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不審以外の何者でもない

 最初は暗闇だった。

 それから急に刺すような息苦しさが喉を突いて、げほがほっと盛大にむせた。喉に詰まっていた何かがゲホッと飛び出す感覚があって、更にむせる。

 その時、そっと背中を撫でる優しい手の平の感触がした。

 それで自分が地面に寝ていて、側に誰かがいるということを知る。身に染み付いた習性で、つい目も開けられないうちから左手を上げて「大丈夫です」のジェスチャーを送る。

 実際、飲み物が気管に入ったような苦しさはあったが、徐々に落ち着いてきていた。何度か大きく深呼吸をして、どうにか通常の呼吸を取り戻す。

 そこに、様子を見計らったように声がかけられた。


「大丈夫?」


「は、はい、だいじょう……」


 ぶ、の口で、小夜は固まった。今し方聞いた声の美しさに。

 この吐息にビブラートがかかるような、高く澄んで、声変わり前の少年のような中性的な美声は、聞いたことがある。


「イデオフィーア!?」


 脳内で声紋照合を完了させること0.1秒。状況も思い出せていないのに叫んでいた。

 くわりと目を剥いて声のした方を振り向く。そこに、毛先に水滴を光らせて少年が座っていた。

 日に当たったことのないのような白い肌、少し癖のある赤毛、少し吊り目気味の、水面のような緑色の瞳。

 小夜が知る、常に何かしらの密命を帯びているらしき宮廷魔法士のイデオフィーアは、今まで目深にかぶったフードと顔半分を覆う烏のような仮面でその素顔を一度も晒していないが、乙女ゲームで素顔と声だけは確認チェック済みである小夜には疑いようもなかった。

 小夜が声優という職業に大はまりするキッカケとなった、女性声優さんが演じる永遠の十四歳が、そこにいた。


「……君は」


「やばい、本物!? ってかこの声の唯一無二さよ! 疑いはない! あっ、遮ってしまった! 続きをお願いします」


 心の声を全部漏洩させながら、小夜はどうぞと右手を差し出すことで発言の再開を希望した。これで表情も変えずに会話を再開させたらそれは変人だと、セシリィかルキアノスがいれば指摘してくれたことであろう。だが残念ながら、ここにはどちらもいない。

 実際、少年は折角の美声をその青紫になった唇の中に閉じ込めてしまった。翡翠のような双眸を大きくして、小夜を注視する。

 その段階でやっと、小夜は様々なことに思考が動き出した。


(あれ、そう言えば……すごく寒いっ)


 全身がずぶ濡れのせいで、今にも凍りつきそうなほど体が芯まで冷えきっている。寒すぎて歯の根が噛み合わない。

 ガチガチと歯を鳴らしながら、何故こんなことになっているのかと思い起こせば、入水自殺しようとしていた子供のことを思い出した。助けようとして一緒に溺れて、それで気絶してしまったらしい。溺死も凍死もしなかったのは奇跡だろう。

 そしてその子供が目の前の、同じく濡れ鼠になっている少年イデオフィーアだと合致する。そして合致した瞬間、彼はやはり自殺しようとしていたのではなかったのだと理解した。

 何故なら、本当に死にたい人間は他人を助けたりしない。


「っす、すいませんでした! またご迷惑をおかけして」


 毎度の迷惑に気付き、その場で土下座しようとして、妙なことに気が付いた。


「って……あれ? 何か、光ってません?」


 赤毛についた水滴が、本当に淡く発光しているように見えたのだ。まるで蛍光塗料のように。


「……それは君も」


「え?」


 まさかあの水は光る特性でもあるのかと、落ちた場所をキョロキョロと探す。そして、それはすぐ側にあった。

 冬の濃い葉色を受けて鮮やかな青緑色に輝く水面。それを囲むのは自然に寄せられたような大小の岩の断続的な並び。その石のない一ヶ所には、物を引きずったような筋がある。どうやら、そこから引きずり上げてくれたらしい。その一帯の草は潰れ、水で濡れて黒ずんでいる。

 対岸もはっきり見えるから、それほど大きいわけではないようだ。中心に近い場所には、でこぼこした岩が少しだけ頭を出している。だがそれ以外には、何もなかった。森の中の水場だというのに、倒木や枝葉の類が一つもないのだ。まるで誰かが綺麗に掃除でもしているかのように。

 そして最も肝心なことだが、特段光ってはいなかった。


「……んんー?」


 どういうことかと、首を捻る。

 そこに、第三の声がかかった。


「イディオ様!」


 良く通る、男の声である。小夜は声の主を探して顔を上げたが、少年は詰まらなそうに押し潰した草を見ていた。


(嫌い、なのかな?)


