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右手だけ

 神殿と市門のちょうど中間辺りの宿を確保したあと、小夜たちは再び大通りに戻って食事をしながら情報を集めた。

 寒さのお陰で、人々は煙や湯気の上がるところに集まっていた。誰もが敬虔な信仰心のもとに集まっているから、その顔には希望が輝き、地元の者もまた彼らを労い、神殿の素晴らしさを嬉々として聞かせている。

 寒くなったせいで、ここ一ヶ月は巡礼者が減って、代わりに神の子に会いにくる者が増えたとか。順番待ちでどんどん宿が埋まっていくから、個人宅でも部屋を貸しているとか。神の子は朝の祈りが終わって昼の祈りが始まるまでしか会えないとか。神の子は聖泉の水をもちいて奇跡を起こすとか。聖泉は冬でも凍らないとか。


「聖泉で神の子を待ち伏せして捕らえるか」


「全面戦争でもするおつもりですか」


「とりあえずシェーファの診断をもぎ取るか」


「医者を買収する気ですか?」


心神耗弱しんしんこうじゃくだろ?」


 情報を増やしながら対策会議を続けるルキアノスとフィオナに挟まれて、小夜は残念ながらほぼすることがなかった。気分は親の旅行に付き合う子供の観光客である。


(冬の観光地って、寒いけどやっぱり趣深いなぁ)


 日の当たらない路地の陰や屋根の北面では、溶けきらない雪をちらほら見かけた。北上した分、降雪も早いらしい。森に入れば、もうそろそろ昼でも雪が溶け残る時季だとは、露店の店主が話していた。


(右手だけ、あったかい)


 かじかんできた左手に白い息を吐きかけながら、小夜は二つの外套の間で繋がれた右手をちらりと盗み見た。

 恋人と手を繋いだことがないわけではないが、どうにも緊張していた。意識しすぎて、指の一本も下手に動かせない。


うぶか……)


 我ながら度しがたいと思いながら、自分に突っ込む。そもそも、これはそんな甘さのある行いではない。

 ルキアノスの左の腰には、外套に隠れてはいるが長剣が吊るされている。抜剣する時にはそのまま体を押し飛ばすことになるかもしれないと、事前に言われていた。


(剣でも、戦うんだよね)


 何も分かっていない最初の頃には、剣を振る掛け声も聞いてみたいなどと夢想していたことを思い出す。あの頃は、本当に呑気だった。剣などの武器は、この世界のこの時代では、飾りではない。


(声は聞きたい。……けど、誰かを傷付けるのは、やだなぁ)


 二律背反というにはあまりに幼稚なことを考える。

 そしてそれは、程なくして考えられなくなった。


「尾行されています」


「……ん?」


 露店で聖泉の水が使われているという丸薬を眺めていた小夜は、久しぶりに発言したシェーファに気を取られ、後ろを振り向こうとした。だがそれよりも早く、ルキアノスが口を動かさずに釘を刺してきた。


「顔を動かすな。普通にしていろ」


「…………」


(そう、言われましても……)


 はい、とも言えず、小夜は黒鈍の丸薬を睨んだまま全身が固まってしまった。冬なのに冷や汗が浮かびそうな気分である。

 一方、一緒に丸薬を見ていたはずのルキアノスは、穏やかな表情を崩すことなく質問した。


「対象は」


「通りの南に一人。他にも我々を見ている者がいる気がするのですが、そちらは特定できず」


 南というと、市門がある方である。そこにはいまだ街道から増え続ける旅人が列をなしており、不審者を炙り出すなど不可能に見えた。


「問題ない。振り切るふりをして捕まえる」


「方向は?」


「……森に」


 短く逡巡して、ルキアノスが決定する。その時には既に、フィオナとシェーファは自然に動き始めていた。

 丸薬からやっと目を離した小夜は、どくどくと激しく脈打ち始めた心臓の音に急かされるように問う。


「わ、私は……?」


 ルキアノスの体に寄り添い、なるべく口を動かさずに聞いたつもりだった。ルキアノスが笑顔で店主に断りを入れ、店を後にする。


「悪いが、一緒に走るぞ」


「……は、はい」


 通りを北に進むフィオナたちに続きながら、どうにか吐息だけでそう返す。しかし小夜は青褪めた。


(やばい……靴擦れして痛いって、最初に言えば良かった)


 部屋でくつろいでいた所を召喚された小夜は、足元はスリッパしか履いていなかった。森を出る時にフィオナにスリッパごと布で包んでもらい、今の靴は上着と一緒に購入したものだ。

 くたびれた革靴ではあったが男性用で、爪先に布を押し込んで調整していた。カノーンに着けば合う靴もあるだろうとは言われていたから、後回しにしていたのだ。それが仇となった。

 しかしここで言って解決できる問題ではない。

 一行はシェーファを先頭に三角陣形を組み、神殿へと続く人混みを割って進んだ。後方でフィオナが警戒を続ながら、少しずつ路地を折れ、北へ――森へと近付いていく。

 賑やかな通りは背後へ、雪でぬかるむ路地を抜け、白黒の民家の終わりが見える。人は、最早まばらであった。

 そこで、フィオナが叫んだ。


「走って!」


 瞬間、ルキアノスは小夜の手首を握り直して駆けだした。数歩先を歩いていたシェーファが入れ替わりに小夜の背後に回り、抜剣すると同時に衝突音が上がった。表通りと違いそう広くない路地に、バシュッと鈍い音が響く。


