのは小夜の方であった。
(意外に優しい……面倒見が良いのかな?)
小夜は森で靴が脱げて以降、ずっと裸足であった。極寒の水のせいでもう手足の感覚がほとんどないのだが、それでも足の裏はじくじくと痛む。イデオフィーアが足枷をしているお陰で全体的にゆっくり進んでくれるから、どうにかついていけたようなものだ。
余談だが、絨毯が始まってからは血が付着した際の賠償責任が怖くて、爪先立ちと踵歩きを交互に繰り返すことでどうにか凌いでいた。
「あの、ありがとうございます」
会話の途中ではあったが、ついお礼を言っていた。頭を上げると、何故か全員に凝視されていて早速後悔した。
(お呼びじゃない感がすごい)
そそそっと壁際から回り込んで、黙って暖炉の火に当たる。暖かい。
閑話休題。
命じられた従者二人は、丁寧に頭を下げてこれを承った。
「「かしこまりました」」
(ハモった)
似て非なる二つの声が完璧に同調したものだから、小夜は思わず内心で拳を握ってしまった。良い、と愛嬌がなくても可愛らしい双子をほくほくと見送る。
「じゃ、ぼくも着替えるから、これ外して」
一方、イデオフィーアは座ったまま両手足を伸ばしてそう言った。そこにあるのは、ずっと嵌められたままの枷――金属ではなく革製で、足枷は歩くのに支障がない程度には長さがある。
(そう言えば……何でしてるんだろ?)
思えば、その枷があったものだから、小夜は自殺と勘違いして突っ込んでしまったのだ。しかし見れば見るほどイデオフィーアは身分ある立場のようだし、拘束される理由が分からない。
イスヒスは慣れた手付きで手枷を外し、しゃがんで足枷にも手をかける。その突然出現したご褒美的な構図に無言で悶える小夜の耳に、ぼそりと低い呟きが届く。
「俺は、二度とつけたくありませんよ」
その言葉に、小夜はやはり周囲は不本意だったのだと知る。そもそも、革の手錠と言っても手足ともにある程度の長さがあり、自由行動の束縛という点では不十分としか言いようがない。イデオフィーアが本気を出せば、視覚的戒め程度にしか機能しないのではないかと思われた。
しかし護衛の思いを知ってか知らずか、イデオフィーアは虚無的な笑顔で首を振った。
「それは無理だよ。ぼくは何度でもあそこに行く。死ぬまでね」
(えぇー……それってどっちよ)
死ねるまで、なのか、死ぬ直前まで、なのか。
小夜は、真っ先に浮かんだ解釈に寒々しいものを感じて、勝手に枕詞で「寿命で」死ぬまで、と付け加えることにした。
「兄君にご報告します」
革手錠を回収し終えて、イスヒスが立ち上がる。両手足が自由になったイデオフィーアは、んーっと子供のように大きな伸びをした。
「またぁ? 今度は手枷じゃなくて檻を作れって言うかもよ?」
「望むところです」
「みんな仕事熱心だなぁ」
「これは、仕事じゃない」
三白眼を更に険しくして、イスヒスがぴしゃりと断言する。この時ばかりは、世話がかかる上司にというより、我が儘な弟に言い聞かせるような口調に聞こえた。
「……あ、そ」
イデオフィーアの瞳から、それまでの奔放な色がふっと消える。それからは、双子の従者が服や替えの浴布を持って現れるまで、部屋は沈黙に支配された。
だから、何度でもってことは逃走癖があるのかとか、イデオフィーアには兄がいたのかとか、手枷はその兄の発案かとか、檻には半裸が似合うよねとか、小夜は実にどうでもいいことを延々と考え続ける羽目になった。
そして結論。
(重い……重いよ製作……!)
ハーレム的きゃっきゃうふふっは自分には一生やってこないなと確信する小夜であった。