 しかし少年を慮るよりも重大なことを、小夜はこの段になってようやっと思い出した。


(そう言えば……ルキアノス様は?)


 どれ程気を失っていたかは不明だが、とにもかくにも近くにルキアノスがいる気配がない。先程の呼び声も違う。彼がこんなにも小夜を放置しておく理由がないし、あるとすれば。


(誰かが、邪魔をしている……)


 その瞬間、覆面をした襲撃者が小夜に肉薄する幻影が目の前に迫って、小夜は反射的に後ずさっていた。心臓がばくばくとがなり立てる。

 逃げなければ、と思った。

 ルキアノスを探したいけれど、逃げろと言われていた。それに、


「イディオ様! やっと追い付きましたよ」


 初めて聞く声が、敵か味方かも分からない。最悪、あの襲撃者の仲間という可能性もある。


「ッ」


 小夜は居ても立ってもいられず膝を立てた。疲労と痛みと水の重みで足が震えたが、構わず力を込める。そして、


「ダメ」


「ぅぎゃ!」


 踏み込む寸前でつんのめった。手が追い付かず、顔面で地面に突入ダイブする。


「んなななんで!?」


 ガバッと起き上がって、小夜は裾を掴んだ犯人を振り返った。

 少年が、目をぱちくり、悪戯が成功したような笑みを浮かべた。


「……えへっ」


「のぉぉぅさぁぁっっつ!」


 悶えた。それでもまだ有り余る狂喜に、ばしばしばしっと地面を叩く。

 そしてまんまと、声の人物は二人の前に辿り着いた。


「……何ですか、その妙ちくりんな女は?」


 第一声がそれかとは、今の小夜には言えぬ反論であった。

 しかしそれ以上に、耳が勝手に反応していた。


(こっここの声はもしや小難しい一人称語りキャラの元祖では!?)


 良く通るその声は、低音と高音の心地よい中間声で、淡々としながらもどこか耳を引き付ける抑揚がある。つい中堅の声優さんを思い浮かべ、追っ手かもという危機感も横においてその顔を見上げる。

 そこにいたのは、黒地に赤と青の差し色が入った立ち襟姿の、三十代後半ほどの男性であった。三白眼気味の目と相まって、雰囲気に圧がある。


(見たことある、かも……?)


 自信はなかった。しかしほぼ毎日強制的に見ていた第二章の予告に出てきた登場人物に似ている、ような気もした。


「イスヒス。彼女を拭いてあげて?」


 少年が、タオルでも持っていることが当然のように、そう頼む。そしてその通り、イスヒスと呼ばれた男は、懐から一枚の布を取り出した。

 しかし要求には従わず、少年を丁寧に引っ張り立たせると、その赤毛をがしがしと拭きにかかった。


「まずはあなた様からです」


「ぼくは慣れてるから、大丈夫」


「こんなことに慣れないでください」


 されるがままの少年を一通り拭き終えて、イスヒスが疲れたように嘆息する。それだけで、二人が旧知であることが窺い知れた。


(敵、じゃないのかな?)


 何の関連性もないが、淡い期待を持って二人を観察する。だがそれも、すぐに終了した。


「大体」と、イスヒスの面倒臭いと言わんばかりの三白眼が、じろりと小夜を見る。親切に拭いてもらえる番、というわけではなさそうである。


「ここは王族以外立入禁止の結界内ですよ。そこにいる女なんて、不審以外の何者でもない」


「……あ、そういうこと!」


 睨まれているというのに、小夜は思わず手を打っていた。

 ルキアノスの意図を、やっと理解したためである。


(私に魔法が効かないならって、聖泉の結界のことかぁ)


 聖泉には、王族以外立入禁止の結界があることは、ずっと聞いていたことである。しかし小夜にはそれが効かない。だからあの襲撃者はあそこから追ってこられなかったのだ。


(って、いやいや。いっぱい居るじゃん)


 小夜はともかく、目の前の二人が王族のようには見えない。少年は仮にそうだとしても、イスヒスの方は明らかに仕える側に見える。


(となると……どういうこと?)


 背後の水溜まりがくだんの聖泉エレスフィで、冬でも凍らないのも噂通りのようだ。しかしそれ以外は情報が混乱している気がする。

 そんな小夜をどこか面白がるように一通り観察してから、少年はイスヒスの布を引ったくった。


「イスヒス、彼女は不審でも何でもない」


 そして実に爽やかな笑みと共に、それを小夜の頭にかけてくれた。


「彼女も、聖泉の乙女デスピニスだ」


 特大の爆弾とともに。


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