「な、なにっ!?」


「石だ。頭を下げてろ」


 ルキアノスの俊足について行くだけで必死な小夜には、背後を振り返る余裕さえなかった。弾丸のように襲い来る礫を背後に感じる度に転びそうになる背後で、フィオナとシェーファが風と水の精霊に力を借りて応戦する。

 時折突風が背後から襲う中、ついに民家を抜け、森の中に続く小径に入る。森の深部に入れるのは許可を受けた者だけだ。それを示す境界としての柵が少し入った位置に張り巡らされていることは、既に聞き込みで確認済みだ。


(森に入れば……!)


 目の前の木々を睨む――その横面を、突然の衝撃が襲った。


「くッ」


「きゃあっ」


 体が地面から浮くよりも一瞬早く、ルキアノスが抱きしめてくれた。だが膝を強く擦り、立ち上がるのが僅かに遅れる。その間にルキアノスは立ち上がり、既に抜剣していた。白刃の先に、同じく白刃と、一人の襲撃者を引き留めて。


(こ、これが、神殿の……?)


 ギリギリと、鋼が擦れ合う音が路上に響く。

 男だろうか、ルキアノスよりも背が高く、外套の上からでも細身に見えた。頭衣フードの下、使い込まれた覆面で鼻と口を隠し、緑色の目だけがルキアノスを見据えている。


「そ……」


 そんなことしたら危ないよ、と、場違いな言葉が出そうになって、けれど口がカラカラに乾いて声にならなかった。


「何者だ」


「…………」


 ルキアノスが襲撃者を押し返しながら問う。当然ながら、答えはなかった。


「……こいねがうは――」


 ルキアノスの凛と美しい声がかすかに聞こえる。かつて覚えた神識典ヴィヴロスの冒頭だ。だがその先を聞く前に、小夜の腹に腕が回った。


「ぎゃっ」


「こちらへ!」


 フィオナだ。もたもたする小夜を右腕で抱え込むようにして立たせ、半ば引きずって森に向かう。


「でも、ルキアノス様が!」


「シェーファが守ります。それに」


 その時、ボコッという音を立てて地面が揺れた。ハッと後ろを振り返る。ルキアノスの足元に、大穴が空いていた。先程まで、襲撃者がいた場所に。


「すぐに追い付きます」


 そしてその言葉を合図にしたように、ザザァッとその周囲の地面が蟻地獄のように砂状化した。


「は、早……」


 小夜の知る限り二つ以上は魔法を使ったはずだが、相変わらずいつ詠唱しているのかと感心してしまう。そしてどうやら、森に入る前に目的を達成できてしまったようである。


「シェーファ。水で固めろ」


 傍らで剣を納めたシェーファが、一つ頷いて超局地的砂漠と化した場所に手をかざす。途端、地面の色がみるみる黒ずんだ。


(成る程、首だけ出して尋問するってことかな)


 かつて吊り鐘型土牢に閉じ込められたことを思い出す。

 その目の前で、シェーファが突然糸の切れた人形のように両膝をついた。


「…………え?」


 そのまま、ドサッと砂塵を巻き上げて倒れる。そのすぐ脇の泥には、拳ほどの穴が空いていた。


「くそっ」


 小夜が状況を理解するより何倍も早く、ルキアノスが後ろに飛び退いた。と同時に泥の周りの地面がごおうと唸りながら盛り上がる。それが頑丈な吊り鐘型になる――それよりも早く、泥が爆発したように辺りに飛び散った。

 中心にいるのは、泥の一粒もついていない襲撃者。その体が一足跳びでルキアノスに迫る――それを待ち構えていたように、吊り鐘がごおっとその口を閉じた。


「殿下は下がって、小夜様を!」


 呆然とするしかない小夜を下がらせて、フィオナが前に出る。ルキアノスが入れ違いに小夜のもとに来る。

 吊り鐘型の土牢の一ヶ所が破られたのはその時だった。ルキアノスが小夜の頭を抱き締めて庇う。その向こうで、フィオナがその一ヶ所に容赦なく風の刃を浴びせかけた。砕けた土の塊が更に鋭く粉砕される。その中を、しかし襲撃者は一切怯まずに突っ込んでくる。


「フィオナ、下がれ!」


「殿下は逃げてください!」


 ルキアノスの怒号に、フィオナが間髪を入れず返す。そこでやっと、小夜は自分が既に足手まといになっていることを理解した。

 小夜がいなければ、ルキアノスたちは守りを考えずに戦えたはずだ。けれどこの襲撃者以外に敵がいないことが確信できない現状、一人は小夜の側にいることを強いられる。

 加えて、ここで戦力を分けることに利点はない。フィオナの言葉に従うこともまた危険であった。


「わ、私はいいですから、お二人を……!」


「ダメだ!」


 怖いほどの剣幕で怒鳴り返された。ヒッと息を呑む。

 その怯えた顔を前に、ルキアノスの瞳に一瞬後悔の色が過る。

 だがすぐに、小夜の右手を掴んで走り出した。

 北へ、森の中へ。


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